久佐賀義孝の手紙 一

 古本を買うのだから仕方がないとはいえ、文中の線引きには本当にいらっとする。

のみならずたいてい最後まで(早い人は数ページ)読んでいないことが明らかなので

それがよけい頭に来るのである。昔は通販でもそういうことはなかったのだが最近は

線引きや書き込みはともかく小汚い本ばかりになってしまった。仕方ないけれど。

 というわけで読むたび気分が悪く読み進めない本を書き移すことにした。お亡くなり

になって51年目なので、あ!著作権って70年になっているのか、知らなかった…残念、

鏑木清方の随筆集だった。なので久佐賀先生の文を読み直すか…半井先生もまだある。

 

   明治27年2月28日

 過日はわざわざお入りいただきましたのに、何の風情もなく遺憾千万に存じます。

しかれども私の無学な拙説が貴嬢の心燈にいささか移(映)ったのでしたら光栄です。

 次に私は貴嬢の精神が凡ならざることを感じましたので(それより願うことは)親し

くご交際くださいましたら本望に存じます。

 近頃臥龍梅園が実に盛りで、春の始めの人間の心はまさに陽開の時期、およそ人も心

の花となってこそ。草木の花を見なければ花を見る楽しみがあるでしょうか。今の時期

正に天地の媒介にてこの梅園に人を誘い、花を楽しむ時です。貴嬢にいくらかお暇が

ありましたら園に同伴いたしたいと思います。貴嬢はいかがでしょうか、もしご同意

ございましたら適日をお返事くださいますことを(願っています)。義孝

 別紙

   訪う人やあると心に楽しみて そぞろ嬉しき秋の夕暮れ

   

   一葉の返事(投函されていないと思われるもの)

 このほどははからずも参上し

 このほどはご高論をありがとうございました。少し浮き雲が晴れたようになりました

が、解脱し難い心の迷いは、このようではいよいよ疑わしいところもございます。もと

より不敏(才知に乏しい)の身が天の道理を知るわけもなく、そうしてこのまま惑いの

内に酔いをなし、酔いのうちに夢をなして世を闇の中で送るのかとも存じますが、天地

日月をお胸に宿す先生のご高説を承り(初めながら)、知らないことを知らないままで

いるべきではないと存じ、文に道理なく、私の意をお伝えし難いことも顧みず、けしの

実の(ように微々たる)はかないことにお耳を止めさせてはならないのをはばからず、

貴覧をわずらわせました次第にございます。ご高説によれば人々は生まれながらにして

得るところあり、そうでないところあり、士農工商それぞれの道に依って長短助け合い

ながら一国一世を形作るもの(のように)と承知いたしました。その人々の福禄は同じ

ことはなく大あり小あり、強弱等しくないということは推し量るべきことでございます

が、私の(身の)上については生まれながらの大小を考えてみても、いささか天に根拠

がないようでございます。このほど仰せ聞きましたところには、望みを大にしてはなら

ない、破れる憂いがある、隠れる形にして(タイプで?)発する性質ではないので、

静かにかき籠って安心立命を求めることがよいということでしょうか、その望みを大に

してはならないとは、世に向かって華々しい働きをしてはならないとのご意味でしょう

か、もしくは山水に隠れて人に隠しても名はいつか千載の後に顕れるなどと、及ばぬ

望みを愚かな心に抱いてはならないとのお言葉でしょうか。この辺りが解し難く日々

苦しみ悶えております。濁りに濁った世の中を厭って清い一生を送ろうとする身に厄災

がしばしば巡り来、危難はたびたびあり、それに臨んで一人(誰)知らぬ苦しみに心を

痛めつつ、なおこの世を捨てて果てることができないのは、ある一つの大きな望みに

つながれているからでございますのに、私の天性は小さく微かで、小溝の中に育って

汚れの内に死ぬ蛆虫と同じだとは、なんと情けない生まれではないでしょうか。天は

無意にして万物を生じ、愛憎好悪なくそれぞれのところを得るものだと信じております

のに、お言葉による、私の運命のごときはほとんど天の縁故であるとは、疑われるよう

でございますのでどういうことなのかお明かしいただきたく、四季活用のお物語には

それぞれ敬服申し上げますが、一時一ときの出来事はそうではないのではないかと思い

ます。一代の運命に迷いがありますのを誰に訴えればよいのかと、愚かな胸に抱いた

思いをそのまま、不敬の段は幾重にもお許し願い上げます。

 追白 先日申し上げました通り、貧者はその日にもことを欠きますので世の人めいた

お礼などはできませんので、そのようにお見許し下さいませ。

   

   2月28日

 冷え冷えしくなりました。このほどは押しかけての参上でしたのに、失礼とのお咎め

もなくご高説を仰せ聞かせいただき、日夜心に繰り返しております。浮世に頼るところ

もなく、塵塚の隅にうごめいているような身を捨てるどころかおねんごろなお文、こと

に梅見のお誘いまで仰せくださいましたお心のほどを嬉しく存じております。貧者に

余裕はなく、閑雅の天地に自然の趣きを探ることなどできませんので、お心は何百拝

しておりますが、お供の列に加わることは難しいとお見許し下さいますよう、たとえ

袂に余る梅の香にご縁がなくてもご厚意のほどを月とも花とも味わいました。お言葉に

甘えて近いうちにお膝元へまかり出ますので、お見捨てないようお願い申し上げます。

まずはお返事のみ かしこ

 以前の御詠の お返しでもありませんが、

   住吉の松は誠か忘れ草 摘む人ばかり多き憂き世に

 

  5月9日

 その後は絶えてご来光がなく、いかがなさっているかと案じ過ごしておりましたとこ

ろ、ただ今ご書面にてお住まいをお移りになるとのこと、初めて承知いたしました。

つきましては従前のご住宅とはこと変わり、その地はすこぶる閑雅な風致(趣き)を

占める場所柄ですので、心の養生を重んじられるの貴姉のような方には一層適当なご住

所だとお察しいたします。不肖義孝も時々ご近所までまかり出ることがありましたら、

大いに今後、貴姉とご交際上利便を開けますので実に嬉しいことです。幸い明後十一日

は田口氏方まで用事があって参るはずなので、その節にご訪問できますでしょうか。右

とりあえずお返事お待ち申し上げます。 義孝より

夏子様

 春暮 散り残る花の木陰を去りあえず 春はいくかもあらじと思えば

 

  5月13日(?)

 一昨夜は大いにお妨げし、その節はいろいろお打ち明けのお話に小生も思わず心を

平らにし淡薄にも(心穏やかにさっぱりと?)貴女に対し、かの冨士見(楼)にお誘い

申し上げましたところ、今日のお手紙では人目に憚ることがあるので少しお難しいとの

お言葉ですのでもはや押してまではお誘い申しかね、とにかくかの件はこちらもお取消

申し上げますので左様ご承知下さい。このお誘いはもとより小生に他に所存があったの

ではありませんが、貴女の心意を充分伺いたいつもりがあったからです。そのわけは

小生ごとき浅見短才かつ貧乏人に向かって顧問になってください、ことに会計云々と

いうのは容易ならざることなので、それこそ大に人目をはばかるところです。しかれど

もこの件を小生に話したからには小生もまた重く守り、密談なき能わざるより(をしな

ければできないことですから?)料理屋にお招き申し上げました上、あなたの心意を

お伺いの後、あるいは頼まれもしますし、頼み事もあろうかと前後の思慮なく冨士見楼

にお誘いしました次第なのに、かえって貴女の意見と小生の意見が異にするところと

なりました。何にせよご書面のご様子に小生もまことに恥じ入った次第、これは小生の

愚慮の罪ですのでよろしくご宥免くだされたく。

 二に、私交私語の上のところはともかく、貴女の身上に関わる秘密なことにわたる件

について小生宅にお出で云々とありましたが、ご承知のごとく毎日会務を取り扱い、

ことに人々の出入りが多い愚宅は、他の目を憚らないところはなく、これも我が術の

学徒員の術学上に関わる件であればよろしいですが、事情は貴方の秘密上にかかわる

事柄になりますので小生がかれこれ言うことを局外者、否家族が耳にすればかえって

おかしく思われることを恐れております。このことをご覧察くだされたく。

久印

夏子様

 追伸 拙者のようなものと交際するのなら、何事もあまり難しくおっしゃるとかえっ

て親密になれませんし、少しばかり淡泊なお付き合いをしてもかえって嬢の障りになる

ことでしょう。

 

   6月1日

 頃者(近頃)わざわざお手紙くださいましたが、ご承知の通りの米界大波乱により、

米屋町は売り買い連中の大騒動となり、調停の策に苦慮しておりましたのでやむを得ず

ご無沙汰いたしましたが、昨日に至りことようやく落ち着きましたため、今日明日は身

は暇ですが、どうにも数日来の所労のため外出し難く、貴嬢が幸い明日お暇でしたら

拙宅まで散歩かたがたご来遊されてはいかがでしょうか。右お尋ね申し上げます。 

義孝より

夏子どの 前

 

   6月上旬(一葉の手紙、投函したかは不明))

 一樹の陰一河の流れ(も多生の縁)と昨日もお話しがありましたように、思いがけず

よい友を得て大変心楽しく、また世の中が広くなったように思えます。私が先生を信じ

るように先生も私に信籟を置いている仰せになったのは、まさかお偽りではないでしょ

うから百事顧問たるべし(なんでも相談に乗ろう)のお一言は私のために千金の贈り物

でございます。

 このところ孤立しておりますはかない身では、思うことがあっても誰に訴えることも

できず心に籠めて明け暮らしているばかりだったところ、はからずも高名な先生のよう

な知己を得られましたことは本願が成就すべき運命なのかと喜ばしいことです。この

ふつつかなる身をもって一身を歌道に備えようと思い立ったことは昨日今日のことでは

ありません。幾度流転の波にもまれても、憂愁がしばしば身に迫ってもこれを貫こうと

思う心は一日もゆるんだことはありません。悟っていないも甚だしいと笑わないでくだ

さい。月花を我がものとし、天地の間で嘘ぶくのは私一人の悟りであって、法師が法を

説くのも私が歌道に尽くす心もそれほど異なるところはないはずです。願っている子の

行く末ははるかです。親は年老い家は赤貧洗うがごとくなのにほかに助ける人もいない

ので深夜人が寝静まって後の胸中はいつも揺れるような思いなのです。これはご経歴の

多い先生自らご推察くださることでしょう、諸道の妨げと申す言葉のように誠に会計上

の困難はたとえ百年の大計を思い得たとしても、轍鮒(危機)の憂いがただ目の前に

迫れば、狭い胸ではこの処置をどうすべき策の出るところもわかりません。昨日仰せら

れたお言葉が偽りでないのでしたら、私の成業の暁まで踏み行く道を助けては下さいま

せんでしょうか。おなじみもまだ大変浅いのに無遠慮を申し上げますが、私は今日まで

知り合った貴紳も少なくはないとはいえ、かねてより申し上げておりましたように事情

を打ち明けて相談するという人は世になかったのです。先生が一臂のお力を添えてくだ

さいましたら誠に私の幸福でございます。このことをお引き受けくださるでしょうか、

否でももとよりです。微弱の身ではありますが、生死一身を離れてのお願いですから、

運命はわかりませんが貫くまでは止めないという心でございます。

 先生はご高名ですのできっと有力なご知己も多いことでしょう。

 ご承知のような性質なので思うことを思うままに申すほかには言葉も知らず、失礼

 なお処世の道についてお教えを受けるべきことは多いですが、差し当たってのことを

お引き受けくださいますでしょうか、否でももとよりです。微弱な一少女のことですか

ら言葉を簡単には信じ難いとお捨てになりましたらそれまでですので、お繕いなく潔く

お断りくだされたく

 私は先生によって本願が成就すべきものだと覚悟しておりますが知り難いのはお心で

ございます。成否どちらでも決心のほどが定まりますのでお伺いいたします。くれぐれ

もお返事お待ち申し上げます。まずはお願いまで。 かしこ

 

   6月9日

 この手紙をご覧の上貴意に適しませんでしたら直ちにご火中ください。

 先日はわざわざご光栄いただきかたじけないことでしたが何の風情もなく、ただ例の

わがまま勝手な話ばかりして実にお聞き苦しかったことと察し入ります。もしもお気に

障りましたことがありましたら幾重にもご海容を乞います。さてその節お話を承り、

あれかこれかと色々苦慮いたしましたが、金員のことですので何分よい良案も思い当た

りませんが、貴姉はどのようにご決断されましたでしょうか。それともほかに良策を

求められるのでしょうか。先日申しました通り、歌道は貴姉の年来の望みなのに一朝

活計上に困難を来たすことからこれまでの志を水泡にしてしまうのはいかにも残念至極

だと陰ながら案じておりました。しかし人生の最も大切なこの、衣食住の用度すなわち

金力とは、いかに志を遂げようとしてもこの金員に支えられなくてはどれほどの豪男も

どうしようもない次第です。まずこの用度を満たす金銭の才覚が最も必要ですので、

この為にご困苦の瀬に迫られているのは貴姉を愛する小生も傍観するに忍びなく、これ

らの金員は早くも小生が引き受けたいと決心はしましたが、またよく考えてみるといか

に交誼厚しといえどもいわれなく貴姉に援助する際、貴姉もこれを快しとはしないだろ

うと躊躇して今日に至ります。しかしながら小生は貴女の身上に対しあくまで助けたい

精神は山々ですから、ご遠慮なくご決心を内密にお漏らしくださいましたらその所存で

す。それいかんにより貴姉の目的を達するまでは貴家が安全に暮らせるよう小生が引き

受けます。

 もちろん貴女のご決心がほかになくこのようでしたら、貴女の身上を小生が引き受け

るからには、あなたの身体を小生にお任せ下されるつもりかそうでないかの点です。

右は甚だ思慮外の申し分ではありますが、実はあまりのあなたのご困難を察して過ごし

ており、これまでのせっかくの目的を今や廃止されようとする危急の場合なので普通の

良心に問う暇もなく、このように思いがけずも色に迷って貴意を伺う次第ですのでお咎

めなく、お返事お待ちしております。

 

   6月11日

 お手紙の趣きは誠にことごとく存じ得ました。当時申し上げました通りふとしたとこ

ろからご交際の熱度が強まり、あなたの親切なお話しにほだされて恥ずかしくも恋情の

闇に迷い、過ぎた思いを焦がし、艶めいたことを書いて差し上げましたが色よいお情け

のお洩らしにあずかれず、これはあたかも猿猴水月に望むと同一に(サルが水に映っ

た月を欲しがることと同じ)して到底思いの達するべきことはない次第とあきらめまし

た。しかるにこの度いろいろなお恨みごとを被りましたが、このような恥をさらして

どうしてあなたにお会いすることができましょうか。よくよくご賢察給わり、ただこの

上は拙者のごとき無教育者と交言するのは汚らわしいことだったとお恨みにならない

ことをひとえにお願いし、このような者に出会ったのも宿世の因縁と思し召しの上、

拙者の思情が届きましたら実に望外の光栄で、その嬉しさはほかならないのです。

夏子様