一昨年まで大島紬の織り子をしたり、奄美の島唄を習ったり、奄美居酒屋で働いて三線弾けば喜ばれたり、
職場趣味の場で年配、年少の親友を得て楽しく暮らしていた鹿児島から、親の介護の手伝いのため相性の悪い
愛媛に戻ってきた。やはり趣味の場ですらつまらなく、楽しみの島唄ものどを痛めてできなくなり、6月には
11年飼った猫を交通事故で死なせてしまって腐りきっていた私だった。何もする気になれず読書に逃避し、
一葉の世界に没頭したりして(桜玉吉の漫画も全部買って読んだが)三月が経ち、少し元気が出てきたところ
で知ったのが翠の生誕祭だった。結婚20 周年の久米島(紬)旅を計画していたので迷いに迷ったが、職場が
とうとうつぶれてしまい、久米島無理だしもー行ったろか!という気持ちになったのだった。
右の全集がこの夏大変お得に入手したコレクションの集大成(一葉宛書簡集が残っているが手が届かない)
ツアーでおもしろい人に出会うことを多少期待していたが(やかましいのにつかまることも覚悟)、監督の
映画ファンの集いの方々が半分近くを占めていた。ほか「第七」映画ファンの不思議ちゃん好き乙女、読書
老人(私も含まれる)、安ツアーにのったおじさん、翠を卒論にする子としたかった子、ドキュメンタリー
映画の女性監督(山川菊枝の映画作ったとか、観たい)、ちょんまげ先生とおつきの山高帽女性、ライター
など。読書老人とおじさんは2軒の旅館のうち、商人宿というものとはこういうものかという方の宿に配置
された。そこでは翠について一家言ありげな威圧をかけてきたおばさんが横で一晩中大いびきをかいて眠れな
かったりして、とってもつげ義春気分を味わえたのだった。やっと寝付いたとたんテレビの大音量で起こされ
た6時。海が近くて散歩できたのは僥倖であった。一家言については私も警戒されたらしく、スタッフに話し
かけてみたが敬遠された。なにか主張する気などなく、詳しい人から話を聞いてみたかっただけなのだけど、
無理もない…一人で来た変なおばさんだもの。たびたび参加している文学ばあさんも孤高のお姿。たまにおも
しろいことを言うので、バスで隣に座ったり、時々同道して孤独でないそぶりができた。自己紹介で言おうか
迷った末言ってみたことが全然受けなかったり、舞い上がって監督にいらんこと言いかけたりしたことなど
数々の無念を抱えて帰路に着く。1時間早く済んだので、昨日時間がないと思って買い、持ち歩いている大量
のお土産と灼熱のホームでその分待つ。この時間の電車に限り、乗り換えせねばならぬ寝てはならぬ京都行き
に乗り、無事乗り換えて岡山。やっとビールにありつき高松…愛媛に入ったとたん事故が起き、1時間半待た
されてヘロヘロで帰ったのだった。
とはいえ旅のほとんど、土産に買ったイカの足の干物(と岡山名物大手饅頭、ごめん鳥取)まで、大変満足
だった。私には鳥取県青谷に些少ながら縁があって、20年くらい前にテレビで青谷の最後の海女さん(ブーム
のだいぶ前)を見て弟子入りしようかと憧れたり、そして数年前ちょっと好きだった人が青谷の出身だった
(から好きになったのかも)りして(お粗末な始終であった)、翠の海に関する文章を読んでより感傷的な
気分を味わっているので、その風景を得たことは本当に嬉しいのです。