よもぎう日記

 また続きを書く。ひまですねえ。

 

 …しようと手紙を出したとのこと。ほかにも「とても言いにくいことだが」と長々と

前置きして何のことだろう。手伝いを頼んでいた奥さんを断ることにして家政を改革

するという話もあった。私はすぐに帰った。平河町から車を雇い1時に帰宅。その後母

は神田の年の市に出かけた。夜食の奇談があった。その夜西村小三郎さんが妹と別れの

あいさつに来た。

 

師走22日

 曇天。暖かい。午後より晴れた。なにもなし。

 

23日

 晴天。国会議事録一覧。海軍大臣の演説によって議会が紛争したとのこと。要する

に、今年の議会は政府も民党も去年以上に決心が固いようだ。解散か総辞職、どちらに

なるだろうか。午前中吉田さん(邦子の友達)のお母さんと実さんが来て、仕立てを

頼みたいとのことで、邦子は断れず引き受ける。お母さんと母が元町まで仕立物を取り

に行く。邦子と私は髪を洗った。昼頃母帰宅。夕方中島くら子さんが来てしばらくして

帰った後3丁目に買い物に行く。三枝で女の子が生まれたと宮塚(親戚)から連絡が

あったのでお祝いを用意するため。帰宅すると岩佐さんが来て10時頃まで話して帰る。

12時就寝。

 

24日

 明け方強震があって、外に出ようとしているうちに止まった。晴天。午後より母は

三枝さんへ行き日没前に帰宅。ほかにこと無し。

 

25日

 晴天。寒さがひどい。午前中髪を結い、母は安達さんにお歳暮を届けに行った。佐藤

梅吉さんがお歳暮に来て、塩鮭を一本いただく。今日は半井先生が約束していたお金を

持ってきてくれるので迎える支度をする。庭先の梅一輪…(以下散失)

 

 最初の謎の文は、孝子を嫁にやり女中を解雇して手の足りない桃水が、嫁か手伝いを

斡旋してもらおうとしていたのが、弟の事件により女性を家に入れることを当分やめて

自分で切り盛りすると話したらしいとのこと。そこに一葉に来てもらいたいような匂わ

せがあったとかなかったとか…。25日は隠していた桃水からの借金が垣間見えた日。

前後がいろいろ気になります。

 

 待つ人、惜しむ人、喜ぶ人、憂う人さまざまな新年である。天の扉が開いたように光

が差し、今年明治25年という年の姿がはっきり見えて、心がさらに改まる気がするのも

快い。人より早くと急いで起きて若水を汲みに行くのも楽しい。昨夜は雨がひどく、風

もすさまじかったのに名残なく晴れ渡って、真っ青な大空に凧が上がるのも勇ましく、

羽根つきをしているのどかな声も聞こえるのも嬉しい。昨日と全く違う天気で、気味が

悪いほど暖かいので、地震の予兆ではないかと気になる。火鉢から遠く離れて軒先に

行くと梅の香さえする風がふわりと吹く。「これほどの新年はまだ迎えたことがない」

と人々は喜んでいる。いつも雪のように降る霜も、今朝は気配さえなかったので、

 いか計のどかに立し年ならむ 霜だにみえぬ朝ぼらけかな

お雑煮、お屠蘇などで例年通り祝って、化粧をし、まずは書初めをする。邦子は「日出

山」と書き私は、

 くれ竹のおもふふしなく親も子も のびたゝんとしの始とも哉

というようなことをしたためる。山下直一さん、久保木秀太郎が年始に来る。母も近所

にごあいさつに行く。午後藤林房蔵さん、西村釧ノ助さん、志川とくさんが来た。

岩佐さんは玄関先であいさつして帰る。その後姉、田部井さんが来た。少しいて帰る。

小宮山弁護士から年賀を兼ねたおぶんについての葉書が来た。喜多川さんからも年賀

状。日没後邦子は裁縫、私は読書をする。「お宝」と呼ぶ声(よい初夢を見るために

枕の下に敷く宝船の絵)が聞こえるのも風情がある。初夢というからには今晩見る夢の

ことだが、昔から明日見る夢となっている。それを今日売るとは、進む世のしるしだろ

うか、夢を先取りさせようというのか、おもしろい。布団に入ったのは12時頃だった。

時計を修理に出しているのでわからない。

 

2日

 曇天。早朝より年始の会に着る三つ揃えの仕立てにとりかかる。訪れる人もない家

なので、もはや新年とは思われないほど静かだ。求めなくても閑静である。昼過ぎに

小宮山弁護士が来て、おぶんの話を4時頃までする。今日年始に来た人は土田恒之助

さんと以前中島先生に仕えていた玉と呼ばれていた人とあと2、3人。今夜も裁縫で夜

更かしをした。

 

3日

 曇天。昨夜は雨が少し降ったが、今日はそれほどでもない。午前中綾部喜亮さんが

来た。午後は上野のおじさんと三枝新さんが来た。三枝さんは母とおじさんにお年玉を

下さった。様々な話があった。伯父さんは一足先に帰る。日没前に新さんも帰宅。この

夜もゆうべと同じく遅くなってより雨が降った。

 

4日

 曇天。年始に来たのは藤田さん、菊池さんだけ。野尻さんと渋谷さんから年賀状。

野尻さんには出していたのでよいが、渋谷さんは昨年新潟に赴任されてから住所がわか

らず、といって人に聞くのも間の悪いことがあってご無沙汰していた。返礼せねばと

すぐに返事を書いて出す。午後山梨の後屋敷村からおかしな年賀状が来た。今日までに

来た年賀状は、熊谷の山下さん、甲府の伊庭さん、岐阜からまき子さん、音羽の前島

さんからなど。こちらから出したのは15通位だったので「あと4、5通は来るだろう」と

話し合った。今日も一日裁縫、夜更けまでした。

 

5日

 曇っていたが10時頃から晴れた。佐藤梅吉さんが来た。一杯飲んで帰宅。午後から

田部井さんが来た。昨日と同じく裁縫で夜更かしして一番鳥の声を聞いてから布団に

入った。

 

6日

 曇天、時々雨。風も大変寒かった。寒の入りと聞けば道理である。三つ揃えに綿入れ

をした。この夜も同じく3時まで縫物。

 

7日 

 曇天、寒い。「明日はきっと降るわよ」と邦子が言う。私が明日年始回りをする予定

なので嫌味なのだ。今日はこれといった客もなし。稲葉様親子と奥田のおばあさんの

2組のみ。邦子と銭湯に行った。半井先生にお年玉として差し上げるものを買いに本郷

3丁目に行った。空はよく晴れて風が少し吹いている。山崎さん、横山さん、雨宮さん

から年賀状が来た。この夜綾部喜亮さんが、久保木についての話に来た。私は明日の

支度のため夜更かしした。

 

8日

 早く起きて空を見れば、とてもよく晴れて塵ほどの雲もない。かすみがかっているの

がなんとも春のようだ。出かける支度をしていると綾部さんと久保木さんが連れ立って

きて話は済んだとのこと。帰った後すぐに邦子は神田へ、私は車を頼んでまず西村さん

へ行く。茨城から伯母様が来ていてあいさつした。「明日帰るので、これから菊坂

(一葉宅)に行こうと思っていたところです。あなたが来てくれなかったら会えなかっ

たところでした」と喜んでくれた。辞して中島先生のところへ行く。「具合が悪い上、

お客様がいます」と女中が言うので、「無理に会うことはないですね、ではお母様は」

と聞くと今眠ったところだと言うので、残念だが「また来ます」と出た。新小川町の

みの子さんを訪ねる。「上がりなさい」と言ってくれたが「先があるので」とおいとま

した。車を急がせて平河町の半井先生の本宅に来てみると、門戸を固く締めて「貸家」

の張り紙があった。びっくりして寄って見ると「半井氏お尋ねの方は6丁目22番地小田

何某まで参られたし」とある。そちらに行って「半井先生はいらっしゃいますか」と

聞くと女中のような女がにやにやして家に入った。替わって出てきたのはその家の主婦

のような30歳くらいの人で「先生は旅行に出ていらしてお留守です。ご用があったら

承りましょう」と言うので「どこに行ったのですか」と聞いても「地方へ」としか答え

ない。これ以上聞いても仕方がないので「私は樋口と申します。特に用ではないのです

が、年始のご挨拶に来たとお帰りになったらお伝えください。またお手数ですが、お帰

りになったら連絡くださいますようお伝えください」と言って出た。「旅行ではあるま

い、いつもの隠れ家ではないだろうか、頼みごとがいろいろあるのでどうしても会わな

ければ。失礼を覚悟で行ってみよう」と例の家に行った。庭先からのぞくと障子が張り

替えられ、なんだか改まって見えたのでここも引っ越したのかと思いながら、格子戸の

前に行って何度か声をかけたが返事がない。留守かとも思うが火鉢に鉄瓶の湯がたぎっ

ている音がして人がいないようにも思われない。格子戸を開けようとしたが栓が固く

差してあった。ここまで来て入れてもらえないのは残念で、どうしても会いたいと思っ

たのでさらに声をかけたが返事はなかった。勝手口の戸が開いていたので勇気を出して

入ってみた。恐る恐るのぞいたが人の気配はない。留守に上がっては人聞きが悪いので

急いで出たが、せっかく持ってきたお年玉だけは置いていこうと思い、台所の板の間に

土産の箱を置いて出た。車に乗って帰る道すがら「なんとおかしなまねをしてしまった

のだろう、昔の私はこんな軽はずみなことをするなんて思いもよらない。年を取ると

面の皮が厚くなってはしたないことをするものだ。こんなこと人が知ったら何と言うだ

ろう。怪しまれて、したこともないことまで言われてしまうのではないだろうか、どう

しよう」などと考えて身を責めて苦しんだ。家に帰ったのは2時頃だった。宮塚のおば

様が来ていてしばらく話す。西村のおば様も来て私が早く帰っていたのに驚いていた。

日没まで話しているうち邦子が帰る。この夜は日頃の疲れもあり、遠出をしたので疲労

困憊し何もしたくなかったが、先生にだけは手紙を出さないと気が済まないので書い

た。何度書き直しても気に入らなかったが何とか書き終え、読み返すと後々災いの種に

なりそうで恐ろしく、封をしたまま出さずにほかの用事をした。母は9時頃帰宅。12時

まで歌を詠む。