通俗書簡文

 脚注のない原文を訳すので間違いがより多くなりそうですが、どんなことを書いて

いるのか楽しみに訳していきます。

 

 手紙の文はそれほど大げさに選ばなくてもわかりやすく素直な言葉で、思うことを

言い表すように書けばそれほど難しいことはありません。言葉の自由を得たら言おうと

思うことも自分の心なので自然に、上手に書こうとしなくても出てくるようになるでし

ょう。この文は初めて学ぶお友達のために選んだもので、夕月夜の(道の)ようにたど

たどしく、道しるべになどというほどのものではないのです。      夏子記す

 

 新年の部

   年始の文 格式ばった文章で訳すとおかしくなるので割愛。

 

   年の初め友に送る

 初日の出がとてものどかな年になりました。この明け方は軒端に霜さえ見えず、さら

に風もない大路で羽突きの音がするともう(あなたに)心惹かれる思いです。お会い

したのは一昨日の夜でしたが不思議にずいぶん前のような気がして、どうしているかと

昨夜は待ち遠しく、若水(年の初めに汲む水)はあなた自らが汲んだのでしょうか、

末の妹さんが汲んだのでしょうかと思いやられます。暮れにおっしゃっていたお召し物

や帯のことなど、今にも行ってお見立てしたいのですが、今日は女が出かけるような日

ですかと諫められてしまい、少し様子を見ながらも躊躇してしまいましたので、約束し

たのにとお怒りでしたら悲しいです。いつもお贈りしている鉢植えの梅も今年は花が

少ないようでお見苦しいのですが(友情の)変わらぬお印として。例の(新年の)

お祝いの言葉は今度お会いした時に。

   同返し

 こちらこそ先に(ご挨拶を)と思っていましたのに、お屠蘇などの座の取り持ちなど

をしているうちにお文をいただき、遅れてしまったことを恥ずかしく思います。梅の

香りにこれこそが新春の誉れだと一同大変ありがたがり、お礼をよろしく申し上げて

くださいとのことでした。お返しとしていつもの甘露煮を、お重の片隅にでも入れて

いただけましたら嬉しいです。こちらでも、一つ年を取ったのだからもう少しおとなし

くしなさいと家人に戒められて、羽を突くこともできずに妹たちのすごろくの相手など

しております。待ちかねていたかるたは今宵より皆さまを呼び集めますので、お許しを

いただいて必ず必ずお越しくださいませ。その時に千歳の寿ぎを申し上げ、あなたの

ご挨拶を承りますが、まだ二年(待つような)の心地でいます。

  

  新年会断りの文

 新年に早々とご挨拶にいらしてくださった上、素晴らしいお年玉をいただきまして、

深く御礼申し上げます。お急ぎとのことでお屠蘇を差し上げることもできなかったこと

が今も残念です。その折おっしゃった明日の会について、最近お目にかかることも稀に

なった旧友の方々が打ち揃って一日のどかに遊ぶとのことで、私のその数に加えていた

だいた嬉しさ、何があっても行きますとお答えしておりましたが、昨夜より別宅にいる

隠居の体調が少しすぐれず、風邪でもないのに熱があるのです。大したことはなさそう

ですが老人のことなので軽々しく思わないようにと医者からも言われておりますし、ご

存じのように子供のようになっておりますので少しも私を傍らから離さずに、食べ物の

注文など様々なことを言いつけられます。右のような有様ですので、せっかくの仰せに

背くのは失礼と存じながらこの度はお許し願って、また秋の折に参加させてください。

皆様にはあなたからおとりなししていただいて、お気を悪くされないようお伝えくださ

い。誰さま彼さまの姿が大人びたなどと承って、限りなく懐かしく思われます。寄り合

いが終わってお暇があったら一筆いただけましたらと、大変わがままなお願いですが

(お待ちしております)。

   同返事

 ご隠居様のご容体はいかがですか。お手紙を見てすぐにもお見舞いに行かなくてはな

らないのに、幹事というようなことになって何かと会の用事が多くて今日までお返事を

差し上げなかったことをお許しください。お熱は少しは下がったでしょうか、本当に

そのような容態がはやっているとのことで、あの日お断りされた人も多かったのです。

この蜜柑は雲州(出雲)の知人からいただいたものです。甘くもないようですが舌が

お渇きかと思いますのでお送りいたします。とにかくお大事にしてくださいませ。

私だけでなくあの日寄り合った人たちからのご伝言です。久しぶりにあなた様にお会い

できると喜んでおいででしたが、その甲斐なく悔しがった人も少なからずおりました。

他の用事でおいでがなければお恨みしましょうが、ごもっともなことですので皆様秋の

折を待ち遠しがっていました。夕方から雪が降り出したので暗くにならないうちに散会

し、あなたがうらやましがるかるた遊びはしませんでした。詳しくはその内折を得て

お聞かせしますのでくれぐれもご老人様をご大切に、陰ながらお祈りしております。 

 

   かるた会の翌日忘れ物を返す際の文

 昨夜は太郎さまをよくお貸しくださいました。おかげさまで最近になくおもしろく

遊ぶことができました。とても元気のよいお子様だと昨夜の仲間がお褒めしておりまし

た。早くに帰りたいとおっしゃっていたのにもう少しもう少しと無理にお引止めして、

ついあのような夜更けになってしまい、お宅ではいつも同じ時刻にお休みでしょうから

さぞかしお眠かったことだろうとお詫び申し上げます。昨夜、かるたで盛り上がった時

これは邪魔になると懐中時計を床の間に置いていたのを、人々の乱暴が危ないので私が

お預かりしていたのですがお帰りの時に全く思い出さず、今箪笥に用があって初めて

見つけたところです。直ちに人に頼んでお返ししますのでお受け取り下さい。私が黙っ

てお預かりしていましたので万が一落としてしまったと心配していらしたならいよいよ

申し訳なく、返す返すお詫び申し上げます。太郎さまによろしくお伝えください。

   同返事

 わざわざ人に頼んで時計を返してくださってありがとうございます。せがれこそいつ

もいつもお邪魔してはご厄介になり、昨夜も送ってまでいただいてこちらからこそお礼

を申し上げなければなりません。どんなにおもしろいお仲間だったかと帰って後、床に

入ってからも話し続けて、誰さまに幾度負けたの彼さまはおずるい遊び方をするなどと

繰り返し繰り返ししておりました。時計のことは、お預かりしていただいたのかとお使

いが来て初めて気がつきまして、本当に本当に恐れ入ります。興にまかせてお仲間さま

方にさぞ失礼をいたしましたことでしょうからお詫びをよろしくお伝えくださいませ。

そのうちこちらにも一晩寄り合ってくださいましたらありがたく、太郎もしきりに願っ

ております。お礼まで。

 

   田舎の祖母に寒中見舞いの文

 今朝は風が激しくて、北向きには窓さえ開けられないほどでした。都でもこのように

寒いのにましてや山おろしはどんなにかと父母ともどもお案じ申し上げます。ご様子を

伺おうと話し合い、あまりに懐かしいのとこの寒中をどうやっておしのぎしているのか

伺いたくてお手紙を差し上げたく思っていたので、この度は私がと申し出てしたためて

おります。おばあさまはこの寒さでもお障りなくお過ごしですか。お歳暮に伯父さま

からお文をいただき、この節いよいよお健やかで、叔母さまさえ及ばないほど家内の

御用をお気軽にされていると承って、父母はじめ私どもは嬉しく嬉しく、この春花の時

には兄が御地に迎えに上がってお誘いして、上野や墨田川の人出をお見せすることも

できるのではと一同勇み立っております。あと十日ほどで寒は明けますが、余寒はなお

(寒い)といいます。お体を大切に、風邪をお引きにならないようとのみ願っておりま

す。形がおかしいのですが私が縫った綿衣を小包便でお送りいたします。お召しの衣の

下にお重ね下さい。母よりは栄太郎の梅干(飴)を差し上げます。いずれも二、三日中

には着くことでしょう。東京では誰も彼も変わることなく、父がかねてよりうすうす

申し上げておりましたお役替えが新年早々にありましたのでお喜びください。これは

お年始を出した時に申し上げるべきでしたが遅れてしまったのでお前から書いてくれと

の言いつけです。どなた様にもよろしくお申し上げ下さい。

   祖母に代わって従妹より返事

 お文は今日の午後着きました。学校から帰ったばかりで包みも解いていないのに、

おばあさまがせかしてひざ元へ呼びこの文を読むようにとお仰せられ、繰り返し読み

聞かせますと笑顔になったお顔、それはご覧に入れたいようでした。本当におっしゃら

れるように今年の寒さは近年にないことだと人々は話し合っておりますが、おばあさま

の元気なことといったら生半可な若者など及びません。お耳は少し遠くなりましたが

それは長生きの印だと人が申しますのでご案じくださいませんよう。寒さで弱るなど

全くなく、この朝も霜を踏んで、村はずれのお地蔵さまに毎日のお勤めを欠かしません

ことからおおよそのことは推し量っていただけるでしょう。綿衣を送っていただいた

ことを言うととてもとてもお喜びになられ、近隣の人々に吹聴しては大自慢しておりま

す。例の甘いもの好きですので飴を待ち遠しがっている様子は子供のようで、明日着く

か明後日着くかとおっしゃっています。お礼を父や母からとは別におばあさまからの

ご伝言は山のようにありますが田舎者なので筆が足りず、ただおばあさまのお変わりな

いご様子だけを申し上げ、最後になりましたが伯父さまのご出世には、私たちまで光が

添えられたようで嬉しく思っております。おばあさまはさっそくお地蔵様へお供えを

するとのことです。まずはお返事まで。

 

 春の部

   余寒見舞いの文

 暦をめくれば春の日に入ったようですが、梅やうぐいすなどかけても思い寄らない

寒さですが、いかがお過ごしでしょうか。夏の暑さには汗も見られないおうらやましさ

ですが、それに引き換えいつもこの季節をつらくお思いのことと存じます。さらに昨日

からの雪にお差しさわりがないかとご案じしております。どのようにしておられるか

お知らせくださいましたら嬉しく、この甘酒は人に教えられて初めて試みたお手製です

から、お味の方は怪しいのですがお笑い種にお送りいたします。入れ物はそのままお預

かりください。ご様子伺いまで。

   同じ返事

 雪の上を吹く風の寒さに、春はこたつの中だけだと思っている時にお文と好物をいた

だき、お情けの温かさが身に沁みて余寒の寒さも忘れるようです。お察しのように人一

倍の寒がりなので、老人のようだと笑われながら引きこもって一日火鉢をよい友として

暮らしているのはいつもと同じですが、幸いに今年は持病の咳が起こらず大助かりで

す。やがてお伺いしてお礼を申し上げたく、池の氷が岸を離れる時を待ち望みながら

お返事まで。 

 

   初午に人を招く文

 立春になってまだ幾日も経ちませんが、心なしか風が寒くなくなったようなのどかな

心地がいたします。昨年の今頃は何かと雪が降って、道がとても悪いままのお稲荷様の

お祭りで初午の日はなおひどく、二の午の日も同じことで延び延びとなり、とうとう

なしとなって終わりましたので子供が悔しがって、一年中恨まれて大いに弱りましたの

で今年はどうなるかと心配しておりましたが、あさっては折よく日曜に当り、最初の午

の日ですので明日からは神社の太鼓を打ち鳴らす心構え(子供たちが)をいたしており

ます。いつも通りの騒がしいばかりで何のお慰めにもなりませんが、地口(戯画を描い

た)行灯などの趣向もあり、長屋中の若い者が集まって作っておりますのでお坊ちゃま

を連れて泊りがけでいらしてくださいましたら嬉しく、お相手にお屋敷に上がっている

娘を呼び寄せますので、必ず必ず(おいでくださいますよう)お待ちしております。

   同じ返事

 どこも同じ子供心をお笑いください。こちらの末のいたずらっ子(達)もかねがね

指を折ってはよそ様のお祭りを待ち遠しがり、今年は雪が降らないようになどとわがま

まなお願いを言い合っておりましたところなので、お文のことを聞かせましたら躍り

上がって喜んで、明日は必ず連れて行かせておくれと迫っております。お言葉に甘えて

夕方から二人でご厄介をお願いしますが、ご遠慮なくお叱り下さい。一晩お囃子の

お仲間に加えていただきたく、私も参って久しぶりにお嬢様にお会いしたかったのです

が、良人の杉田が梅見に誘われ私は留守番を言いつけられましたので、心残りですが

子供だけを出すことにしました。不器用なものですがお煮しめのお付け合わせにと思っ

て少しですがお持たせいたします。くれぐれもいたずらっ子達をお叱り下さいますよう

お願いいたします。

 

   梅見に誘う文

 急な思いたちなのでご都合はいかがかと危ぶみながら書いています。この四五日変に

曇りがちな雪空でしたが、今朝は覆ったものが取り除かれたかのように晴れ渡り、うぐ

いすの声がうながすかのように聞こえ始めましたこの時を逃さずに葛飾あたりの梅林を

訪ねてみたく、こちらからは中の兄と兄嫁と私の三人、ご存じの隣の娘も誘いました。

あまりにあわただしいのですがあなた様ももしお差支えがなかったらこの上もない喜び

ですので、ご都合を使いの者に伝えてください。どうかどうかと待ち望んでいます。

   同じ返事

 (お手紙を)見てとてもとても嬉しい思し召し、何を置いてもお供させていただきた

く、ちょうど髪結いが来ておりますので仕上がったら直ちに伺います。お返事だけを

取り急ぎ。

 

   初雛祝いの文

 日毎にのどかになり、みなみな様ますます機嫌よろしくしておられることと嬉しく

思っております。このほど聞いたところではお千代さまはもう高笑いをされたとか、

まことに物を引き延ばすようにすくすくとご成長され、さぞかしお楽しみのこととうら

やましく存じます。私の娘も一人は欲しいと望んでおりますが、これだけは甲斐のない

ことで、当人はしきりに欲しがってはおりますのでせめてあやかりたいと、この明け方

に自分で十軒店へ行って初節句のお祝いに印ばかりの五人囃子を一組、これを差し上げ

て欲しいということです。色々きらびやかにお飾りされている中お恥ずかしいものです

が、親しさに甘えて娘の心ばかりをお納めくださいましたらありがたく、裏庭で切った

桃の一枝を、まだつぼみが多いですが添えますのでご覧くださいませ。

   同じ返事

 お心のこもったお祝物にお庭の桃の花まで添えていただいてありがたく、雛壇の光栄

だと取りはやしております。何事の式作法もわきまえず怪しげな様子ではありますが、

あちらこちらからいただいたものを並べましたところで白酒をおもてなしたいと思いま

すので、三日の午前中にいらしていただけましたらと願っております。お嬢様とお二人

でぜひお待ち申し上げます。えり好みする橘町(の方)からは来ず、お心安い番町の

人々や、他もさっぱりとした方々ですので必ず必ず、難しくお思いにならないで(と

取り集めて申し上げます)。お礼はお会いした時に。

樋口一葉「たけくらべ 五」

                  十二

 信如がいつも田町に通う時に、通らなくても用は済むが近道となる日本堤の土手の

手前に間に合わせの格子門がある。のぞくと鞍馬石の石灯篭と萩の袖垣がしおらしく

見えて、縁先に巻いたすだれの様子も懐かしい。中がらす障子(中央がガラスになって

いる)の内では今風の按察の後室(若紫の祖母:未亡人)が数珠をつまぐり、おかっぱ

頭の若紫が出て来そうな構えの建物、それが大黒屋の寮だ。

 昨日も今日も時雨の空、田町の姉から頼まれた長胴着ができたので少しでも早く着せ

たい親心、「ご苦労だが学校前のちょっとの間に持って行ってくれまいか、きっと花も

待っているから」という母親に言いつけを、いつでも嫌とは言わないおとなしさではい

と小包を抱えて鼠小倉(木綿)の鼻緒をすげた朴歯の下駄を履き、雨傘を差して出た。

 お歯黒溝の角を曲がって、いつも行く細道をたどり大黒屋の前に来た時運悪く、風が

大黒傘の上をつかんで宙へ引き上げんばかりに激しく吹いて、取られまいと踏ん張った

とたんに思いもよらず鼻緒がずるずると抜けて傘よりも一大事になった。信如は困って

舌打ちをしたが今更どうしようもないので大黒屋の門に傘を立てかけ、庇で降る雨を

よけながら鼻緒を繕うが、常日頃し慣れぬお坊ちゃまなので心ばかりあせってどうして

もうまくすげることができずに焦れて、袂の中から作文の下書きをしていた半紙をつか

み出し、びりびりと裂いてこよりを縒るが、意地悪な嵐がまた来て立てかけた傘がころ

ころと転がり出す。「いまいましい奴め」と腹立たしげに言って止めようと手を延ばす

と、膝の上に乗せておいた包みはひとたまりもなく落ちて、風呂敷も袂も泥だらけに

なってしまった。

 見るのも気の毒なのは雨の中の傘なし、途中で鼻緒を切るばかりではない。美登利は

障子の中からがらす越しに遠く眺めて「あれ、誰か鼻緒を切った人がいる。母さん布を

やってもいいですか」と尋ねて針箱の引き出しから友禅縮緬の切れ端をつかみだし、庭

下駄を履くのももどかしく走り出て、縁先の洋傘を差すより早く庭石の上を伝って急ぎ

足で出た。それと見るなり美登利の顔は赤くなり、大変なことに出会ったように胸の

動悸が早く打つのを誰かに見られるかと背後を気にしながら恐る恐る門の側に寄ると、

信如はふと振り返ったがこちらも黙って冷汗が脇を流れ、裸足になって逃げたい思い。

 いつもの美登利なら信如が困っている姿を指さして、「あの意気地なし」と笑い抜い

て言いたいままの憎まれ口、「よくもお祭りの夜は正太さんをやっつけると言って私た

ちの遊びの邪魔をさせ、罪のない三ちゃんを叩かせ、お前は高いところで采配していら

したね。さあ謝りなさい、私のことを女郎女郎と長吉に言わせたのもお前の指図、女郎

でもいいではないか、塵一つお前さんの世話にはならない。私には父さんもあり母さん

もある、大黒屋の旦那も姉さんもある。お前のような生臭の世話にはなりませんから

余計な女郎呼ばわりは止めてもらいましょう。言うことがあるなら陰でこそこそ言わず

にここでお言いなさい、お相手にはいつでもなります。さあ何とか言いませんか」と

袂をとらえてまくしたてる勢いのはずが、いくら当たりづらいとはいえものも言わず

格子の陰に隠れて、といって立ち去ることもできずにただうじうじと胸をとどろかせ

て、常日頃の美登利のようではなかった。

                  十三

 ここは大黒屋だと思った時から信如は恐ろしく、左右も見ずに一心に歩いていたが

あいにくの雨、鼻緒までも切ってどうしようもなく門前でこよりを縒る心地はあまりに

つらくてどうにも耐えられないものだったのに、飛び石を渡る足音は背中に冷や水

かけられるかのよう。ふり返らなくてもその人だと思ってわなわなと震え、顔色も変わ

り、後ろ向きになって鼻緒だけに心を尽くしているように見せながら半ば夢の中、下駄

はいつまでかかっても履けるようにはならなかった。庭の美登利はそれをのぞいて、

「えぇ不器用な、あんな手つきではどうにもならない、こよりは婆撚り(へなへな)、

わらしべなど前壺に差し入れたって長持ちしないのに。それ羽織の裾が地面について

泥になっているのに気づかないのか。あっ傘が転がる、畳んでから立てかければいいの

に」といちいちもどかしく歯がゆく思っても、「ここに布があるからこれでおすげなさ

い」と呼びかけることもせず、これも立ち尽くして雨が袖にわびしく降っているのを

避けようともせず、隠れてうかがっていることを知らない母が向こうから声をかけて、

「火のしの火が熾りましたよ、美登利さんは何を遊んでいる、雨が降るのに表へ出て

いたずらしてはなりません。またこの間のように風邪を引きますよ」と呼び立てられ、

「はい今行きます」と大きく言い、その声が信如に聞こえるのも恥ずかしく胸がどきど

きしてのぼせ、どうしても開けられない門のそばの見逃せない難儀。さまざまに思案し

て格子の間から手に持った布をものも言わずに投げ出すと、信如は見ないように見て

知らん顔をしている。「ああいつもの通りだ」とやるせない思いが目に集まり、涙と

なって恨み顔。「何を憎んでそんなにつれない素振りをするのだろう、言いたいこと

はこっちにあるのにあんまりだ」と思い詰めたが、母親の呼び声が度々になって仕方が

ないので一足二足、「えぇ何をしているのか、未練がましい、恥ずかしい」と身を翻し

て庭石をかたかた伝っていくのを信如は今、ひっそりと振り返った。紅入りの友禅が

雨に濡れて美しい紅葉の柄が足元近くに散っている。何となく床しい思いはあるが手に

取ることもせず、空しく眺めて淋しい思いをしている。

 自分の不器用を諦めて羽織の長いひもを外し、下駄に結わえ付けてくるくると巻いた 

みっともない間に合わせをして、これならと踏んでみても歩きにくいのは言うまでも

なく、この下駄で田町まで行けるのかと今さらに難儀を思うが仕方ない。立ち上がった

信如は包みを片手に二足ばかりこの門を離れたが友禅の紅葉が目に残り、捨てて過ぎる

のも耐え難く心残りで見返った時、「信さんどうした。鼻緒を切ったのか、そのなりは

どうだみっともないな」と不意に声をかけるものがあった。

 驚いて振り返ると暴れ者の長吉。廓の(朝)帰りのようで浴衣を重ねた唐桟の着物に

柿色の三尺帯をいつもの通り腰の先に巻いて、黒八丈の襟のかかった新しい半纏、屋号

の入った傘を差し、高足駄の爪皮もおろしたてとわかる漆の色が際立って誇らしげだ。

「僕は鼻緒を切ってしまってどうしようかと思っている、本当に弱ったよ」と信如が

意気地のないことを言うと、「そうだろう、お前に鼻緒など立てられっこない。いいや

俺の下駄を履いて行きな、この鼻緒は大丈夫だよ」と言うので「それでもお前が困る

だろう」「なに俺は慣れたものだこうやってこうする」と言いながらあっという間に

粋な七分三分の尻端折りにして「そんな結わえ付けなどするよりこっちがいいよ」と

下駄を脱いだので、「お前裸足になるのか、それは気の毒だ」と信如が困り切っている

と「いいよ、俺は慣れたことだ、信さんなんかは足の裏が柔らかいから裸足で石ころ道

は歩けない。これを履いておいで」と揃えて出す親切。人からは疫病神のように嫌われ

ながら、げじげじ眉を動かして優しい言葉が出てくるのがおかしい。「信さんの下駄は

俺が持って行って台所に放り込んでおいたらいいだろう、さあ履き替えてそれをお出

し」と世話を焼き、鼻緒の切れたのを片手に下げて「それなら信さん行っておいで、

後で学校で会おうぜ」と約束した。信如は田町の姉の元へ、長吉は我が家の方へ別れて

行ったが、思いの留まる紅友禅はいじらしい姿を空しく門の外に置いていた。

                 十四

 この年は三の酉まであって、中一日は雨だったが前後は上天気だったので大鳥神社

賑わいはすさまじく、それにかこつけて(普段開かない反対側の)検査場の門から乱れ

いる若者たちの勢いといったら、天柱砕け地維欠ける(天を支える柱が折れて地をつな

ぐ綱が切れる)かと思うほど笑い声がどよめく。仲ノ町の通りは急に方角が変わったか

のように思えて角町、京町のところどころの跳ね橋から、さっさ押せ押せと猪牙(船、

吉原に客を運ぶ船)の掛け声で人波をかき分ける群れもある。河岸の小店の百囀り

(遊女の呼び声)は大店の三階建ての楼上まで聞こえ、弦の音歌の声、さまざまに沸き

返るようなおもしろさは、ほとんどの人に忘れ難い思い出となることだろう。

 正太はこの日日掛けの集金を休ませてもらって、三五郎の大頭(ふかし芋の縁起物)

の店を見舞ったり、団子屋の背高の愛想のないお汁粉屋を訪れて「どうだ、儲けはある

か」と聞くと「正さんいいところへ来た、あんこが終わってしまって今は何を売ろう。

すぐに煮始めてはいるのだがお客は断れないし、どうしようか」と相談されて、「知恵

なしだな、大鍋の縁に無駄がたくさんついているではないか。それに湯をかけて砂糖で

甘くさえしたら十人前や二十人前はできるだろう。どこでもみなそうするのだ、お前の

店ばかりじゃない。何この騒ぎで良し悪しなど言う者があるか、お売りお売り」と言い

ながら先に立って砂糖の壺を引き寄せると、片目の母親が驚いた顔をして「お前さんは

本当にあきんどにできていなさる、恐ろしい知恵者だ」とほめると「なんだこんなこと

が知恵者なもんか、今横町のひょっとこのところであんが足りないってこうしていたの

を見てきたのだから俺の発明ではないよ」と言い捨てて、「お前は知らないか、美登利

さんのいるところを。俺は今朝から探しているのだがどこへ行ったのだろう、筆屋にも

来ないと言うから廓かな」と聞くと、「うん、美登利さんはさっき俺の家の前を通って

揚屋町の跳ね橋から入って行った。大変だぜ正さん今日はね、髪をこういう風にこんな

島田に結って」とへんてこな手つきをして、「きれいだねあの子は」と鼻を拭いながら

言うと、「大巻さんよりもっといいや、でもあの子も花魁になるのはかわいそうだ」と

下を向いて正太が答えると、「いいじゃないか花魁になれば。お俺は来年から際物屋

(季節商売)になってお金をこしらえるからそれを持って買いに行くのだ」と頓馬を

表したので、「生意気なことを言ってらあ、お前はきっと振られるよ」「なぜさ」

「なぜでも振られるわけがあるのだもの」と顔を少し赤らめて笑いながら「それじゃあ

俺も一回りしてこよう、また後で来るよ」と捨て台詞をして門に出て、〽十六七の頃

までは蝶よ花よと育てられ、と怪しげな震え声でこの頃のはやり歌を歌って 〽今では

勤めが身にしみてと口の中で繰り返していつもの雪駄の音高く、浮き立つ人の中に交じ

って小さな体はたちまち隠れていった。

 人波にもまれて出た廓の角で、向こうから番頭新造のお妻と連れ立って話しながら

歩いてくるのを見れば間違いなく大黒屋の美登利だが、本当に頓馬が言った通り初々し

い大島田に結い綿のような絞りをふっさりと掛けて鼈甲の簪を差し、房付きの花簪を

閃かせ、極彩色の京人形を見るようで正太はあっとも言わず立ち止まったまま、いつも

のように飛びついたりせずに見つめていると、こちらから「正太さんか」と走り寄っ

て、「お妻どんお前、買い物があるならここでお別れにしましょう、私はこの人と一緒

に帰ります。さようなら」と頭を下げると「あら美ぃちゃん現金な、もうお見送りは

いらないのですか。それなら私は京町で買い物をしましょう」と小走りに長屋の細道へ

駆け込んだので、正太は初めて美登利の袖を引いて、「いつ結ったの、今朝かい、昨日

かい、なぜ早く見せてくれなかった」と恨めし気に甘えると、美登利は打ち萎れて口

重く、「姉さんの部屋で今朝結ってもらったの、私は嫌でしょうがない」とうつむいて

往来の人目を恥じている。

                  十五

 もの憂く恥ずかしく気の引けるようなことがあったので、人が褒めても嘲られている

ように聞こえ、島田髷の慕わしさにふり返って見る人たちも自分をさげすんでいるのだ

と受け止めて、「正太さん私は家に帰るよ」と言うので「なぜ今日は遊ばないの、何か

小言を言われたの、大巻さんと喧嘩したのではないか」と子供らしいことを聞かれても

答えようがなく顔が赤らむばかり。連れ立って団子屋の前を通ると頓馬が店から「お仲

がよろしゅうございます」と大げさな言葉をかけた。聞いたとたんに美登利は泣きそう

な顔になって「正太さん一緒に来ては嫌だよ」と置き去りにして一人足を速めた。お酉

様へ一緒にと言っていたのに美登利は我が家へ急いでいるので、「お前一緒に来てくれ

ないのか。なぜ帰ってしまう、あんまりだぜ」といつものように甘えてきても振り切る

ように、ものも言わずに行こうとするので、なぜだかわからない正太は呆れて追いすが

り、袖を留めて不思議がるが、美登利は顔だけを赤くして「何でもない」と言うのも

わけがあるのだった。

 寮の門をくぐって入ると、正太も前から遊びに来慣れていて遠慮のない家なので、後

から続いて縁先からそっと上がるのを母親が見て「おお正太さんよく来てくださった。

今朝から美登利の機嫌が悪くてみなもてあまして困っています、遊んでやってくだ

さい」と言うので正太は大人らしくかしこまって、「加減が悪いのですか」とまじめに

聞くと、「いいえ」と母親は怪しい笑顔で「少し経てば治るでしょう、いつもの決まり

のわがまま様、さぞお友達とも喧嘩しましょうね。本当にやりきれないお嬢様だこと」

と見返ると、美登利はいつの間に小座敷に布団と掻巻を持ってきて、帯と上着を脱ぎ

捨てただけで突っ伏してものも言わないでいる。

 正太は恐る恐る枕元へ寄って、「美登利さんどうしたの、病気なの、気分が悪いのか

い、一体全体どうしたの」とあまり近くにはすり寄らずに膝に手を置いて心を悩ませる

が、美登利からはさらに答えがなく押さえた袖から忍び泣く声、まだ結いこめなかった

前髪が涙で濡れるわけがあるのだろうとはわかるが、子供心の正太には何の慰めの言葉

も出ずただひたすらに困るばかり。「いったい何がどうしたのだい、俺はお前に怒られ

るようなことはしていないのに何でそんなに腹が立つの」とのぞき込んで途方に暮れて

いると美登利は目をぬぐって、「正太さん、私は怒っているのではありません」「それ

ならどうして」と聞かれても、つらいことはたくさんあるがこれはどうにも話せない。

隠したいことなので誰にも言うわけにもいかず、何も言わなくても頬が赤くなり、特に

何だとは言えないがだんだん心細くなる。昨日までの身には覚えのない思いが生まれ

て、恥ずかしいのは言うまでもない。できるなら薄暗い部屋の中で誰からも言葉をかけ

られず、顔も見られずに一人気ままに朝夕を過ごしたい。そうしたらこのようにつらい

ことがあっても人目を気にせずこれほど悩むこともないだろう。いつまでもいつまでも

人形や姉様(紙人形)を相手にしてままごとばかりできたらどんなに嬉しいだろうに、

ええ嫌々、大人になるのは嫌なこと。なぜこのように年を取るのか、もう七月十月、

一年も元に戻りたいと年寄りじみた考えをして、正太がここにいるのも考えられず、

何か言いかけると全て蹴散らせて「帰っておくれ、帰っておくれ正太さん、お願いだか

ら帰っておくれ。お前がいると私は死んでしまう、何か言われると頭痛がする、口を

きくと目が回る。誰も誰も私のそばに来ては嫌だからお前もどうぞ帰って」といつもに

似合わぬ愛想尽かしを言う。正太はなぜかわからずに煙の中にいるようで、「お前は

どうしたってへんてこだよ、そんなこと言うはずないのにおかしい人だね」と少し悔し

い思いで落ち着いて言いながらも目には気弱な涙が浮かんでいるが、それにも心を留め

られず、「帰っておくれ、帰っておくれ、いつまでもここにいるのならもうお友達でも

何でもない、嫌な正太さん」と憎らしげに言われて、「それなら帰るよ、お邪魔様で

ございました」と風呂場で湯加減を見る母親にも挨拶もせず、ふいっと立って正太は

庭先から駆け出した。                  

                  十六

 一直線に駆けて人中を抜けてくぐって筆屋の店に躍り込むと、三五郎はいつの間にか

店を閉め、腹掛けの隠しへいくらかをじゃらつかせて、弟妹を引き連れて好きなものを

何でも買えと大兄様、大愉快の最中に正太が入って来たので、「やあ正太さん今お前を

探していたのだ。俺は今日はだいぶ儲けがある、何かおごってあげようか」と言う。

「ばかを言え、手前におごってもらう俺ではない黙っていろ、生意気言うな」といつに

なく乱暴なことを言ってそれどころではないとふさいでいると、「なんだなんだ喧嘩

か」と食べかけのあんぱんを懐にねじ込んで、「相手は誰だ、龍華寺か長吉か、どこで

始まった廓か鳥居前か。お祭りの時とは違うぜ、不意でさえなければ負けはしない。俺

が承知だ先棒は振らあ、正さん肝っ玉をしっかりしてかかりねえ」と勇み立ったので、

「ええ、気の早い奴め、喧嘩ではない」とさすがに言いかねて口をつぐむと「お前が

すごい勢いで飛び込んだから俺は全く喧嘩かと思った。だけど正さん、今夜始まらなけ

ればもう喧嘩は起こりっこないね。長吉の野郎、片腕がなくなるもの」と言うので、

「どうして片腕がなくなるのだ」「お前知らないか、俺もたった今、家の父っさんが

龍華寺のご新造と話していたのを聞いたのだが、信さんはもう近々どこかの坊さん学校

へ入るのだとさ。衣を着てしまえば手が出ねえや。あんな袖のぺらぺらした恐ろしく

長いものをまくり上げるのだからね。そうなれば横町も表も残らずお前の手下だよ」と

おだてると、「よしてくれ、二銭もらえば長七の手下になるようなお前みたいなのが

百人仲間にいたってちっとも嬉しいことはない、つきたい方へどこでもつけよ。俺は

人は頼まない。自分の腕で一度龍華寺とやりたかったのによそへ行かれては仕方が

ない。藤本は来年学校を卒業してから行くのだと聞いたが、どうしてそんなに早くなっ

たのだろう。しようのない野郎だ」と舌打ちしながらそれは少しも心に留まらず、美登

利の素振りが思い出され、正太はいつもの歌も出ず、大路の往来のおびただしささえ

心が淋しいのでにぎやかだとも思えず、火を灯す頃に筆屋の店で寝転がった。今日の

酉の市はめちゃくちゃ、こちらもあちらも変なことになってしまった。

 美登利はその日を始めとして生まれ変わったような振る舞いをするようになった。

用がある時は廓の姉のところへ行き、決して町で遊ぶことがなくなった。友達が淋しが

って誘いに行っても今度今度と空約束ばかり。あれほど仲のよかった正太とさえも親し

まず、いつも恥ずかしそうに顔を赤らめて、筆屋の店先で手踊りした活発さは二度と

見ることができなくなった。人々は不思議がって病気のせいかと心配する者もいるが、

母親一人だけがほほ笑んで「今におてんばの本性は現れます、今は中休み」とわけあり

げに言って、知らない者には何のことはわからず、女らしくおとなしくなったと褒める

者もいれば、せっかくのおもしろい子を台無しにしたと謗る者もいる。表町はにわかに

火が消えたようになって、正太の美声を聞くこともまれになり、ただ夜毎の弓張提灯、

あれは日掛けの集金だとわかる、土手を行く影が何となく寒そうで、時々お供をする

三五郎の声だけがいつもと変わらずおどけて聞こえる。

 龍華寺の信如が自分の宗派の学校に修行に出るという噂も美登利は少しも聞かなかっ

た。あの時の意地をそのまま封じ込めたまま、ここ最近自分に起こった怪しいことを

自分ごととは思えずにただ何もかも恥ずかしいばかりでいたが、ある霜の朝、水仙

造花を格子門の外に差し入れた者があった。誰がしたことかは知るよしもなく、美登利

は何となく懐かしい思いがして、違い棚の一輪挿しに入れて淋しく清い姿を愛でていた

が、聞くともなしに伝え聞くには、その翌日は信如が何某という学林で袖の色を変えた

日であったということだった。

 

樋口一葉「たけくらべ 四」

                  九

如是我聞、仏説阿弥陀経、声は松風に和して、心の塵も取り払われるべきお寺様の庫裏

(台所)から生魚をあぶる煙がなびいて、墓地に赤子のおむつを干してあるのも宗派に

よっては構わないことだろうが、法師を木っ端のように思っている(枕草子、粗食し

禁欲しているという意味)心にはどうも生臭く思えるものだ。

 龍華寺の和尚は身代と共に肥え太った腹がいかにも見事、色つやのよいことどのよう

な誉め言葉を使ったらよいか、桜色でも桃の花でもなく、剃りたての頭から顔から首筋

にいたるまで銅色に照って一点の濁りもなく、白髪の混じる太い眉を上げて心まかせに

大笑いされるときには本堂の如来さまも驚いて台座から転げ落ちるのではないかと危ぶ

まれる。ご新造はまだ四十の上をいくつも越さず、色白で髪の毛が薄く、丸髷を小さく

結って見苦しくない人柄。参詣人にも愛想よく門前の花屋の口悪女房も陰口を言わない

ところを見ると、着古しの浴衣や総菜の残りなどのご恩を被るからだろう。元は檀家の

一人だったが、早くに夫を失って寄る辺ない身でしばらくここでお針雇いになり、食べ

させてもらえればと洗いすすぎからお菜作りはもちろん、墓場の掃除も男衆を手伝って

働いたので、経済から割り出して(経済的だと)和尚様のお手がついた。歳は二十も

違ってみっともないことは女も心得てはいるが、行き場のない身なので結局よい死に所

だと人目を恥じなくなり、苦々しいことではあるが女の心だてが悪くないので檀家の者

もそうは咎めずに、惣領の花という娘ができた頃、檀家の中でも世話好きな坂本の油屋

のご隠居様が、仲人というのはおかしいが話を進めて表向きにした。

 信如もこの人から生まれて男女二人の姉弟、一人は典型的な偏屈者で一日部屋の中で

うじうじしているような陰気な生まれつきだが、姉のお花は肌の薄い二重顎がかわいら

しく、美人というほどでもないが年頃で人の評判もよく、素人にしておくのは惜しいと

言われる中に入っている。といってもお寺の娘に左褄を取らせる(芸者にする)のは

お釈迦様が三味線を弾く世ならばいざ知らず、世間の評判がはばかられるので、田町の

通りに葉茶屋の店をきれいに誂えて、帳場格子の中にこの子を据えて愛嬌を売らせる

と、秤の目も勘定も気にしない若者が何となく寄り集まって、毎晩十二時の鐘を聞く

まで店に客の姿が絶えることがない。

 忙しいのは和尚で貸金の取り立て、店の見回り、法要のあれこれ、月に幾日かは説教

日もあり帳面を繰るやらお経を読むやらこれでは体が持たないと、夕暮れの縁先に花筵

を敷かせて片肌脱ぎで団扇を使いながら大盃に泡盛をなみなみ注がせ、肴に好物の蒲焼

を表町のむさし屋で大串を誂えてもらうよう頼みに行くのは信如の役目。その嫌なこと

が骨までしみて道を歩くにも上を見られず、筋向こうの筆屋で子供たちの声がすると、

謗られるのではないかと情けない。素知らぬ顔でうなぎ屋を過ぎ、四方に人目の隙を

伺いながら立ち戻って駆け込む時の心地。自分は決して生臭ものは食べまいと思うのだ

った。

 父親和尚はどこまでも世慣れた人なので少し欲深いと噂されてはいるが、人の噂を気

にするような小胆者ではない。手に暇があれば熊手の内職もしてみようという気風なの

で十一月の酉の市にはもちろん門前の空き地に簪の店を開いて、ご新造に手拭いを被ら

せて縁起のよいのをと呼ばせる意向。最初は恥ずかしいと思ったが(酉の市は)軒並み

素人が大儲けできると聞いて、この雑踏の中ではあるし誰と見られることもなく、日暮

れからなら目立たないと考え、昼間は花屋の女房の手伝わせて、夜になると自ら立って

呼び立てる。欲からいつしか恥ずかしさも失せ、思わず声を高くして「負けましょ、負

けましょ」と客の後を追うようになった。人波にもまれて買い手も目がくらんでいるか

ら、後世を願いに一昨日来たことも忘れて「簪三本七十五銭」と掛値をされて「五本を

七十三銭なら」と値切ってしまう。このようなぼろ儲けはほかにもあることだろう。

 信如はこのようなこともいかにも心苦しくて、たとえ檀家の耳に入らなくても近所の

人の評判や、子供仲間の噂にでも「龍華寺では簪の店を出して信さんの母さんが狂った

ように売っていた」などと言われはしないかと恥ずかしくて「そんなことは止めた方が

いいでしょう」と止めたこともあったが、和尚は大笑いして笑い捨て、「黙っていろ、

黙っていろ、貴様の知らぬことだ」と全然相手にしてくれず、朝は念仏夜は勘定。そろ

ばんを手にしてにこにことしている顔つきが我が親ながら浅ましく、なぜその頭を丸め

たのだと恨めしく思っていた。

 同じ家族に生まれ、他人の入らない穏やかな家で、この子を陰気者に仕立てた原因は

特にないが、生まれつきおとなしい上言ったことを聞いてもらえないので何かとおも

しろくない。父のすること母のすること姉への教育もすべて間違いのように思うが、

言っても聞いてもらえないと諦めてうら悲しく情けない。友達からも偏屈者の意地悪だ

と目をつけられ、自分の悪口を少しでも言う者があると聞いても、自ら沈みこんでいる

心の底の弱さから、出て行って喧嘩や口論をする勇気もなく部屋に閉じこもって、人と

顔を合わせることもできない大層な臆病者なのだが、勉強はできるし身分も卑しくない

のでそのような弱虫だとは知らずに「龍華寺の藤本は生煮えのもちのように芯があって

気にいらぬ奴だ」と憎らしがっている者もいるようだ。

                 十

 祭りの夜は田町の姉の元に使いを言いつけられて夜遅くまで家に帰らなかったので、

筆屋の騒ぎは夢にも知らず、翌日になって丑松や文治、そのほかの口からこれこれだっ

たと聞かされて今更ながら長吉の乱暴に驚いた。済んだことなので咎めだてしても仕方

がなく、自分の名を出されたことをつくづく迷惑に思い、自分のしたことではないが

やられた子たちの気の毒を一身に背負ったような気がする。長吉も少しはし損ねたこと

を恥ずかしく思ったようで、信如に会ったら叱られるだろうと三四日姿を見せなかった

が、ややほとぼりが冷めた頃、「信さん、お前は腹を立てているかもしれないが、はず

みでしたことだから堪忍しておくれ。誰もお前、正太が留守だとは知らなかったのだか

ら。何も女郎一匹などを相手にしたり三五郎を殴りたかったわけではないが、万燈を

振り込んでしまえばただでは帰れない、ほんの景気づけにつまらないことをしてしまっ

た。俺がどこまでも悪い、お前の言いつけを聞かなかったのは悪かったけれど今怒られ

ては形無しだ。お前という後ろ盾があるから俺は大船に乗ったようなのだから見捨てら

れては困るよ。嫌だろうがこの組の大将でいておくれ、そうどじばかりは踏まないか

ら」と面目なさそうに侘びられれば、それでも僕は嫌だともいえず「仕方がない、やる

ところまでやるさ。でも弱い者いじめはこっちの恥になるのだから三五郎や美登利を

相手にしても仕方がない、正太に後押しがつけばその時のこと。決してこちらから手出

しをしてはいけないよ」くらいにとどめて、それほど長吉を叱り飛ばしはしなかったが

再び喧嘩がないようにと祈る気持ちだった。

 罪がないのは横町の三五郎だ。思うままに叩かれて蹴られてその二、三日は立ち居も

苦しく、夕暮れごとに父親の空車を茶屋の軒先に運ぶのに「三公はどうかしたか、ひど

く弱っているようだな」と見知りの仕出し屋の店員に言われるくらいだったが、父親は

お辞儀の鉄と呼ばれ、目上の人に頭を上げたこともなく、廓の旦那にはもちろん大屋

様、地主様いずれのご無理ごもっともと受けるたちなので、長七と喧嘩してこのように

乱暴されましたと訴えたところで「仕方がないことをして。大家さんの息子さんでは

ないか、こっちに理があろうが向こうが悪かろうが、喧嘩の相手になるということは

ない。詫びてこい詫びてこい、とんでもない奴だ」と我が子を叱りつけて長吉のところ

へ謝りにやられることが目に見えているので、三五郎は悔しさをかみつぶし七日十日と

日が経てば痛みも癒え、同時に恨みもいつしか忘れて頭の家の赤ん坊(長七の弟)の

子守をし、二銭の駄賃を嬉しがって「ねんねんよ、おころりよ」と背負って歩く。歳は

と聞かれれば生意気盛りの十六歳にもなりながら、その図体で恥ずかしげもなく表町へ

ものこのこと出かけるのでいつも美登利と正太のなぶりものになって、「お前は性根を

どこへ置いてきた」とからかわれながらも、遊びの仲間から外れることはなかった。

 春は(夜)桜の賑わいから、亡き玉菊の燈籠の頃、続いて秋の新仁和賀(吉原の春夏

秋の三大行事)にはこの通りだけで車の飛ぶこと十分間に七十五両と数えたが、二の代

わり(顔見せの次の興行)がいつしか過ぎて田んぼに赤とんぼが乱れ飛びようになり、

秋が深まってきた。朝夕の風も身にしみわたり、上清の店の蚊取り線香懐炉の灰に座

を譲り、石橋の田村屋(煎餅屋)が粉を挽く臼の音も淋しく、角海老(楼)の時計の

響きも何となく哀れな音を伝えるようになった。一年中絶えまない日暮里の火の光(火

葬場)もあれが人を焼く煙かとうら悲しく、茶屋の裏を行く土手下の細道に落ちてくる

ような三味線の音を仰いで聞けば、仲之町芸者の冴えた腕で〽君が情けの仮寝の床に、

という何ということもない一節さえ哀れ深い。この季節から通い始める客は浮かれた客

ばかりではなくしみじみとした誠実なお方が多いと、ある遊女上がりの女は言った。

 このしばらくのことは特に語るべきこともないが、大音寺前で珍しかったことは、

盲目按摩の二十ばかりになる娘が叶わぬ恋に不自由な身を恨んで水の谷の池に入水した

ことが最近の話として伝えられたくらいだ。八百屋の吉五郎に「大工の太吉がさっぱり

と姿を見せないがどうしたのだろうか」と聞くと、「この一件で揚げられました」と

顔の真ん中に指を差して(賭博)も、どうという話でもなく、取り立てて噂をする者も

ない。大路を見渡せば罪のない子供たちの三人五人が手をつないで、「開いた開いた、

何の花開いた」と無心の遊びも自然と静かに聞こえ、廓に通う車の音だけがいつもに

変わらず勇ましく聞こえる。

 秋雨がしとしと降るかと思えば、ざあっと音がして行ってしまうような淋しい夜、

通りすがりの客は待たない店なので筆屋の妻は宵の内から表の戸を立てて、中に集まっ

ているのはいつもの美登利に正太郎、その他には小さい子供が二三人、おはじき遊びの

ような幼げなことをして遊んでいたが、美登利はふと耳を立てて「あれ、誰か買物に

来たのじゃないか、どぶ板を踏む音がする」と言うと、「おやそうか、おいらはちっと

も聞こえなかった」と正太もおはじきを数える手を止めて、誰か仲間が来たのではない

かと嬉しがっていたが、店の前まで来た足音だけが聞こえて、それもふっと絶えて音沙

汰もなくなった。

                 十一

 正太がくぐり戸を開けて、ばあと言いながら顔を出すと二、三軒先の軒下をたどって

ぽつりぽつりと行く後ろ姿。「誰だ誰だ、おい、お入りよ」と声をかけて、美登利は

足駄をつっかけて降る雨を厭わずに駆け出そうとすると、「あぁあいつだ」と一言言っ

て振り返り、「美登利さん呼んだって来はしないよ、例の奴だもの」と自分の頭を丸め

てみせる。「信さんか」と受けて「嫌な坊主ったらない、きっと何か買いに来たのだけ

れど私たちがいるものだから、立ち聞きをして帰ったのだろう。意地悪の、根性曲がり

のひねっこびれの、吃りの歯欠けの嫌な奴。入ってきたら散々いじめてやるのに帰った

とは惜しいこと、どれ下駄をお貸し、ちょっと見てやる」と正太に代わって顔を出すと

軒の雨だれが前髪に落ちて、「おお気味が悪い」と首を縮めながら四五軒先の瓦斯燈の

下を、大黒傘を肩にしてうつむき加減にとぼとぼ歩く信如の後ろ姿をいつまでも、いつ

までも見送っていたので「美登利さんどうしたの」と正太が怪しがって背中をつつく。

「どうもしない」と気のない返事をして、上に上がっておはじきを数えながら、「本当

に嫌な小僧だ、表向きに堂々と喧嘩もできずおとなしそうな顔ばかりして。根性がぐず

ぐずしているのだもの、憎らしいじゃないか。家の母さんが言ってたっけ、がらがら

している人は心がよいのだって、だからぐずぐずした信さんなんかは心が悪いに違いな

い、ねえ正太さんそうだろう」と口を極めて信如のことを悪く言うと、「それでも龍華

寺はまだものがわかっているよ。長吉ときたら、いやはや」と生意気に大人の口振りを

まねたので、「およしよ正太さん、子供のくせにませた口をきいておかしい、お前は

よっぽどひょうきん者だね」と美登利は笑いながら正太の頬をつついた。「その真面目

顔」と笑いこけるので、「おいらだってもう少し立てば大人になるんだ。蒲田屋の旦那

のように角袖外套かなんか着てね、おばあさんがしまっている金時計をもらって、それ

から指輪もこしらえて、巻き煙草を吸って、履くものは何がいいだろう、おいらは下駄

より雪駄が好きだから三枚裏(高級品)にして繻珍の鼻緒というのを履こう。似合うだ

ろうか」と言えば美登利はくすくす笑いながら、「背の低い人が角袖外套に雪駄履き、

まあどんなにおかしいだろう、目薬の瓶が歩くようでしょうよ」とけなすと、「ばかを

いってらあ、それまでにはおいらだって大きくなるさ。こんなちっぽけではいないよ」

と威張るので、「それはいつのことかわかりはしない、天井の鼠が、あれをごらん」

(からかっている)と指を差すので筆屋の女房を始めとして座にいた者みな笑いこけ

た。 正太は一人真面目になって例の目玉をくるくるとさせながら、「美登利さんは

冗談にしているのだね。誰だって大人にならない者はないのにおいらの言うことが

なぜおかしいのだろう、きれいな嫁さんをもらって連れて歩くようになるのだがなあ。

おいらは何でもきれいなのが好きだから煎餅屋のお福のようなあばた面や、薪屋のおで

このようなのが来たらすぐに追い出してしまって家には入れてやらないや。おいらは

あばたとぶつぶつは大嫌い」と力を入れるので主の女は噴き出して、「それでも正さん

よく私の店へ来てくれるね。おばさんのあばたは見えないかい」と笑うと、「だって

お前は年寄りだもの。おいらが言うのは嫁さんのことさ、年寄りはどうでもいい」と

言うので「それは大失敗だね」と筆屋の女房は笑いついでにご機嫌を取った。「町内で

顔のよいのは花屋のお六さんに果物屋の喜ぃさん。それよりもずっとよいのはお前の隣

に座っておいでなさるけれど、正太さんは誰にしようと決めているのかね、お六さんの

目元か喜ぃさんの清元(声)か、まあどれだい」と聞かれると正太郎は顔を赤くして、

「なんだお六なんかや喜ぃ公のどこがいいものか」と(顔が見られないように)吊り

らんぷの下を外れて壁際の方へしり込みすると、「それでは美登利さんがいいのだろ

う、そう決めているのでしょう」と図星を差された。「そんなこと知るもんか、何だ

そんなこと」とくるりと後ろを向いて壁の腰張りを指で叩きながら、回れ回れ水車を

小さい声で歌い出した。美登利はたくさんのおはじきを集めて「さあもう一度初め

から」とこれも顔を赤らめていた。

樋口一葉「たけくらべ 三」

                  六

 「珍しいこと、この炎天に雪が降りはしないかしら。美登利が学校を嫌がるのはよっ

ぽどの不機嫌、朝ご飯が進まなければ後で寿司でも頼もうか。風邪にしては熱もない

から昨日の疲れというところでしょう。太郎(稲荷)様への朝参りは母さんが代理で

してあげるから失礼させてもらいなさい」と言うと「いえいえ姉さんが繁盛するように

と私が願をかけたのだから参らなければ気が済みません。お賽銭をください、行ってき

ます」と家をかけ出して、中田んぼの稲荷で鰐口を鳴らして手を合わせ、願いは何だっ

たのか行きも帰りもうなだれてあぜ道伝いに戻って来る美登利の姿。それと見て遠くか

ら声をかけ、正太は駆け寄って袂を押さえ、「美登利さん昨日はごめんよ」といきなり

謝ると「何もお前に詫びられることはない」「それでも俺が憎まれて、俺が喧嘩の相手

だもの。おばあさん呼びにさえ来なかったら帰りはしないし、あれほど三五郎をぶたせ

はしなかったのに。今朝三五郎のところへ見に行ったらあいつも泣いて悔しがった。

俺も聞いただけで悔しい、お前の顔へ長吉め草履を投げたというじゃないか。あの

野郎、乱暴にもほどがある。だけど美登利さん堪忍しておくれよ、俺は知って逃げたの

ではない、飯をかっ込んで出ようとするとおばあさんが湯に行くと言って留守番をして

いるうちの騒ぎだろう、本当に知らなかったのだからね」と自分の罪のように謝って、

「痛くはないかい」と額際を見上げると美登利はにっこりと笑って、「何けがをするほ

どじゃない。でも正太さん、誰に聞かれても私が長吉に草履を投げられたと言っては

いけないよ、もしお母さんが聞きでもしたら私が叱られるから。親でさえ頭に手を上げ

ないものを、長吉などに草履の泥を額に塗られては踏まれたも同じだから」と顔をそむ

けるのもいとおしく、「本当に堪忍しておくれ、みんな俺が悪い。だから謝る、機嫌を

直してくれないか。お前に怒られると俺は困るよ」と話しながら連れ立っていつしか

我が家の裏近くまで来たので、「寄らないか美登利さん、誰もいないよ。おばあさんは

日掛け(利息)を集めに出ただろうし、俺一人で淋しくてならない。いつか話した錦絵

を見せるからお寄りよ、いろいろあるから」と袖をとらえて離れないので、美登利は

無言でうなずいてもの寂びた折戸の庭口から入ると広くはないが鉢物をきれいに並べて

軒には釣り忍、これは正太の午の日の縁日の買い物のようだ。町内一の物持ちだという

のに家内は祖母とこの子二人きり(で不用心)なのでわけを知らない人は首をかしげる

が、(祖母は)下腹が冷えるほどたくさんの鍵を持ち歩き、留守にしても周りに見通し

の利く総長屋があるので、さすがに錠前を壊す者がいないのだろう。

 正太は先に上がり風通しの良いところを選んで「ここへ来ないか」とうちわであおぐ

心遣いは十三の子供にしてはませ過ぎてていておかしい。昔から伝わる錦絵の数々を

取り出して、褒められると嬉しく「美登利さん昔の羽子板を見せよう、これは俺のお母

さんがお屋敷に奉公していた時いただいたのだとさ。おかしいだろうこの大きいこと、

人の顔も今のとは違うね。ああ、この母さんが生きていたらよかったのに俺が三つの歳

に死んで、お父さんはあるけれど田舎の実家に帰ってしまったから今はおばあさんだけ

だ。お前がうらやましいよ」と不意に親のことを言い出したので、「ほら絵が濡れる、

男が泣くものじゃない」と美登利に言われ「俺は気が弱いのかな、時々いろいろなこと

を思い出すんだ。今頃はまだいいけれど冬の月夜なんかに田町辺りに集めに回って、

土手まで来て何度も泣いたことがある。寒いくらいで泣くのではないよ、なぜだかわか

らないがいろんなことを考えて。ああ、一昨年から俺も日掛けの集めに回っているよ、

おばあさんは年寄りだから夜は危ないし、目が悪いから判を押したりするのや何かに

不便だからね。今まで何人も男を使っていたけれど年寄りと子供だからばかにして思う

ようには動いてくれないとおばあさんが言ってたっけ。俺がもう少し大人になったら

質屋を出して、昔の通りでなくても田中屋の看板を掛けるのだと楽しみにしているよ。

よその人はおばあさんをけちだと言うけれど俺のために倹約してくれるのだから気の毒

でならない。集めに行く中でも通新町(貧民窟)や何かに随分かわいそうなのがいるか

ら、さぞおばあさんを悪く言っているだろう、それを考えると俺は涙がこぼれる。やっ

ぱり気が弱いのだね。今朝も三公の家に取りに行ったら、奴め体が痛いくせに親父に

気づかれまいと働いていて、それを見たら俺は口をきけなかった。男が泣くなんておか

しいじゃないか、だから横町の野蛮人にばかにされるのだ」と言いながら自分の弱さが

恥ずかしそうな顔色で無心に美登利を見る眼つきがかわいらしい。「お前の祭りの格好

は大層よく似合ってうらやましかった、私も男だったらあんな風にしてみたい、誰より

もよく見えたよ」とほめられて、「なんだ俺なんか、お前こそ美しいや。廓内の大巻

さんよりもきれいだと皆が言うよ。お前が姉さんだったら俺はどんなに肩身が広いだろ

う、どこへ行くにもついて行って大威張りに威張るのだけどな。一人も兄弟がいないか

らしょうがない。ねえ美登利さん今度一緒に写真を撮らないか、俺は祭りの時の姿で

お前は透綾の荒縞で粋な格好をして。水道尻の加藤(写真館)で写そう、龍華寺の奴が

うらやましがるように。本当だよ、あいつきっと怒るよ、真っ青になって。陰気な奴だ

から赤くはならない。それとも笑うだろうか、笑われてもかまわないから大きく撮って

看板に出たらいいな、お前は嫌かい、嫌そうな顔をしているね」と恨むように言うのが

おかしく、「変な顔に写るとお前に嫌われるから」と美登利は噴き出して美しい声で

高笑い、ご機嫌は直ったようだ。朝の涼しさはいつしか過ぎて陽射しが暑くなってきた

ので「正太さん、また晩に私の寮へ遊びにおいで、燈篭を流してお魚を追いましょう。

池の橋が直ったのでもう怖いことはない」と言い捨てて立って出て行く美登利の姿を、

正太は嬉しげに見送って美しいと思った。

                  七

 龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人とも学校は育英舎。過ぎた四月の末ごろ、桜は

散って青葉の陰で藤の花見という頃に春季の大運動会が水の谷の原であった。綱引き、

鞠投げ、縄跳びなどの遊びに夢中になって長い日が暮れるのも忘れたその時のこと。

信如はどうしたことかいつもの落ち着きに似合わず、池のほとりの松の根につまずいて

赤土の道に手をついてしまい羽織の袂が泥だらけになってしまったので、居合わせた

美登利が見かねて自分の赤い絹はんかちを取り出して「これでお拭きなさい」と介抱を

していると、友達の中のやきもちやきが「藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しそう

に礼を言うのはおかしいじゃないか、おおかた美登利さんは藤本の女房になるのだろ

う。お寺のかみさんなら大黒様というのだ」などと騒いだ。

 信如はもともとこのようなことを他人事で聞くのも嫌いで、苦い顔をして横を向く方

なので自分のこととなると我慢がならなかった。それからは美登利という名を聞くたび

に恐ろしく、またあのことを言い出されるのではと胸の中がもやもやして何とも言えな

嫌な気持ちになった。しかしその(美登利から口をきかれる)たびに怒るわけにもいか

ないのでなるだけ知らん顔をして、平気を装って難しい顔をしてやり過ごすつもりでは

いるが、差し向って何か聞かれたりした時には途方に暮れて、大体は知りませんの一言

で済ませても、体には苦しい汗が流れて心細くなる。

 美登利はそのようなことを気にしないので最初の内は「藤本さん藤本さん」と親しく

話しかけ、学校帰りに一足早く道端に珍しい花を見つけると後から来る信如を待って、

「ほら、こんなに美しい花が咲いているけれど枝が高くて私には取れません。信さんは

背が高いからお手が届くでしょう、お願いですから折ってください」と一群の中の年長

を見かけて頼むと、信如もさすがに振り切って通り過ぎることもできず、といって人が

どう思うかとますます嫌なので手近な枝を引き寄せて、良し悪し構わず申し訳ばかりに

折って投げつけるようにしてすたすたと行ってしまう。何と愛嬌のない人だと呆れる

こともあったが、(そのようなことが)度重なった後にはわざと意地悪をしていると

思うようになり「人にはそうでもないのに私ばかりにつらい仕打ちをして、ものを言っ

てもろくに返事をしたこともなく、そばへ行けば逃げる、話をすれば怒る、陰気くさく

て気が詰まる、どうしていいのか機嫌の取りようがない。あのような難し屋は思うまま

にひねくれて怒って意地悪をしたいだけなのだから、もう友達だと思わなければ口を

きくこともないのだ」と美登利も癇に障ったので、用がなければすれ違っても物も言わ

なくなり、途中で会っても挨拶など思いもよらない。いつの間にか二人の間には大きな

川が横たわり、船も筏もここにはご法度、(それぞれの)岸に添って思い思いの道を

歩くようになった。

 昨日の祭りが過ぎて、そのあくる日から美登利は学校へ行くことをふっとやめたのは

聞くまでもなく額の泥の、洗っても消え難い恥辱が身にしみて悔しかったからだ。

「表町でも横町でも同じ教室に並んでいるのだから仲間に変わりはないはずなのに、

おかしな分け隔てをして常日頃から意地を張って、私は女だからとてもかなわないのを

いいことに祭りの夜の仕打ちは何と卑怯だったことか。長吉のわからずやは誰もが知っ

ているこの上もない乱暴者だけれど、信如の後押しがなければあれほど思い切って表町

を荒らさなかっただろう。人前では物知りらしく温順に見せて陰に回ってからくりの糸

を引くのは藤本の仕業に違いない。たとえ級は上でも勉強ができても龍華寺の若旦那で

も大黒屋の美登利は紙一枚もお世話になったことはないのだから、あのような乞食呼ば

わりしていただく恩はない。龍華寺はどれほど立派な檀家があるのか知らないが、私の

姉さんの三年のなじみ客には銀行の川様、兜町の米様、議員のちい様など身請けして

奥様にとおっしゃったのを気性が嫌いでお受けしなかったが、その人だって世に名高い

人だと遣り手衆が言っていた。嘘だと思うなら聞いてみるがよい、大黒屋に大巻がいな

ければあの楼は闇だと言われているのだ。だからこそお店の旦那様も父さんや母さん、

私のことも粗略に扱わずに常々大事にしてくれる。いつか床の間に据えている瀬戸物の

大黒様を私が座敷の中で羽をついて騒いで、隣にあった花瓶と一緒に倒して壊してしま

った時も、旦那様は隣でお酒を召し上がりながら「美登利、おてんばが過ぎるぞ」と

言っただけでお小言はなかった。他の人だったら通り一遍の怒られ方ではなかったと

女子衆に後々までうらやましがられたものだ。所詮姉さまの威光だけれど、私が寮住ま

いで人の留守番をしても姉は大黒屋の大巻。長吉風情に負けを取るものでもないし龍華

寺の坊さんにいじめられることなど心外だ」ともう学校へ通うことがおもしろくなくな

った。我儘の本性で侮られたことが悔しく、石筆を折って墨を捨て、書物もそろばんも

いらないと、仲のよい友達と勝手放題に遊んでいた。

                  八

 走れ飛ばせ(と急がせる)の夕方に比べて、夜明けの別れに夢を乗せて帰る車の淋し

さ。帽子を目深にかぶって人目を厭う人もいれば、手ぬぐいで頬かむりをしながらも

別れの一撃(別れ際に背中を打つ)の痛さを思い出す度に嬉しくて薄気味悪いにやにや

笑いをしている者もいる。坂本に出たらご用心、千住(市場)帰りの青物車に足元が

危うい。三島様の角までは気違い街道、どのお顔も締まりなく緩み、はばかりながら

お鼻の下を長々と見せて歩いているので、そんじょそこらで幅を利かせた御男子様だと

しても一分一厘の価値もないと、辻に立って失礼なことを言う人もいる。

 楊家の娘君寵を受けてと長恨歌を引き合いに出すまでもなく、娘というものはどこで

も貴重がられるが、この辺りの裏長屋にかぐや姫が生まれると特にそうだ。今は築地の

置屋に根を移して御前様のお相手をしている踊りがうまかったお雪という美人、お座敷

で「お米のなります木は」などとずいぶんあどけないことなど言っているが、元はこの

町の巻き帯党、花札の内職をしていたものだ。その頃は評判が高かったが去る者は日々

に疎く、名物が一つ消えても次の花は紺屋の末娘、今は千束の新蔦屋で子吉と呼ばれる

稀な美人の根も同じここの土。明け暮れの噂でもご出世したと言うのは女ばかり、男は

塵塚(で残飯を)探す黒斑の(犬の)尾のように、あっても用なしだと思われている。

 この界隈で若い衆と呼ばれる町の息子たちは生意気盛りの十七八から五人組や七人組

になって、腰に尺八を下げるような伊達者ではなく、何というのか厳めしい名の親分の

手下について揃いの手ぬぐいに長提灯。さいころを振ることを覚える前は冷やかす格子

先でも思い切った冗談もまだ言えない。自宅の家業を真面目に勤めるのは昼の内だけ、

一風呂浴びて日が暮れれば下駄をつっかけ七五三の着物(やくざ者が好む仕立て)を

着けて、「何屋の新妓を見たか、金杉の糸屋の娘に似ているがもっと鼻が低い」などと

いう風に頭の中をこしらえながら一軒ごとの(遊女との)煙草の無理なやり取り、鼻紙

の無心、打ちつ打たれつ、こんなことを一世の誉れと心得て堅気の家の相続息子が地回

りに改名し、大門際で喧嘩を買ってみたりする。女の勢いを見ろと言わんばかりに春秋

知らぬ(一年通して)五丁町の賑わい、送り提灯などは今は流行らないが、茶屋の回し

女の雪駄の音に、響き通る歌舞の音曲。浮かれ浮かれて入り込む人に何が目当てかと

聞けば赤襟に赭熊に裾の長い打掛、にっと笑う口元目元。どこがよいとも言い難いが、

花魁衆をここだけで敬って、立ち離れればもうどうなろうと知ることはない。

 このような中で朝夕を過ごせば環境に染まることは無理もなく、美登利の眼に男と

いうものは全く怖くも恐ろしくもない。女郎というものを大して卑しい勤めだとも思わ

ないので、過ぎた日に故郷を発つ姉を泣いて見送ったことも夢のように思われて、今日

この頃の(姉の)全盛は父母への孝行だと羨ましく、お職を通す(トップでいる)姉の

身のつらさ憂さの数も知らず、待ち人恋うる鼠鳴き、格子の呪文、別れの背中の手加減

の秘密までただただおもしろく聞こえて、廓言葉を使うのもそれほど恥ずかしいと思わ

ないのが哀れである。歳はやっと数えの十四歳、人形を抱いて頬ずりする心は華族

お姫様と変わりはないが、修身の講義や家政学のいくらかを学んだのは学校でだけ。

明け暮れ耳に入るのは好いた好かぬの客の噂。お仕着せや積み夜具、茶屋への付け届け

(遊女の馴染みになった客が贈る)などは派手に、見事に、それができなければみすぼ

らしいなどと、人のことも自分のことも分別を言うにはまだ早い。幼い心には目の前の

花だけが美しく、持ち前の負けん気だけが勝手に走り回って、雲のようにふわふわと

ふくらんでいる。

 気違い街道、寝ぼれ道、朝帰りの殿方の一巡が終わり、朝寝の町も門口の掃き目が

青海波を描き、打ち水をちょうどよく済ませて表町の通りを見渡すと、来るは来るは

万年町、山伏町、新谷町(貧民窟)辺りをねぐらにしている一能一術(の持ち主)。

これも芸人の名は逃れない。よかよか飴や軽業師、人形遣い大神楽、住吉踊りに角兵衛

獅子。思い思いのいでたちをして縮緬や透綾の伊達者もいれば、薩摩絣の洗いざらし

黒繻子の幅狭帯、いい女もいれば男もいる。五人七人十人の大群もいれば、一人淋しく

痩せ親父が破れ三味線を抱えて行くのもある。五つ六つの女の子に赤襷をさせて、あれ

は紀の国を踊らせているのもある。お得意様は郭内に居続けの客(のなぐさめ)や女郎

(の憂さ晴らし)。一生芸人を止められないのはよほど利益があるのだろう。来るとは

いってもこの(町の)辺りでは貰いが少ないので誰も心に留めず、裾に海藻のような

ぼろを下げた乞食さえ門口に立たず行き過ぎてしまう。

 器量のよい女太夫が笠に隠れて奥床しい頬を見せながらのど自慢、腕自慢。「あの声

をこの町では聞かせてくれないのは憎い」と筆屋の女房が舌打ちをして言うと、店先に

腰かけて往来を眺めていた湯上りの美登利が、はらりと下がる前髪を柘植の鬢櫛でさっ

とかき上げて「おばさんあの大夫さんを呼んできましょう」と走り寄って袂にすがり、

投げ入れたものが何かは笑って誰にも言わないが、好きな暁烏をさらりと歌わせて、

「またごひいきを」という愛想よい声。これはたやすく買えるものではない、あれが

子供のすることかと寄り集まった人は舌を巻いて、大夫よりも美登利の顔を眺めた。

「伊達に(心意気を見せるため)通る全ての芸人をここにせき止めて、三味線や笛や

太鼓で歌わせて踊らせて、人のしないことをしてみたい」と正太にささやき聞かせる

と、驚き呆れて「おいらは嫌だな」。

 

樋口一葉「たけくらべ 二」

                  三

 解いたら足にも届くような髪の毛を根を上げて固く結び、前髪が大きく髷が重たげな

赭熊という名は恐ろしいが、これがこの頃の流行だと良家の令嬢も結うのだとか。色白

で鼻筋が通り、口元は小さくはないが締まっているので醜くはない。一つ一つ取り立て

て見ると美人というには遠いが、ものを言う声が細く涼しく、人を見る目元に愛嬌が

あふれ、身のこなしが生き生きして快い。蝶や鳥を柿色に染めた大柄の浴衣を着て、

黒繻子と染め分け絞りの昼夜帯リバーシブル)を胸高にして足には塗りぼっくり、

この辺でもあまり見かけない高いものを履き、朝湯帰りの首筋が白々として手拭いを

下げた立ち姿を、あと三年先に見たいものだと廓帰りの若者が言う。

 大黒屋の美登利といって生まれは紀州、言葉に多少訛りがあるのがかわいらしく、

第一にさっぱりした気性を喜ばない人はない。子供に似合わず財布の重いことも道理で

姉の全盛の余波、さらには遣り手や新造が姉へのお世辞もあって美ぃちゃんお人形でも

お買いなさい、これはほんの手鞠代などとくれて恩に着せないので、もらう身もありが

たくも思わずにばらまくこと。同級の女生徒二十人に揃いのごむ鞠を与えたのはおろ

か、馴染みの筆屋に店晒しになっていたおもちゃを買い占めて喜ばせたこともあった。

それにしても毎日の散財はこの年、この身分でできることではない、末は何になる身な

のか。両親はいながら大目に見て荒い言葉をかけたこともなく、楼の主が大切がってい

るのも不思議だ。聞けば養女でもなくもちろん親戚でもなく、姉が身売りした時に値踏

みに来た楼の主の誘いに乗って、この地に生計を求めて親子三人で旅立ったというわけ

だ。これから先はどうなることか、今は寮の管理をしながら母は遊女の仕立て物、父は

小格子の書(番頭)になった。自分は遊芸手芸、学校にも通わせてもらってあとは気の

向くまま、半日は姉の部屋、半日は町で遊んで見聞きするのは三味線に太鼓、あけ紫

(朱や紫)の華美な姿。最初は藤色絞りの半襟を袷(襦袢にかけるもの)にかけて歩い

て、田舎者田舎者と町内の娘たちに笑われたのを悔しがり三日三晩泣いたこともあった

が、今では自分から人を嘲って野暮な姿と露骨な憎まれ口を言っても言い返すものも

いなくなった。二十日はお祭りだから思い切りおもしろいことをしようと友達がせがむ

ので「趣向は何でもそれぞれで工夫して、誰もが楽しいことがいいじゃないか。いくら

でもいい、私が出すから」といつも通り勘定なしに引き受ける子供仲間の女王様。また

とはない恩恵は大人よりも利きがよく、「お芝居にしましょう、どこかのお店を借りて

往来から見えるようにして」と一人が言えば、「ばかを言え、それよりおみこしをこし

らえておくれ、蒲田屋の奥に飾ってあるような本当のを、重くてもかまわない。やっち

ょいやっちょいわけなしだ」とねじり鉢巻きをする男の子のそばから「それでは私たち

がつまらない、みなが騒ぐのを見るだけでは美登利さんだっておもしろくはないでしょ

う、何でもお前のよいものにおしよ」と女たちは祭りに関係なく常盤座をと言いたげな

口ぶりがおかしい。田中の翔太はかわいらしい目をぐるぐるさせて「幻燈にしないか、

俺のところに少しはあるし足りないのを美登利さんに買ってもらって筆屋の店でやろう

じゃないか。俺が映し手になって横町の三五郎に口上を言わせよう、美登利さんそれに

しないか」と言うと「ああそれはおもしろそう、三ちゃんの口上なら誰も笑わずには

いられまい。ついでにあの顔が映るとなおおもしろいのに」と相談は整って不足の品を

買うのは正太の役、汗をかいて飛び回っているのもおかしく、いよいよ明日となって

その沙汰は横町にまで聞こえてきた。

                  三

 鼓の調べや三味線の音色にこと欠かない場所でも祭りは別物、酉の市を除いたら一年

に一度の賑わいだ。三島様小野照様、隣同士で負けまいと競う心がおかしく、横町も表

も揃い(の浴衣)は同じ真岡木綿に町名くずし(模様化)、昨年より型が悪いなどとと

つぶやく者もいる。くちなし染めの麻襷も太いものを好んで十四五歳以下は達磨、みみ

ずく、犬張り子など様々なおもちゃが数多いほど見得として七つ九つ十一もつける者も

いる。大鈴小鈴を背中にがらつかせて、駆け出す足袋はだしが勇ましくもおかしい。

群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半纏を着て色白の首筋に紺の腹掛け。あまり

見慣れぬいで立ちだと思ってよく見れば、しごいて締めた水浅黄の帯は縮緬の上染め、

襟の印の仕上がりも際立ち、後ろ鉢巻に山車の花を一枝。皮緒の雪駄の音だけがして

お囃子の仲間には入らない。夜宮(前夜祭)は何事なく過ぎて今日一日の夕暮れ、筆屋

の店に寄り合ったのは十二人。一人欠けたのは夕化粧の長い美登利、まだかまだかと

正太は門を出たり入ったり、「呼んで来い三五郎、お前はまだ大黒夜の寮へ行ったこと

がないだろう、庭先から美登利さんと呼べば聞こえるはずだ、早く早く」と言うので、

「それなら俺が呼んで来る、万燈はここにあずけておけば誰も蝋燭を盗むまい、正太

さん番を頼む」と言う。「けちな奴め、無駄口を叩かずに早く行け」と年下に叱られ、

「おっと来たさの次郎左衛門」とあっという間に駆け出して韋駄天とはこれのこと、

あのすっ飛び方がおかしいと見送った女の子たちが笑うのも無理はない。小太りで背が

低く、才槌頭(前後に突き出ている)で首が短く、振り向いた顔を見ればおでこの獅子

っ鼻、反っ歯の三五郎というあだ名もわかる。もちろん色は黒く、感心なのは目つきが

いつもおどけて両頬にはえくぼの愛嬌があること。福笑いで見るような眉毛も何とも

おかしい罪のない子だ。貧しいので阿波縮の筒袖を着て、俺は揃いが間に合わなかった

と知らない友には言うのだろう。自分を頭に六人の子供を養う親は梶棒にすがる身

(車夫)だ。五十軒ある茶屋に得意を持ってはいても家内の車(やりくり)は商売者の

車とは違う。十三になれば稼ぎ手だと一昨年並木の活版所に通ったが怠け者なので十日

と辛抱が続かなった。一月と同じ職に就かず十一月から新春にかけては突羽根の内職、

夏は検査場の氷屋の手伝い、呼び声おかしく客を引くのが上手なので人からは重宝がら

れる。昨年は仁和賀の台引き(踊り屋台を引く人夫)に出たので友達は卑しんで、万年

町(貧民窟)などといまだに呼ばれるが、三五郎といえばおどけ者だとわかっているの

で憎む者がいないのは彼の徳である。田中屋は命綱で、親子で少なからず恩を受けてい

る。日歩という利息の安くない借金でもこれがなくてはやっていけない金主様、敵など

とはとんでもない。「三公、俺の町に遊びに来い」と言われれば嫌とは言えない義理が

ある。しかし自分は横町に生まれて横町で育った身、住む地所は龍華寺のもの、家主は

長吉の親なので表向きにはあちらに背くことはできず、こっそりこちらの用を足して、

睨まれたらつらい役回りだ。

 正太は筆屋の店で腰を掛けて待つ間の暇つぶしに〽忍ぶ恋路と小声で歌っていると、

「あら、油断ならない」とおかみさんに笑われて何となく耳の根が赤くなり、ごまかす

ために大声で、「みんなも来い」と呼んで表へ駆け出した出会い頭に「正太はなぜ夕飯

を食べないの、遊び惚けてさっきから呼んでいるのがわからないか、どなたもまた後ほ

ど遊ばせてください。これはお世話さま」と筆屋の妻にも挨拶をして、祖母自ら迎えに

来たので正太も嫌とは言えずそのまま連れられて帰ってしまった。後は急に淋しくなっ

て、人数はそれほど変わりがないのに「あの子がいなければ大人まで淋しい、ばか騒ぎ

をしたり三ちゃんのように冗談を言うわけでもないのに人好きがするのは金持ちの息子

さんには珍しい愛嬌者だ」「どう思います、田中屋の後家様のいやらしさ。あれで歳は

六十四、白粉をつけないだけましだが丸髷の大きいこと(若いほど大きくする)、猫な

で声を出して人が死んだって気にしない。大方最期は金と情死なさるやら」「それでも

こちらの頭が上がらないのはお金の御威光、まったく欲しいものですね。廓内の大きい

楼にもだいぶ貸し付けがあるように聞きました」など大路に立って二三人の女房が人の

財産を数えている。

                  五

 待つ身につらい夜半の置炬燵(端唄)、それは恋だ。吹く風の涼しい夏の夕暮れ、

昼の暑さを風呂で流して姿見の前で身支度する。母親が乱れた髪を繕って、我が子なが

ら美しいと立って見、座って見、「首筋(の白粉)が薄かったね」などと言っている。

水色友禅の単衣が涼しげで、白茶(ベージュ)の金襴の丸帯の少し幅が狭いのを結ばせ

て、庭石の下駄を(履くために)直すまで時間のかかったこと。

 「まだかまだか」と塀の周りを七度回って、あくびの数も尽きて、いくら払っても

名物の蚊に首筋や額際をしたたかに刺されて三五郎が弱り切った頃、美登利が出てきて

「さあ」と言ったのでこちらは言葉もなく袖をとらえて駆け出した。「息が弾む、胸が

痛い、そんなに急ぐならもう知らない、お前ひとりでお行き」と怒られて、別れ別れに

到着した。筆屋の店に来た時には正太は夕飯の最中のようだった。

 「ああおもしろくない、おもしろくない、あの人が来なければ幻燈を始めるのも嫌。

おばさん、ここでは知恵の板は売っていませんか、十六武蔵でも何でもいい、手が暇で

困る」と美登利が淋しがるので、女の子たちはそれならと鋏を借りて(板を)切り抜き

始める。男の子たちは三五郎を中心に仁和賀のおさらいをする。

 〽北廓全盛見渡せば、軒は提灯電気燈、いつも賑わう五丁町

と声を合わせてはやし立てる。記憶がよいので昨年一昨年までさかのぼって、手振り

手拍子一つも間違えない。十人余りが浮かれ立って騒いでいるので何事かと門口に人垣

ができた中から、「三五郎はいるか、ちょっと来てくれ、大急ぎ」と文治という元結

縒りが呼んだので何の用心もなく「おいしょ、よしきた」と身軽に敷居を飛び越える

と、「この二俣野郎覚悟をしろ横町の面汚しめ、ただでは置かぬ、誰だと思う長吉だ、

ふざけた真似をして後悔するな」と頬骨に一撃、「あっ」とびっくりして逃げようと

する襟髪をつかんで引き出す横町の一群、「それ三五郎を叩き殺せ」「正太を引き出し

てやってしまえ」「弱虫逃げるな」「団子屋の頓馬もただでは置かぬ」と沸き返る

騒ぎ、筆屋の軒の提灯は簡単に叩き落されて吊りらんぷも危ない。「店先で喧嘩はいけ

ません」と女房がわめいても聞くわけがない、人数は大体十四五人、ねじり鉢巻きに

大万燈を振り立てて当たるがままの乱暴狼藉、土足で踏み込む傍若無人、目指す敵の

正太が見当たらないので、「どこへ隠した」「どこへ逃げた」「さあ言わぬか、言わぬ

か、言わさずに置くものか」と三五郎をつかまえて打つやら蹴るやら、美登利は悔しが

り止める人を掻きのけて、「これお前たち、三ちゃんに何の罪がある、正太さんと喧嘩

したければ正太さんとするがいい、逃げてもいないしも隠しもしない、正太さんはいな

いじゃないか。ここは私の遊び場、お前たちに指を差させはしない、ええ憎らしい長吉

め、三ちゃんをなぜぶつ、あっまた引き倒した、恨みがあるなら私をおぶち、相手には

私がなる、おばさん止めないでください」と身もだえして罵った。「何を女郎め、つべ

こべ言うな姉の跡継ぎの乞食め、手前の相手にはこれが相応だ」と大勢の後ろから長吉

が泥草履をつかんで投げつけると、狙いたがわず美登利の額に泥ごとしたたかに当たっ

た。血相を変えて立ち上がるのを怪我でもしてはと抱き留める女房、「ざまをみろ、

こっちには龍華寺の藤本がついているぞ、仕返しにはいつでも来い、薄ばか野郎め、

弱虫め、腰抜けの意気地なしめ、帰りには待ち伏せしているから横町の闇に気をつけ

ろ」と三五郎を土間に投げ出したところに靴音が。誰かが交番へ注進したと知り、長吉

は「それ」と声をかけると、丑松文治その他の十人余りが方向を変えてばらばらに逃げ

足早く、裏通りに抜ける路地にかがむ者もいただろう。「悔しい、悔しい、悔しい長吉

め、文治め、丑松め、なぜ俺を殺さない、俺も三五郎だ、ただでは死ぬものか、幽霊に

なっても取り殺すぞ、覚えていろ長吉め」と熱い涙をはらはら流し、果てはわっと大声

で泣き出した。さぞ痛かろう筒袖の所々が引き裂かれて背中も腰も砂まみれ、勢いの

すさまじさに止めるにも止めかねて、ただおどおどと気を飲まれていた筆屋の女房が

走り寄って抱き起こし、背中を撫でて砂を払い「堪忍をおし、堪忍をおし、何と言って

も相手は大勢、こちらはみな弱い者ばかり、大人でさえ手が出しかねたのだからかなわ

ないのは知れたこと、それでもけががなかっただけ幸せだ。こうなると途中の待ち伏せ

が危ない。ちょうどよくいらした巡査様に家まで付き添ってもらったら私たちも安心、

このような事情ですので」と来合わせた巡査に筋を話す。「仕事柄だ、さあ送ろう」と

手を取ると、「いえいえ送って下さらなくても帰ります。一人で帰ります」と小さくな

る。「これ、怖いことはない。お前のうちまで送るだけのことだから心配するな」と

微笑して頭を撫でられるといよいよ縮こまって「喧嘩をしたと言うとおとっさんに叱ら

れます、頭の家は大家さんでございますから」としおれているのをすかして「なら門口

まで送ってやる、叱られるようなことはしない」と連れて行ったので周りの人は胸を

なでおろして見送ると、なんとしたことか横町の角で巡査の手を振り放して一目散に

逃げて行った。

 

 

樋口一葉「たけくらべ 一」

                  一

 (ここから)回ると大門の見返り柳まで長い道のりだが、お歯黒溝に燈火が映る三階

(妓楼)の騒ぎは手に取るように聞こえる。明け暮れなしの車の行き来にはかり知れな

い全盛を見、大音寺前という仏臭い名だが大層陽気な町だと人は言う。

 三島神社の角を曲がってからはこれという建物はなく、傾いた軒端の十軒長屋二十軒

長屋ばかりなので商売にはまったく向かないところ。半ば閉めた雨戸の外で、怪しげな

形に紙を切り胡粉を塗った、色を塗った田楽のように見える、裏に貼った串の様子も

おかしなものを一軒ならず二軒ならず朝日に干して夕方にしまう大げさな手入れを一家

でかかり切っているのでそれは何かと聞くと「知らないのですか、十一月の酉の日に例

の(大鳥)神社で欲深様が担いで歩く、これこそ熊手の下ごしらえですよ」と言う。

正月の門松を取り払う頃から始めて一年通して作っているのは本当の商売人、片手間に

でも夏から手足を染めれば新年着の支度にも当てられるのだろう。「南無や大鳥大明

神、買う人にさえ福を与えるというのだから製造元の我らには万倍の利益を」と誰もが

言うがそれは思いのほかのこと、この辺りに大長者がいるという噂も聞かない。

 住む人の多くは廓(に勤める)者で、夫は小格子(格式の低い店)のなんとやら、

下足札を揃えてがらんがらんの(景気づけまたは縁起かつぎに立てる)音も忙しく、

夕暮れから羽織をひっかけて出かければ、後ろで切り火を打つ女房の顔もこれが見納め

か、十人切りのとばっちりや無理心中のしそこねなど、恨みのかかるこのような身の

果ては危うく、すわと言う時は命がけの勤めなのに遊山らしく見えるからおかしい。

娘は大籬(格式の高い店)の下新造だとか、七軒ある引手茶屋の何屋の客回しだとか、

提灯下げてちょこちょこ走る修行中。卒業して何になるのかともかく檜舞台だと見立て

ているのもおかしくはない。垢抜けのした三十余りの年増が小ざっぱりとした唐桟揃い

に紺足袋をはいて雪駄をちゃらちゃらと忙し気に、横抱きの小包は聞かなくてもわか

る、茶屋の桟橋でとんと合図して、回ると遠いからここから渡しますよと言うのは誂え

ものの仕事屋さんとこの辺りでは言う。一帯の風俗はよそと違って、女子供で後ろ帯を

きちっとした人は少なく、柄物を好んで幅広の巻き帯。年増ならまだいいが、十五六の

小癪なのがほうずきを含んでこんななりをするとはと目を閉じる人もいるが、場所柄

是非もない。昨日河岸店(格式低い)にいた何紫という源氏名がまだ耳に残るの女が、

今日は地回り(ならず者)の吉と手慣れぬ焼き鳥の夜店を出しても、無一文になったら

また古巣でお内儀姿となる。どこか素人よりは格好よく見えるのか、(このような風俗

に)染まらない子供はない。

 秋は九月、仁和賀の頃の大路を見るとよい。それにしてもよく練習したものだ、露八

の物まねや栄喜の所作など孟子の母も驚くだろう上達の早さ。うまいと褒められて今夜

も一回りしてこようと、生意気は七つ八つから高じてやがて肩に置き手ぬぐい、鼻歌の

そそり節、十五の少年のませ方は恐ろしい。学校の唱歌にもぎっちょんちょんと拍子を

取って、運動会には木遣りもやりかねない。ただでさえ教育は難しいのに教師の苦心が

思いやられる。入谷近くに育英舎という私立であるが生徒の数は千人近く、狭い校舎に

目白押しの窮屈さも教師の人望がわかるというもの、ただ学校と言ってもこの辺りでは

そこだと通じるほどだ。通う子供の中には火消し、鳶人足、おとっさんは跳ね橋の番屋

にいるよと習わずして知るその道の賢さ。はしご乗りの真似をして忍び返しを折りまし

たとつべこべ訴える三百代言の子もいる、お前のお父さんは馬だねと(先に)言われ

名乗るのもつらい、子供心に顔を赤らめるしおらしさ。出入りの貸座敷の秘蔵息子は寮

住まいで華族様を気取って房付き帽子に豊かな顔つきで洋服を華々しく着ている子に、

坊ちゃん坊ちゃんと追従する子もいるのもおかしい。

 たくさんの中に龍華寺の信如という豊かな黒髪もあと何年の盛りか、やがては墨染め

(僧衣)に変える袖の色。発心は心からだろうか、跡取りの勉強家がいた。おとなしい

性分を友達がつまらなく思ってさまざまないたずらを仕掛け、猫の死骸を縄に括りつけ

て「お役目ですから引導を頼みます」と投げつけたこともあったが、それも昔。今は

校内一の人となったので仮にも侮るようなことをしなくなった。年は十五、背丈は普通

だがいがぐり頭も思いなしか俗の子と違って藤本信如(のぶゆき)と訓読みにしても、

どことなく(名前の上に)釋(仏の弟子)とつけたいような素振りだ。

                  二

 八月二十日は千束神社の祭りなので山車にそれぞれの町の見栄を張り、土手を登って

郭内に入るばかりの勢いで若者の意気込みが思われるというもの。聞きかじりでする

こととはいえ子供の油断ならないこの辺りでは、揃いの浴衣はいうまでもなくそれぞれ

に申し合わせて生意気のありったけ、聞いたら肝もつぶれるだろう。横町組と自認した

乱暴な子供たちの大将は頭(かしら)の長という十六歳。仁和賀の金棒で親父の代理を

した(先導)ことから気分が偉くなって、帯は腰の先、返事は鼻の先で言うものと決め

て憎らしい風体。あれが頭の子でなければと鳶人足の女房達の陰口が聞こえる。心一杯

わがままを通して身に合わない幅を広げている。表町に田中屋の正太郎という三歳年下

の、家に金はあり身には愛嬌があるので人から憎まれない天敵がいる。「俺は私立の

学校に通っているが敵は公立だからといって唱歌も本家のような顔をしている。昨年も

一昨年も敵には大人の後押しがついて、祭りの趣向も自分たちより華々しく、喧嘩にも

手出しできないような仕組みがあるので今年また負けてしまうと、『誰だと思う横町の

長吉だぞ』と日頃にらみを利かせているのに空威張りだとけなされてしまう。弁天堀の

水泳大会でも俺の組に入る者が減るだろう。力は俺の方が強いが田中屋が優し気なのに

ごまかされて、もう一つには学問ができるのを恐れて、横町組の太郎吉や三五郎なども

こっそりあちらについているのも悔しい。祭りは明後日、いよいよこちらが負けそう

なったら破れかぶれだ暴れに暴れて、正太郎の顔に傷一つくらいは俺も片目や片足失っ

てもと思えばやれるだろう。加担するのは車屋の丑に元結縒りの文、おもちゃ屋の弥助

などがいれば引けは取るまい。ああそれよりもあの人あの人、藤本ならいい知恵を貸し

てくれるだろう」と十八日の暮近く、何か言えば目や口にうるさい蚊を払いながら竹の

茂る龍華寺の庭先から信如の部屋にのっそりと、信さんいるかと顔を出した。

 「俺のすることは乱暴だと人は言う、乱暴かもしれないが悔しいことは悔しいや、

なあ聞いてくれ信さん、去年も俺の末の弟の奴と正太郎組のちび野郎と、万燈のたたき

合いから始まって、それっと言うと奴の仲間がばらばらと飛び出しやがって、小さい子

の万燈を打ち壊しちまって、胴上げにして、見やがれ横町のざまを一人が言うと、間抜

けに背の高い大人のような面をしている団子屋の頓馬が、頭もあるものかしっぽだしっ

ぽだ、豚のしっぽだと悪口を言ったとさ。俺はその時千束様に練り込んでいたもんだか

ら後で聞いた時にすぐ仕返しに行こうと言ったら親父さんに頭から小言を食ってその時

も泣き寝入り。一昨年はそら、お前も知っている通り筆屋の店へ表町の若い衆が寄り合

って茶番か何かをやったろう、あの時俺が見に行ったら横町には横町の趣向がありまし

ょうなんて乙なことを言いやがって正太だけを客にしたのも忘れない。いくら金がある

といったって質屋崩れの高利貸しが何様だ、あんな奴は生かしておくより叩き殺す方が

世のためだ。俺は今度の祭りはどうしても乱暴に仕掛けて取返しをつけようと思うよ。

だから信さん友達甲斐だ、そりゃあお前が嫌だというのはわかっているが、どうか俺の

肩を持ってくれ、横町組の恥をすすぐのだからね。本家本元の唱歌だなんて威張って

いる正太郎をとっちめてくれないか、俺が市立の寝ぼけ生徒と言われればお前のことも

同然だから後生だ、どうぞ助けると思って大万燈を振り回しておくれ。俺は心の底から

悔しくて、今度負けたら長吉の立場はない」とむやみに悔しがって広い肩をゆする。

「だって僕は弱いもの」「弱くてもいいよ」「万燈は振り回せないよ」「振り回さなく

てもいいよ」「僕が入ると負けるけどいいのかい」「負けてもいいのさ、それは仕方が

ないとあきらめるから。お前は何もしないでいいから、ただ横町の組だと威張ってさえ

くれたら豪儀だから。俺はこんなわからずやだのにお前は学問ができるからね。向こう

の奴が漢語か何かで冷やかしでもしたらこっちも漢語で返しておくれ、ああいい心持ち

だ、さっぱりした。お前が承知さえしてくれればもう千人力だ。信さんありがとう」

と常にない優しい言葉が出るものだ。一人は三尺帯につっかけ草履の職人の息子、一人

は皮色金巾の羽織に紫の兵児帯という坊様仕立て、考えは裏腹で話は常に食い違いがち

だが、長吉は我が門前に産声を上げたのだと和尚夫婦のひいきでもあり、同じ学校へ

通っているので私立私立とけなされるのも気分が悪い。元々愛嬌のない長吉なので、心

から味方に付く者もない哀れさ、敵は町内の若い衆までが後押しをして、ひがみでも

ないが長吉が負けを取るのは田中屋の方に罪は少なからずある。見込まれて頼まれた

義理があるので嫌とも言いかねて信如は「それではお前の組になるさ、なるというのに

嘘はないが、なるべく喧嘩はしない方が勝ちだよ、いよいよ向こうが売ってきたら仕方

がない、何、いざとなれば田中の正太郎くらい小指の先さ」と自分に力がないことを

忘れて信如は机の引き出しから京都土産にもらった小鍛冶の小刀を取りだして見せると

「よく切れそうだね」とのぞき込む長吉。危ない、これを振り回してなるものか。

 

 

 

樋口一葉「にごりえ 四」

                  七

 「思い出したって今さらどうにもならない、忘れてしまえ、諦めてしまえ」と心を

決めながら、昨年の盆にはそろいの浴衣をこしらえて二人一緒に蔵前(の焔魔堂)に

参詣したことなどを思うともなく胸に浮かび、盆に入ってからは仕事に行く気力がなく

なってしまった。「お前さん、それはいけません」と諫める女房の言葉も耳うるさく

て、「ええ、何も言うな、黙っていろ」と横になっていると、「黙っていては今日この

日が過ごせません。体が悪いのなら薬を飲めばよいし、お医者にかかるのも仕方ありま

せんがお前の病はそれではないのです。気持ちさえ持ち直したらどこに悪いところが

あるのですか、少しは正気になってがんばってください」と言う。「いつも同じこと

ばかり言っても耳にたこができるばかりで薬にはならない。酒でも買ってきてくれ、気

を紛らせたいから飲んでみよう」と言った。「お前さん、そのお酒が買えるほどなら

嫌だというものを無理に仕事に出てくださいとは頼みません。私の内職など朝から晩

まで働いても十五銭が関の山、親子三人の口に重湯も満足に飲めないのに酒を買えとは

よくよくお前さんは無茶になりました。お盆だというのに小僧には白玉一つこしらえて

食べさせることもできず、お精霊様の棚飾りもこしらえられずにお燈明を一つ立てて

ご先祖様にお詫びをするのも誰の仕業ですか。お前が道楽の限りをして、お力の奴に

釣られたから起こったこと。言っては悪いけれどお前は親不孝、子不幸です、少しは

あの子の行く末を思って真人間になってください、お酒を飲んで気を晴らすのは一時、

心から改心してくれなければ頼りない」と女房が嘆くが返事はなく、時々太いため息を

つき身動きもせずに寝ころんでいる性根の情けないこと、「こんな身になってもお力が

忘れられないのか。十年連れ添って子供まで生んだ私に限りなく苦労をさせて、子供に

はぼろを下げさせ、家は二畳一間の犬小屋。辺り一帯からばかにされ、外れ者にされ

て、春秋の彼岸が来ても隣近所が牡丹餅やお団子を配り歩いている中、源七の家には

やらない方がいい、返礼できないのに気の毒だと、親切かどうか十軒長屋の一軒だけ

のけ者。男は外に出るから少しも気にもかけないだろうが、女心にはやるせないほど

切なく悲しく、だんだん肩身も狭くなって朝夕の挨拶さえ人の顔色を見るような情けな

い思いでいるのに、それを考えずに情婦のことばかり思い続けて、つれない人の心の底

がそれほどまでに恋しいか、昼寝の夢にまで見て独り言を言う情けなさ。女房のことも

子のことも忘れ果ててお力一人に命をやるおつもりか、浅ましい、悔しい、つらい男」

と思っていても言葉には出せずに恨みの涙を目に浮かべている。

 黙っていれば狭い家の中はなんとなくうら淋しく、空もだんだん暗くなる。まして

裏長屋は薄暗い。燈火を点けて蚊遣りを燃やしてお初が心細く戸の外を眺めていると、

いそいそと帰ってくる太吉郎の姿、何やら大きな袋を両手に抱えて「母さん、母さん、

これをもらってきた」とにっこりして駆け込んできた。見ると新開の日乃出屋のかすて

いら。「おや、こんなよいお菓子を誰にもらったの、よくお礼を言ったか」と聞くと、

「ああ、よくお辞儀してもらってきた。これは菊の井の鬼姉さんがくれたの」と言う。

母親は顔色を変えて「図太い奴め、これほどの境涯に突き落としてまだいじめ方が足り

ないのか、子供を遣って父親の心を動かそうとは。何と言ってよこしたのだ」と聞くと

「表通りのにぎやかな所で遊んでいたら、どこかのおじさんと一緒に来て菓子を買って

やるから一緒においでと言って、おいらはいらないと言ったけれど抱いていって買って

くれた。食べては悪いかい」とさすがに母の心を測りかねて顔をのぞいてためらってい

るので、「ああ、年がいかないといってもなんとわからぬ子だ、あの姉さんは鬼ではな

いか、父さんを怠けものにした鬼ではないか。お前のべべがなくなったのもお前の家が

なくなったのも、みなあの鬼の奴がしたこと。食いついても飽き足らない悪魔にお菓子

をもらった、食べてもいいかと聞くだけ情けない、汚い汚いこんなお菓子、家に置くの

も腹が立つ。捨てておしまい、捨てておしまい、お前は惜しくて捨てられないか、ばか

野郎め」とののしりながら袋をつかんで裏の空き地に放り出したので、紙が破れて菓子

は転げ出て竹の破れ垣を越え、溝の中まで落ちたようだ。

 源七はむっくりと起きて、「お初」と一言大きい声で言った。「何か御用ですか」と

尻目にかけて振り向こうともしない横顔をにらんで、「人をばかにするのもいい加減に

しろ、どれだけ悪口雑言を言うのだ。知った人なら子供に菓子をくれたって不思議は

ない、もらったといって何が悪い。ばか野郎呼ばわりは太吉にかこつけた俺への当て

こすりだろう、子供に向って父親の讒訴を言う妻の心得を誰が教えた。お力が鬼なら

手前は魔王だ、商売人が騙すのは知れているが、妻たるものがふてくされを言って済む

と思うか、土方をしようが車を引こうが亭主には亭主の権威がある。気に入らない奴は

家に置いておけない、どこへでも出て行け、出て行け、おもしろくもない女郎め」と

叱りつけられて、「それはお前無理なことを、邪推が過ぎます、なんでお前に当てつけ

ましょう。この子があまりにわからないから、お力のしたことが憎いから思い余って

言ったことを言いがかりにして出ていけとはむごいことです。家のためを思えばこそ気

に入らないことを言いもします。家を出られるくらいならこんな貧乏所帯の苦労を我慢

していません」と泣くと、「貧乏所帯に飽きが来たなら勝手にどこへでも行ってもらお

う、手前がいなくても乞食になることもない、太吉が育たないこともない。明けても

暮れても俺の棚卸しかお力への妬みばかり、つくづく聞き飽きてもう嫌になった。貴様

が出なくてもどっちでも同じことだ、惜しくもない九尺二間、俺が小僧を連れて出よ

う。そうしたら好きなだけがなり立てるのに都合よいだろう、さあ貴様が行くか、俺が

出るか」と激しく言われ、「お前は本当に私を離縁するつもりか」「知れたことよ」と

いつもの源七ではない。お初は悔しく悲しく情けなく、口もきけないほどだったがこみ

上げる涙を飲み込んで、「私が悪うございました、堪忍してください。お力が親切で

くださったものを捨ててしまったことは重々悪うございました。そうです、お力が悪魔

なら私は魔王です。もう言いません、もう言いません。決してお力について今後とやか

く言わず、陰でも噂しませんから離縁だけは勘弁してください。改めて言うことでも

ありませんが私には親兄弟がなく、差配のおじさんを里親と仲人に立てて来た者ですか

ら離縁されても行くところがないのです。どうぞ堪忍して置いてください。私が憎くて

もこの子に免じて置いてください、謝ります」と手をついて泣いたが「いや、どうして

も置けない」と言って、後は壁を向いてものも言わずお初の言葉は耳に入らない様子。

「これほど無慈悲な人ではなかったのに」と女房は呆れて、「女に魂を奪われるとこれ

ほどまでに浅ましくなるものか、女房を泣かせるどころか、ついにはかわいい子を飢え

死にさせるかもしれない。もう侘びても甲斐がない」と覚悟して「太吉、太吉」とそば

に呼んで「お前は父さんのそばと母さんとどっちがいい、言いなさい」と聞くと、

「おいらは父さんは嫌い、何も買ってくれないもの」と正直に言ったので、「それなら

母さんの行くところへ、どこにでもいっしょに行くかい」「ああ行くとも」と何とも

思わない様子なので「お前さんお聞きか、太吉は私につくと言っています。男の子なの

でお前も欲しいかもしれないがこの子はお前の元には置けません。どこまでも私がもら

って連れて行きます。よいですね、もらいます」と言うと「勝手にしろ、子も何もいら

ない、連れて行きたかったらどこへでも連れて行け、家も道具も何もいらないからどう

とでもしろ」と寝ころんだまま振り向きもしない。「家も道具もないくせに何が、勝手

にしろもないもんだ。これからは身一つになってしたいまま道楽なり何なりし尽くしな

さい。もうこの子をいくら欲しいと言っても返すことはありません、返しませんから」

と念を押して押入れを探り、小さな風呂敷包みを作って「これはこの子の寝間着、腹掛

けと三尺帯だけもらっていきます。お酒の上でのことではないので覚めて考え直すこと

もないでしょうが、よく考えてください。たとえどのような貧苦の中でも二親揃って

育てる子は長者の暮らしといいます。別れたら片親、何につけても不憫なのはこの子だ

とはお思いになりませんか。ああ、はらわたまで腐った人には子のかわいさもわからな

いのでしょう。ではお別れします」と風呂敷を下げて表へ出たが「早く行け行け」と、

呼び返してはくれなかった。

                   八

 魂祭り(お盆)が過ぎて何日か、まだ盆提灯の光が薄ら淋しい頃、新開の町を出た

棺桶が二つあった。一つは籠、一つは人が担ぎ(貧しい葬送)。籠は菊の井の隠居所

から忍びやかに出た。大路で見ている人たちがひそめくのを聞くと、「あの子も運が

悪い、つまらぬ奴に見込まれてかわいそうなことをした」と言えば、「いやあれは納得

ずくだという話です。あの日の夕暮れ、お寺の山で二人が立ち話をしていたという確か

な証人もいます。女ものぼせていた男なので義理に迫ってのことでしょう」と言うのも

ある。「いやいや、あのあまが義理立てなぞするわけがない。風呂の帰りに男に会い、

さすがに振り放して逃げることもできずに一緒に歩いて話はしただろうが、後ろから

袈裟懸けに切られ、頬先にかすり傷や首筋に突き傷などいろいろあって、確かに逃げる

ところをやられたに違いない。それに引き換え男は見事な切腹、布団屋の頃からそれほ

どの男だとは思わなかったがあれこそ死に花、偉く見えた」とも言う。「何にしても

菊の井は大損だ。あの子には結構な旦那がついたはずなのに取り逃がしては残念だろ

う」と人の嘆きを冗談のように思うのもいる。諸説乱れてはっきりしたことはわからな

いが(お力の)恨みは長かろう、人魂か何かわからない尾を引く光がお寺の山の小高い

ところから時々飛ぶのを見た者があるという。