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卯月1日

 上野さんが清次さんを道連れに来た。日没少し前に帰宅。この夜本郷通りに遊びに

行き、「文学界」の3号が発売されているのを知った。今日から「読売新聞」を取り

始める。

2日

芦沢さんが来た。終日雨。夜が更けてから車軸を流すように降った。この日邦子は吉田

さんに会いに行った。悲話がいろいろあった。

3日

 空は晴れ渡って大変心地がよい。母は安達さんへ行く。久保木さんが来る。この夜

伊勢屋(質屋)に走る。忘れていたこと、甲州の広瀬さんに裁判の書類を3月31日に

出した。

5日

 早朝夏子さんから「暁月夜」を」評する手紙がきた。この夜萩野さんを訪ね、松浦

美智子さんの艶聞を聞く。夜を通して雨が降った。秀太郎が青山(奉公先)から帰っ

た。

6日

 夜にかけて雪が少し降った。早朝広瀬さんから返事が来た。雨が止まずとても寒い。

星野さんから葉書が来て「文学界」3号に出した小説の評判がよいとのこと。5号か

6号に執筆をお願いしたいとのことだった。桃も咲いて、彼岸桜もあちこちでほころび

始めた。上野も隅田川も次の日曜日までは持つまいなどと聞くと、とても惜しい気が

する。今の仕事をし終えたら花見に行こうと決めていたのに、折り悪く寒くなったので

みな侘しがっている。あと7日ほどこのままであってくれたらと願ってはいるが、難し

いだろう。

  何となく硯にむかふ手ならひよ おもふことのみまづかかれつつ

   手習いをしようと何となく硯に向かうと、思いが先に筆から流れ出てしまう

  しらじらし花に木づたふ鶯の しの音に鳴てものおもふとも

   つれない花の枝を伝う鶯が、物思いするかのように忍んで鳴く

  しられぬもよしやあし間のうもれ水 ながれてあはん仲ならなくに

   葦の間を流れる水のことは知られなくてよい 合流することはないのだから

  うら山し夕ぐれひびくかねの音の いたらぬかたもあらじとおもへば

   夕暮れに響く鐘の音がうらやましい、至らないところはないのだから

   (あの人の家に入れるのだから)

  春にあふかき根のさくら中々に 花めかしきがやましかりけり

   春の桜の華々しさが後ろ暗く思えます

  春雨のふりしに中よわか草の またもえ出てものをこそおもへ

   春雨の降る中 若草が萌出でるのを見るともの思いする

  春雨はふりにふれどもかれ柳 いかがはすべきもゆるかたもなし

   春雨が降りに降っても枯れた柳はどうにもならない

  いたづらにもゆる計ぞわか草の つみはやされんものとしもなく

   摘み取られた若草は 無駄に萌出でてしまった

 

 昨年の春は花の下で失恋の人となり、今年の春は鶯を聞きながら失恋の人を慰める。

  恋やあらぬわが身ひとつは春鳥の あらぬ色音にまたなかれつつ

   恋ではなかった私の前に、また空しい恋に泣く人がいる  

 桃の盛りにその人の名前を思い、

  ももの花さきてうつろふ池水の ふかくも君をしのぶ頃哉

   桃の花が咲いて池に映っている その深くであなたを思う季節だ

 

7日 晴天。昼過ぎから嵐となり大雨が降ってものすごかったが、一時で止んだ。

8日

 晴天。山下直一君が来て数時間遊んで帰る。この日は母菊池さんの墓参りに行った。

9日

 晴天。日曜なので芦沢さんが来た。三枝さんが借金のことで来たが、あまり催促も

せずに帰った。久保木の姉が来て夫の長十郎さんが風邪で寝込んでいるとのこと。夕方

母と湯島辺りまで散歩した。この夜は1時過ぎまで起きていた。

10日

 大変寝坊した。起き出すと雨だがとても暖かい。午前中母が久保木と菊地さんに風邪

のお見舞いに行く。高等中学が今日より始まったと聞いて、そのついでに禿木君が来る

だろうと心待ちにしていたが来なかった。一日雨だった。

  山ぶきのみのなき宿と春雨の ふりはへてしも人のこはぬか 

 しばらく誰も訪ねていないので、

  くれ竹の友がきいかに荒れぬらん ふしの間どほに成れるころかな  

 花の盛りもあと1日2日と聞いて、

  春雨はたもとばかりかかる哉 いざ花にともいひがたきころ

 なみ六茶屋が今日から開店すると聞いて、

  隅田川花に計とおもひしを ふでに狂へる人も有けり

12日 小石川に行く。

13日 この夜吉原で失火、揚屋町。

14日 図書館に行った。この夜稲葉さんの吉報を聞く。

15日

 藤本藤蔭さんを訪ねる。半井先生の消息を聞いた。この夜おこう様が来て、稲葉さん

が就職したが、着るものがないので西村さんに貸していただきたいと母に仲介を頼みに

来た。邦子と根津から天王寺辺りを歩いた。

16日

 家の門を直しに大工が来たが急に雨が降り出し、取りかからずに帰った。昼過ぎから

晴れた。

17日

 晴れたが大工は来ない。母は午後上野東照宮に参詣に行った。安達さんと大工の稲垣

長太郎さんが草餅を持ってきた。奥田の老人が伊勢から帰ったとやって来た。送りがて

ら邦子と一緒に3丁目まで行った。大学の前から阿部邸を抜けて帰宅。この夜、榊原邸

から東照宮の祭典のお料理をいただく。私がここ1、2回小石川を休んだので病気では

ないかと案じているという常姫様の歌が添えてあり、使いは帰った。この日吉原角海老

主人宮沢平吉の葬儀が谷中であった。「岩崎弥太郎の葬儀以来の賑わいだった」と見た

人が言った。

 今住む家は元中島何某という文部省に勤める人が住んでいたが、しばしば泥棒に入ら

れたので「おかしな家だ」と引っ越そうとしていたところ、それ以前より隣に堀川と

いう測量技師の若夫婦が住んでいて、大変つつましく世を送っているように見えたの

だがそれが泥棒で、最近つかまって牢屋に入ったとのこと。中島さんはその後引越した

がどうしているだろう、垣根一重隔てた隣に泥棒が住んでいるなどとは知る由もなく、

たくさんの人を疑い、世を恨んで気が狂ったように見えた中島さんの妻のような人は

この世に少なからずいるだろう。

18日

 快晴。家の普請にかかった。山下次郎さんが熊谷からいらしたので昼食を出す。家の

裏に住む4つくらいの子供が3人行方知れずになったとのことで人々が騒いでいたが、

しばらくして田町のはずれの方で遊んでいたとのことで見つかった。その間の親の苦し

みを思いやった。この夜邦子とお互いを揉み治療し合って早く寝た。

19日

 晴天。関根只誠翁が昨日の18日に亡くなったと新聞にあった。ぜひお葬式に行き

たいのだが香典をどう捻出しよう、家は貧乏極まりなく米の代金さえ手に入れることが

難しいのだ。邦子が「私の着物を持って行けばそのくらいになるでしょうから、さあ」

と促す。「姉さんは物事の決断ができずにぐずぐずするから腹が立つ、早く決めなさ

い」としきりに責めたてる。母も同じだ。私もそうは思うのだが、着物をほとんど売り

尽しているのにさらに失うのはつらいのだ。「お葬式にも行かねばならないが、それよ

りも明日の米にも事欠いているのに他人事に関われるような身ではないではないか。

結局夏子が意気地なしのため収入の道がないからだ。こんなことでは先が思いやられ

る」とさんざんののしられる。邦子も私の優柔不断をしきりに責める。

  我こそはだるま大師に成にけれ とぶらはんにもあしなしにして

   私こそ達磨大師になってしまいました、お弔いにいこうにもおあしがないのです

 昔中国の荘子という人がある人の葬儀に集まった多くの人を見て、亡くなった人を

疎しいと思ったとか。一休和尚のしゃれこうべの絵巻もしかり(元の身は元のところへ

帰るべし、いらぬ仏を訪ねばしすな)。邦子と相談して西村に金を借りに行き、母の

言いつけという言い訳で1円借りてきた。芦沢さんが来て、明日から10日間演習で

習志野に行くとのこと。午後から母は関根さんの葬式に行った。夜風呂へ行った。

20日

 晴天。午前中母は奥田の老人を訪ねた。午後広瀬七重郎さんが裁判のことで上京

した。今日中に帰るとのこと。この夜は母と散歩した。寝たのは12時、大雨になった。

21日

 晴天。「私の心から出たことなのだから、忘れようとして忘れられないことがある

ものか」とひたすらに忘れるよう念じているのに、面影が身に迫るように目の前に立ち

ふさがってとても耐えられない。ふとするとあの時の、消毒の匂いが漂っているような

気がして、思いつめるとはこういうことなのかと恐ろしい。あの六条の御息所の浅まし

さを、無下に嘘とは言えないと思った。

  おもひやる心かよはばみてもこん さてもやしばしなぐさめぬべく

   思う心が通じたならお顔を見てきましょう、しばらくは慰めになりますから

22日

 晴天。小石川の稽古に行く道すがら半井先生を訪ねる。小石川はいつもの如く。午後

田辺君子さんが来て、龍子さんが懐妊したと中島先生に知らせに行ったとのこと。

23日

 晴天。芦沢さんから習志野に着いたと連絡あり。この夜龍子さんから『文学界』3号

が送られる。稲葉のおこう様が見えた。

24日 

 晴れてはいるが風が冷たく心地が悪い。甲府の伊庭隆次さんと岩手の野々宮さんから

手紙が来た。夜それぞれに返事を書く。11時過ぎる頃天地を返すような雷雨、すさまじ

いことは言葉にならないほどだった。やがて雹が降り出し屋根に小石を打つようだっ

た。15分ぐらいで止む。雹の大きさは3分位のものもある。川のようになった雨水の中

にざくざくと漂い、すくえば一度に一合ほども取れそうだ。こんなことは初めて。

25日

 早朝は晴れていたようだが6時過ぎてからどんどん暗くなり、昨夜と変わらないよう

な雷雨でしばらくは戸も開けられない。雹も少し混じっていたが、昨日ほどではない。

何度も訪れる雨のすごいこと。雷は頭に落ちるかというほど轟いて恐ろしい。机の上で

お香をたいて母は「くわばら、くわばら」と言っている。閉じていた雨戸を一寸ほど

開けて邦子は静かに「徒然草」を読んでいる。少し静かになったが、私は机に寄りかか

ってあれこれ思う内に頭痛がはげしくなり、雷雨の恐ろしさもわからないほど何も耳に

入らなくなった。魂がどこにさまよっていたのか、一時間ばかり夢の中にいるようだっ

た。ふと覚めると雨戸をもれる日差しがはっきりしてきて、そのうち空は名残なく晴れ

渡った。午後また少し雨が降ったがやがて風になった。頭痛があまりにひどいため、

胸までも苦しさが迫って狂おしく、布団をかぶって伏せったまま日が暮れたのもわから

ずに8時過ぎるまで寝ていた。

26日

 晴天。後屋敷村の佐久間さんから手紙が来た。母は安達にお見舞いに行った。姉が

来た。夕方邦子と散歩、田町から丸山に登って、阿部邸から本田邸を通り本郷の通りの

勧工場を2つ見てきた。11時半就寝。

27日 晴天。禿木さんに手紙を出す。

28日 母と丸山まで運動に歩く。

29日

 早朝小石川から「今日の稽古にはぜひいらして下さい」と手紙が来たので、支度を

して行く。伊東さんも来ていた。来会者は30名以上いた。片山さん、山名さん、吉田

さんなど珍しい人も来ていた。芹沢三雪さんが白井何とかさんという入門者を連れて

きた。斉藤何某さんの奥様となった太田竹子さんも来た。西片町に住んでいるとのこと

で我が家を訪れたいと言う。今夜は鍋島家で夜会があるので中島先生は行く支度をして

いた。私とみの子さんは人々に遅れて帰る。この夜母は稲葉様へ行く。

30日

 晴天。芦沢さんが習志野から帰営したとのことで来た。久保木さんも来た。『文学

界』4号が届いた。5時頃根津神社の境内につつじを、上野公園に藤を見に行く。どちら

もまだ満開ではなかったが、新緑の木陰は大変麗しかった。日没少し過ぎて帰宅。大工

の稲垣さんが来た。おこう様も来て母と一緒に西村へ行き11時頃帰宅。

皐月1日

 晴天。今日は浅草観音の御開帳中廻向で、天童供養があるとのことなので母にお参り

を勧める。「西村のお母様が来ると言っていたので留守にしているのもどうか」などと

言っていたが、昼過ぎても来る様子がないので1時頃に出かける。久保木さんが来た。

母は6時頃帰宅。おこう様が着物をもらいに来たので邦子が浴衣を渡した。

2日

 晴天。望月の奥様が利子を持ってきた。菊池の奥様が来て母と一緒に摩利支天にお参

りに行った。家主の西本さんが垣根を結い直すのが遅れると言いに来た。今月も伊勢屋

に行かなければ用が済まない。小袖を4枚、羽織を2枚を風呂敷包にして母と持って

行く。長持ちに春隠れ行くころもがへ(西鶴)とかいう句を聞いたことがあるが、その

風流とは全く違うのでおかしい。

 (質屋の)蔵の内に春隠れ行くころもがへ