一葉日記

文月17日

 みの子さんの家で月次会があった。母が道案内をしてくれると一緒に、昼前に出た。

高等中学校の横の坂を下ったところで雨が少し降ってきた。空には薄墨色の雲がもくも

くと湧き立ち、道行く人が「夕立が来るだろう」と言っている。真下まき子様の墓が

谷中にあるので、母と一緒に詣でようとしているところで空は真っ暗になり、とうとう

雨が降ってきた。ここで母と別れる。みの子さんの家はすぐ向かいの道にあった。

10人ばかり集まった。

20日

 今日は土用の入りの三日目で、土用三郎と言うのだそうだ。この日の天気は農作物に

影響があるとのことで、人々は空を見上げて心配している。朝から曇っていて昼過ぎに

少し降った。さしあたってどうということはないように思えるが、ことわざは気になる

ものだ。雨のためか今日は風が涼しく、しのぎやすかった。

21日

 朝から雨が降る。昼過ぎに稲葉様が来た。「いよいよ落ちぶれて車引きになりまし

た。」と話す。悲しいことばかりである。5時頃帰った。その夜地震があり5分ほどで

止んだ。夜に入って雨はさらに降った。新聞の号外が来て蜂須賀様が貴族院の議長に

なり、富田鉄之助様が府知事になったとのこと。

22日

 朝から雨。今日の新聞に下田歌子様が加納様に輿入れされたとあった。午後1時頃

中島先生から葉書が来た。着物の仕立ての依頼だったので、すぐに行って反物を持って

帰り夕方まで縫物をした。暮れてから邦子と買い物に出かける。今晩は毘沙門天の縁日

だったので人出がすごかった。女郎花や朝顔の鉢植えが多く売っていた。帰宅後雨が

強くなった。久保木の姉から魚を少しもらう。魚釣りに行って来たそうだ。

23日

 朝から晴れて、日差しが大変暑い。午前中浴衣一枚を縫い上げた。昼過ぎに上野の

伯父が来たので昼食を出した。いろいろな話があった。4時過ぎに帰る。夜になって

から野々宮さんと吉田さんが来た。野々宮さんは試験休みとのこと。11時頃帰った。

今晩は夜なべ仕事はなし。

24日

 晴天。昼前に掻巻に綿入れをした。午後から西村さんと菊池のお政さんが来た。西村

さんは3時、菊池さんは4時に帰る。菓子折りをいただいた。日没頃針仕事が終わった。

この夜は1時に就寝。

25日

 晴天。今日は小石川の稽古日。昨夜仕上げた縫物に火熨斗を当ててから出る。田町

から車を雇って行くが少し遅刻してしまった。すでに4人ばかり来ていた。昼頃みな

帰ったが2、3人残ってもう1題詠み交し、3時頃帰宅。頭が痛くてどうしようもなく

苦しかったのでこの夜は10時に布団に入った。恐ろしい夢を見て怖かった。頭痛の

ためだろう。

26日

 不忍の池の蓮、入谷の朝顔が花盛りだという。

28日

 昼は晴れ。夜になって雷雨がひどくなり、11時頃には屋根を叩きつけるように降っ

た。夜更けて止む。

29日

 空は晴れ渡り、爽やかな風が吹く過ごしやすい日。昼過ぎに母が神田に行く。その頃

から曇って来て大粒の雨が降る。帰る頃にはまた晴れた。夜10時くらいから雷雨がひど

かった。

30日

 今日の新聞によると、横浜では昨夜大雷雨だったということで、東京だけではなかっ

たらしい。地方では洪水もあったようだ。恐ろしいことで心配だ。今日は春木座の

棟上げの日。午後からずっと浴衣を縫い、夕方までにほとんど仕上げた。三枝信三郎

さんが来て、いつものように母にお土産をいただく。夜になって雨が降った。

31日

 晴天。浴衣が縫い上がる。午後から書き物をした。明日は小石川の稽古日なので、

1時頃まで起きていた。

葉月1日

 晴天。朝6時半に家を出て小石川に行く。誰も来ていなかったので、先生としばらく

話をし、お菓子などいただく。次の仕立物を頼まれる。10時頃に仲間が揃った。大方の

人は避暑に出かけているのでそう多くもなく10人くらい。お題は2つ。2時頃にみなが

帰った後、また先生と話をして3時頃帰る。前島さんから饗庭篁村「むら竹」と黒岩

涙香の小説など12冊借りる。この日は佐々木先生(医者)の代理で岡村さんという人

が、先生に貸した吸入器を取りに来たのだが、それが見当たらず大変困っていた。

また、きねという女中が暇を取って故郷に帰ると言っているが、先生は不自由になる

ことをそれほど心配していないようだ。家に着いたのは3時過ぎだったがいつもの小説

狂いで、夜10時頃までに10冊くらい読んだ。物好きなことである。邦子は関場さんから

反物をいただき、何度も取り出しては眺めていた。よほど嬉しかったのだろう。この夜

山下次郎さんが来た。弟の直一さんが大病しているとのことで、布団を縫ってほしい

との依頼だった。

2日

 晴天。母が山下さんへ見舞いに行く。9時ごろ稲葉様が来た。午後父親の山下信忠

さんが来て、直一さんの病気について母と相談があるようだったが、留守なので何度も

よろしくと言って帰って行った。母は4時頃戻った。

3日

 晴天。稲葉様が来た。姉も来た。母は岩佐に内職の話に行く。午後母が近所の子供に

何かやったので大喜びしているとのこと。邦子は蝉表を編む内職をしているのだが、

腕が一番よいと褒められたそうで、「今晩はお酒がいつもよりおいしい」と大いに酔っ

ていた。邦子と二人で湯島に買い物に行く。山加屋で布を、中島屋で紙を買い、兼安で

小間物などを揃え、日が暮れてから帰る。

4日

 早朝稲葉様が息子の正朔君を連れて来て、預かってほしいと言う。「今日一日なら」

と言って預かる。午後母が山下さんにお見舞いに行った。

5日

 朝小雨が降ったがやがて晴れた。稲葉様が来て「正朔を夕方まで預かってください」

と依頼された。午後江崎牧子さんから葉書が来る。邦子と一緒に安達さんに暑中見舞い

に出かけた。頭痛の話をすると伯父さんは「くれぐれも読書したり物書きなどしない

ように」とおっしゃった。「脳は神経の集中するところなので、病がそこで収まらず

他の病気を呼び起こすこともある。または血が滞って思わぬ災いが生まれることもある

のだから、あまり悪くないうちに養生しなくてはいけないよ」と自分の経験を例えて

戒められたので、よく承って帰った。「夕食を食べて行きなさい」と言ってくださった

が「不忍の池の蓮を見に行きたいので」と早く出る。このことは別に記す。池の端を

回って大学を通り抜けて5時頃帰った。この夜稲葉様がまた来て、明日の朝まで正朔君

を置いてほしいとのことだった。

6日

 晴天。早朝より運動しようと付近を散歩した。帰って家の周りを掃除。

7日

 昼晴れる。夜になって雷雨。土用の明けとのこと。この夜は徹夜した。

8日

 早朝中島先生から手紙が来て、このところ腸カタルになって腹痛がひどいので今日の

会は休むとのことだった。依頼された浴衣が出来上がっていたので、それを持ってお見

舞いに行く。そうひどくはないとのことで、また綿入れを仕立ててくれと頼まれた。

帰宅したのは9時頃で、「今日は図書館に行こう」とまた出た。

 空は一点の雲もなく、焼くような太陽の光、道には煙のように埃が立って暑い暑い。

大学を抜けて池の端に出ると、茅町あたりから蓮の香が漂って来てすがすがしい。

「ひろごりたるはにくし(長く伸びてしまってはにくらしい)」と清少納言が言った、

(柳は「まゆのこもりたることこそをかしけれ」ふわふわの芽のうちがかわいいのに)

夏の柳が岸になびく影も涼しく、ましてや水面が見えないほど紅白に咲き誇る蓮の花

や、吹き渡る風が蓮の葉をひるがえすのは見るも気持ちがよい。蓮根取りの舟がつなが

れているのは興ざめである。競馬場の柵があるのも醜く、つまらない思いで見ていると

古びてところどころ破れていたのでいささか気分がよくなったのは、ひがみ心故だ。

東照宮の石段を上るとさっと吹き下ろす風に杉の葉の露がこぼれてきて涼しく、ここ

だけは夏とは思えない。図書館は例によって狭いところに押し込められるので、さぞ

暑いだろうと思っていたら、屋根が高くて窓が大きく、風がよく通って寒いくらいだっ

たので嬉しかった。いつ来ても男性ばかりで女性が一人もいないのはおかしなことだ。

多くの男性の中に交じって番号を調べ、書名を書いた貸出表を持って行って「これは

違うので書き直してください」などと言われると顔が熱くなって体が震えてしまう。

ましてや顔を見られ何か言われていると思うと、心も消えるようになり大汗をかいて、

何か読むような気持にもならなくなる。弁護士試験が近づいているとのことで、法律書

を調べている人がとても多い。思い通りの本を借りて、読むだけ読んでいると長い日が

もう夕暮れに差しかかっている。庭の梢にヒグラシが大きな声を立てていて、お寺の鐘

がかすかに聞こえる。窓に入る夕陽の光も薄くなってびっくりして部屋を出ると、大方

の人が帰ってしまっていた。本を返して門を出るとカラスが群れてねぐらに帰るのが

見える。「今日は早く帰りなさい、昨夜も一晩中寝なかったのだから疲れますよ」と

言われていたのに忘れてしまって、とても遅くなってしまった。近道して谷中から帰る

ことにした。西日もだいぶ影になり、赤みが残るばかりとなっているので「明日天気に

なれ」とおかっぱ頭の子が歌う声も急ぐ身にはせかされるように聞こえる。床几を家の

前に出して、洗い立てののりがかかった浴衣を着て、胸元をうちわであおいでいる人は

行水したばかりなのだろう。10歳くらいの女の子が天花粉をまだらにつけて、あせも

ができて同じく頭を真っ白にしている3つくらいの子をおんぶして歩いているのも風情

がある。片町という所にある八百屋に新芋が出ていたので土産に少し買う。急いだので

大汗が目にも口にも流れるのをハンカチで拭ってばかりいるので、顔が痛くなってしま

った。薄暗くなってきて人から見られるのも煩わしいので、傘を深く差した。陸橋の下

を過ぎると若い書生たちが群がり欄干に寄りかかって見下ろしていて、何やらささやき

笑い合っている。知らん顔して急いで通り過ぎようとすると、みなで手をたたいて

「こっちを向け」などと言う。どんな気持ちでいうのか、学問をする人のすることかと

思って腹が立つ。帰ると母が外に出て待っていてくれた。妹は夕飯の支度を忙しくして

いる。「ただいま」とあいさつをする下から「さあ、帯を解いて着物を脱いで。暑かっ

たでしょう、疲れたでしょう。お湯が沸いているから浴びて来なさい」と行き届いた

ことを言ってくれるので、本当にありがたく嬉しい。汗になった麻の着物を脱ぎ、行水

して出れば、洗い立ての浴衣を出して「留守の間に洗っておいたから着かえなさい」と

言う。妹は「お姉さん見て、あなたの好物ばかりよ、お芋も炊きました。さあ食べまし

ょう。」と勧めてくれる。空腹で長い道を歩き、とてもとてもお腹がすいていたので、

なにもかもおいしく、楽しくいただいたのだった。

9日

 江崎牧子さんに返事を出す。甲府の伊庭氏と北川秀子さんに葉書を出す。邦子の帯を

一本入手。昼過ぎ植木屋が御用聞きに来たので、建仁寺垣を結い直してもらうよう頼む

と、明日から取り掛かってくれるとのこと。洋傘2本張り替えに出す。一つは甲斐絹の

二重張り、もう一つは毛繻子の普段使い、2つで一円十銭。

10日

 早朝から植木屋が来た。