しのぶぐさ

 28年1月

 

 浪六氏から今日こそ手紙が来るかと待ちながら、はかなく日が暮れた。大晦日なので

あちらもせわしくしているのだろう。

  まちわたる 人のたよりは聞かぬまに またぬとしこそまづ来たりけれ

   待ちわびた人からの便りは来ずに、待っていない新年が先に来てしまった 

 三日の朝年始にと半井先生が門口にいらした。まったくおしゃれをせずに、姿も大層

衰えて見えた。

  ますかがみ われもとり出ん 見し人は きのふとおもふにおもがはりせる

   私も鏡をのぞいてみよう、会った人が短い間に面変わりしてしまった

 名高い美男子で、衣装もいつも華やかにしていた人なのに。

 

 同じ日、ある人が来てさあ寄席を聞きに行きましょうとしきりに誘うので、日暮れ

近くに三人で家を出た。菊坂の通りを過ぎて真砂町に上り、病院跡の野原を過ぎると

いつの間にか月が近くにあった。

  あづさゆみ 春はいまだの中空に かすむとやいはん 月おぼろなり

   まだ春でもないのに空には、かすむとも言えようか、月がおぼろに浮かんでいる

 

 この夜新潟の坂本さんから年賀状が来た。こちらからはまだ出していなかった。

  わすれぬも さすがにうれしからごろも つまにといひしなごりとおもへば

   忘れていたとはいえさすがに嬉しい、妻にと言われた名残だと思えば

 

 猪三郎は商店を開き、信三郎は銀行を出したとのこと。二人はいとこ同士である。

  梅の花ひらきしや やどのあまたあるを おくれ咲にも成ぬべきかな

   梅の花が開いた、宿はたくさんあるので遅れ咲きではあるが

 

 「あなたが男だったら生意気だと言われるでしょうね、知ったかぶりの偽物だと」

と邦子がそしるのを聞けば、そのようにしか思われないのかと恥ずかしい。

  をり立ちし和歌の浦わのあだ波に 人のもくずとならんとやみし

   降り立った和歌の浜のはかない波にもまれて 藻屑となってしまうようだ

 

 この(4日)夜本郷辺りをそぞろ歩きをし、錦絵を売る店で村上浪六の『征淸軍記』

はあるかと聞くと、出版したのは昨年だったが今は品切れしていると言う。五百部の後

はまだ出していないのだと思った。

  谷のとの氷やかたき年たてど まだよにいでぬ鶯のこえ

   谷間の氷が堅い年だったからか、鶯の声はまだ世に出ない ?

 初音を聞いたら私も春めいた気持になったのに。

 

 隣に酒を売る店がある。女性がたくさんいて客の相手をするのは、芸者のようであり

遊女のようである。しょっちゅう手紙を書いてほしいと私のところにやってくる。相手

はいつも変ってその数は計り知れない。

  まろびあふ はちすの露のたまさかは 誠にそまる色もありつや

   蓮の葉に転がる露の中にもたまには 真実に染まるものがあるでしょうか

 後ろは丸山の岡で物静かだが、前にある町方は物音が絶えず、怪しげな家が大変多い

ので、このような場所に長く住んでいると、若いうちから結局染まってしまわないもの

はないだろうという陰口をしばしば聞く。

  つまこひのきぎすの鳴く音しかの声 ここもうきよのさがの奥也

   妻を恋う雉や鹿の声がする、ここも浮世の嵯峨野(風流)/さがの(宿命)果て

 

 湯島の坂道は最近まで商家が多く大変にぎやかだったが、家を取り壊して道を広げ、

岩崎家の屋敷になってからは石垣を高く積み上げ、木立が隙間なく植えられて、月の

ない夜などとても寂しくなった。

  月までは いかにやいかに よの中の ひかりはおのが物になしても

   世の中の光はわがものにしても、月まではとてもとても

 

 15日、戸川達子さんが初めて家に来た。父上の残花道人はどういう人かわからない

が、雨の夜の品定めで賢い人だと言われたのはこのような人のことだろう。

  残りなくしらせ尽くしてくれたけの むなしかるべきむねのうちかな

   何もかも知らせてくれた人の、心の内は空しいだろう ?

 今年新たに我が家を訪ね始めた人は2、3人いるが、顔のよい人は学は大したことが

なく、才能があるように見える人は姿に取柄がなくて残念だ。 

  から衣いづれをつまと選びては おもひたたれぬすさびならまし

   誰を妻に選んでも思いは断てない、気まぐれなのでしょう

 男でないから気楽だ。

 

 しばらく途絶えがちになった男性が、人目が関所でなどという口実を書いた手紙を

よこし、その返事を書いてほしいと酒屋の女が言ってきたので書いてやった。

  はばかりはたが人めにか しらかはの關路よりこそ秌は立なれ

   はばかるのは誰の人目ですか、白河の関(東北の入り口)から秋は始まるのです

  (私に飽きたのでしょう)

 

 20日 残花氏が訪ねてきた。森鴎外の『水沫集』を持ってきて、読んでみてはとの

こと。また、毎日新聞か日曜付録に何か書いてほしいと頼まれた。原稿を26日までにと

言う。文学界からも頼まれているので、大変あわただしい。

  分いれば まづなげきこそこられけれ しをりもしらぬ文のはやしに

   分け入ってみれば嘆くことばかりだ 道しるべもない文学の林で

 

 2月1日、友を訪ねていると雨が降り出して大層しめやかだった。高楼でお茶を沸か

しながら静かに浮世の話をした。障子を開ければ隅田川の流れが白布を広げたようで、

土手の行き交う人影も風情があり、川を隔てて向こうの吉原の廓を指さしながら、主が

懺悔話をするのもしみじみと趣がある。この人を武骨な荒くれ者だと世の人が言うのは

どうしてだろう。筆にはそれほど優美な風情はないが、大方の人より情が深く、義を

持って諫める姿勢も劣っているとは思わない。話すほどに落花ががたちまち雪のように

なるというような思いになった。 ?

  落たぎつ岩にくだけて谷川の そこには塵もとどめざりけり

   滝が落ちて岩に砕け、谷川の底には塵すら留まらない

 彼の妻という人はあちらの廓に昨年までいた身であったとか。

「無垢な女性は世に尽きないというのにと懺悔話を心なく見放す人もいるが、私がこの

人を捨てて望みをこの世に求めれば男の一生として満足であっただろう。哀れにも私の

せいで淵に沈んで浮き上がれずに苦の海に流されるのを見過ごすことができなかったの

です。人には長短があるものですが、私はこのことで取り残された側に立つことになり

一生の過ちだと思っています。世の若い人に言いたいのは、妻を迎えるのなら仲立ちが

あってこそ、私には取り返しようもない悔いがあるのです」と嘆くのを見るとさすがに

気の毒で、見捨てることはできないと思った。とても情け深い人だ。

  春浅きそのの若草わかければ おふしもたてよ(おほしたつ?)つみはゆるして

   春浅い時期の若すぎる芽なのですから、罪を許して育ててあげてください

 とでも言いたい気持ちだ。雨はおもしろいものだ、降り込められたのでこのような話

を聞けたのだから。

 

 女友達が久しく訪ねてこなかったら、どうして来なかったのと言うことができるが、

男性には遠慮があって言えないので、なお懐かしく、恋しいと思うこともある。月の夜

などなおさらだ。雨の日に所在なく机に向って手紙を取り散らかし、これはあの人の

筆跡だと眺めるのもしみじみとする。このようなことは夢にも人に言ってはならない、

やがて名取川の濡れ衣になってしまうから。

 気の合う友がいれば存分に心を慰め合えるだろうが、そんな人はおらず、時々に感じ

たことを話す甲斐もないので、差し向ってもその人を傷つけないような受け答えをする

しかない。私の身に起こったことを話しても、少しおもしろいことだったら妬まれて、

そのうちに陰口をきかれる。よくない話だったら目の前で嘲って気分よくしているので

本当にあさましい。男だったら何事にもおおらかで、語り合う甲斐もあるように見える

が、もちろん気に入らないことがあればそんなこともないだろう。心安いのは、一人で

昔の手紙を広げて見ることだ。