私は埼玉県にある大型公団で生まれ育った。
立て替わると聞いていたので上京の機会に行ってみたが、私の住んでいた棟はすでに
建て替えられていて残念無念であった。部屋から見たものと思われる木が駐車場(当時
は路駐だったなあ…)となった場所に残っていた。通った幼稚園と、そちら側にある棟
はまだその哀れな姿を残していて、7歳までの少ない記憶を思い出しながらシャッター
街になった商店街を見て歩く。3歳ごろ鏡に激突した洋服屋の建物が残っていた。
飴細工屋が通学路にいたなんて江戸時代みたいな話、戦前生まれの親を原始人と呼んで
いるが自分も変わりない…。
駅の反対側に深沢七郎のお団子屋があったそうだ。両親は数度行ったと聞いていたの
で、自分も抱かれて行って頭を撫でてもらったにちがいないと思っていたら、連れて
行ったことはないとのこと。がっかり。
父がおせんべ買うためによく行った西新井大師に寄ったら、正月3日だったので大混
雑。塩に埋もれたお地蔵さまなど見たかったが並ばずにおせんべだけ買って帰る。
団地の子は身も心も団地サイズと小学校の先生に言われたものでした。