につ記

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 人は決まった収入がなければ平常心ではいられない。懐手をして(何もせずに)月や花

の間をさまよっていられればよいが、日々の食べ物がなければ天寿を全うすることも

できない。文学は生計のためにするものではない。思いの馳せるまま、心の赴くままに

筆を走らせるものである。これからは文学で生計を立てようとすることはやめて、この

浮き世で汗をかき、そろばんをはじく商売というものを始めようと思う。桜を髪に飾っ

て遊ぶような殿上人の集まりは昨日の、春の夢だったと忘れ、(短命に終わった)滋賀の

都(大津京)のように過ぎた日々を語らず、さざなみならず波銭(小銭)を、一厘程度の、

毛ほどの利を求めるのだ。

   さざなみや しがの都はあれにしを 昔ながらの山桜かな(平家物語) 

 さざなみ(琵琶湖)の志賀の都は荒れ果ててしまったが、山桜は昔のように咲いている

 

 利を求めるといっても三井三菱のような栄華を願うわけでも、浮き世の拗ね者になり

たいわけでもない。母と子三人の口を潤すことができればよいのだ。時間があれば月も

見ようし花も見よう、興が乗れば歌も詠もうし、文も書けば小説も書こう。ただ読者の

好みに従って「今度は心中物を作ってください、歌人が主役の優美なものもいいです

ね、悲しすぎるものは人気がない、繊細なものは流行らない、趣深いものは理解されな

い、歴史ものがよい、政治的なものもよい、探偵小説はなおよい、その中で何か」など

と欲深い【欲気なき、なのだが逆だと意味をなさないし、高橋訳では考えのないとなっ

ているが諧謔として…】出版社が作家に求めるそうだ。私はまだあまり経験はないが、

それこそ煩わしさに尽きる。私はその範疇から逃れて、せめて文学のことだけでも義務

を負う身になりたくないのだ。しかし生まれて20年あまり、向こう三軒両隣というが

そのつき合いをせず、お風呂屋さんで桶に一杯汲んでの挨拶などもそしらぬ顔をして

済ませてきたのに、お暑うございます、お寒うございますなどいちいちの挨拶、負けの

引けのに応じる駆け引き、問屋への買い出し、買い手へのご機嫌取りなど考えると難し

いことだ。まして元手がろうそくの芯のように細いのに、「何ともどうにも困ったもの

だが、浮き世は棚に置かれた達磨さんのようなもの、転ぶも起きるも私の仕業ではな

い、創造の神よ、どうとでもしてください」と、

  とにかくにこえてをみまし空せみの よわたる橋や夢のうきはし

   とにかくも渡ってみましょう 空虚な世にかかる橋は夢の浮橋

文月1日

 晴れ。母が鍛冶町から15円受け取ってきた。芦沢君が鎌倉から戻ったとやって来たの

で、商売を始めることにしたと話して、山梨から50円借りてもらうように頼むとすぐに

手紙を書いてくれた。お小遣いに(預かった内から)20銭渡した。残りは2円20銭。

この夜小石川から神田辺りを散歩した。

2日

 晴れ。早朝芦沢君が来た。母は山下さんの所へ行って本を返し、次郎君の就職試験の

結果を聞いて来た。華族銀行の試験に100人ほど受けた中で7人及第し職に就いたとの

こと。母が戻った後に次郎君が来たが、家の近くに華族銀行員が住んでいるので会いに

行くと門前で別れた。午後野々宮さんから手紙が来て「今月末に帰京する」とのこと。

とうとう辞職を決心したと見える。その訳も密かに知れ渡っているのがおかしい。夕方

芳太郎(芦沢)君が帰ろうとしているところに、思いがけず誰か門の前にやって来た。

母がのぞいて「猪三郎じゃないか」と言うと笑いながら入ってきた。芳太郎の腹違いの

兄で、10年ほど前に家で面倒を見たことがある。「他郷にあって故郷の人に会うほど

嬉しいことはない」と言うが、ましてこの人は兄弟なのでどれほど嬉しいかと思って

芳太郎を見ると、あまりに思いがけないことなのでびっくりして言葉もなく、顔を赤く

しているだけなのがおかしかったが、すぐに帰営した。猪三郎さんは東京で商売をする

ため家を探しに来たとのこと。夜更けまで話をした。

3日

 晴れ。猪三郎さんは母と一緒に家を探しに行った。浅草田原町と七軒丁の2か所に

気に入った家があったとのこと。夕方からまた行ったが、差配人が不在で話がまとまら

ず、また明日行くことにした。気温が昨日96度、今日95度(35~36度)だったので、日中

の暑さは言いようがない。夜おこう様が来て11時頃まで話す。芳太郎に小遣い30銭。

4日

 うす曇り。猪三郎さんは早朝から浅草に行った。母は小林さんのところに金の相談に

行く。いくらかでも元手がないとできないのでせめて50円でもと思ってだが、元からの

借金もあり空手ではと、所蔵する書画を10幅ばかりを預けることにした。「父が愛した

ものとはいえ売っても20円にもならないでしょう、他に何か添えるものはないかしら」

と母も妹も言う。「いえ、その価値をお金にしてもらうのではないのです。私に信用が

あれば白紙一枚だって百円にもなろうし、信用がなければ毛の一本さえ難しいでしょ

う。「遺愛の甘棠きるなかれ(遺品を捨ててはならない)」とまで言うものだけれど、

どうしようもなくなって手放すのです。親不孝だと思う人もいるでしょうが、まずは

自然に任せて私の心を伝えてください。このようになった次第を話して、それでも借り

ることができなかったらそれまでです」と母に遺品の品書きを書いて渡した。昼少し前

に帰宅し「あちらでも何やらあってまだどうなるかわからないが、いくらか望みはあり

そうだ」とのこと。それから母は浅草に猪三郎を訪ねて行った。田原町の家に決めたと

聞いてのこと。夜邦子と一緒に近所を散歩した。帰った後夕立が降った。

5日

 うす曇り。珍しく涼しい。奈良の辺りは日照りで水不足となり、雨乞いをしたと聞く

のも哀れである。

 この4、5日横浜の銀の相場がおびただしく乱高下し、閉店したところも出たそうだ。

思いがけなく利益を得たのは横浜正金銀行だけだったとか。小林さんより返事が来て、

金の調達はだめだった。

 この頃かしましいもの

  教育宗教衝突事件。新聞、雑誌に議論鼎の(中の湯が)湧くようである。

 にくいものは

  密漁船がはびこっていること。伊豆七島にも出没している。

 公使二人の身の上

  清国の大島氏と朝鮮の大石氏の辞任問題はどうなるだろうか。近い国のことなので

 気になる。軍艦千島の事件(英国貨物船と衝突、沈没した)もまだ裁判が終わらず

 心配である。控訴されたとかで憎いことだ。我が国の裁判官や弁護士で明瞭、明敏な

 人が出て、上手に説き伏せてくれたらどんなに嬉しいだろうか。

 執達吏(執行官:裁判所職員)こそ憎い仕事だ。その名前だけ聞いても鬼のような、

情け容赦のない者だろうと思っているが、知っている人がその職に就けば、そうも思わ

なくなるのはおもしろいことだ。

 

 恋は

 その人を見たり噂を聞いて、ふと偲ぶ(思い慕う)のはまだ浅い。打ち明けずに偲んで

いるのもまだ浅い。こちらから思い、あちらからも思われるのもまだまだ浅い、この世

では大方それを恋の成就と言うのだろうが。会い始めて疑いを持つのも浅い。忘れられ

て恨むのもまだまだ浅い。会うことを望まず、お互い思い合えばよいというのもまだ

まだ浅い。思い合うことも望まず、打ち明けることも望まずに一人心の中で楽しむこと

も全く浅い。

  名取川瀬々のうもれ木あらはれば いかにせむとかあひ見そめけむ

   二人の恋が噂になったらどうするつもりなのかと思いながらも会っている

のように相手や自分のために心配する。悲しく隔てた年月を、いつかは解ける日が来る

だろうとはかなく日を数えて待つ。心はその人に伝わっても、身は引き離されることと

なり、操を守り続けて百年も一人寝する。全て哀れでないことはないがこれらは恋に

酔い、恋に狂って「この恋の夢が覚めない内に夢の中で死にたい」と願っているだけの

ように思えて、大変浅いものだ。しかしうらやましいのはこの境地であろう。これ以上

立ち入った恋の奥に何があるのか。もしあるとしたら見苦しく、憎く、憂く、つらく、

あさましく、悲しく、淋しく、恨めしく、全てを一つにすれば厭わしいというものより

ほかないと思える。しかしその厭う恋こそ恋の極みなのだろう。厭わしいと捨てること

ができるものは厭うに足りない。厭う心が深いほど恋しさもまた深いのだ。まだ恋と

いう名が残っている恋は浅い。その人を忘れ、自分も忘れ、憂さも恋しさも忘れた後

に、なお何だかわからないものが残っている。それこそこの世のほかの世というもの

ではないだろうか。そこでは「何もかもが楽しい」という言葉を見出だすことはない。

「では『苦しい』という言葉もないはずだろう」と人は言うだろうが、その苦があれば

こそ、この世に漂っているのだ。「捨てた」と言ってもこの身がうごめいている限り

その苦は離れない。信者は仏を唱え、美術家は美を唱える、それは全てを捨て、捨て

去った後に得られるものではないか。

 

(難しく(本人も迷いに迷っている感じですが)理解できないので文章がおかしい…)