ちりの中

 

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 このところ痰が切れないので龍角散デビューしました。くっそま…大変不味です。

仁丹臭は覚悟でしたが別に、ムッとする田舎に住んでいる人ならわかる「あの感じ」が

喉の奥でさく裂します。あまりのことにお口直しをしてしまいましたが、それでは効果

がないとか。喉が通るようにはなるし、3回飲んだら耐えられるようになりました。

 後日、龍角散そのままだと不評な「のどすっきりタブレット」を試してみましたが、

リニューアルしたのか食べやすいです。

 

28日

 早朝久佐賀氏より手紙が来た。「あなたの非凡な精神に感服いたしました。今後とも

親しくお付き合いくださいますことを望んでいます」などとあり「亀戸の臥龍梅が満開

になった頃です。ご一緒に天地の花と、人生の花を味わえたらさぞ楽しいことでしょ

う。ご都合のよい日をお知らせくださいましたら」とある。そして別紙に「あなたが

再びいらしてくれることを待ちかねて」と歌がついている。

 とふ人やあるとこころにたのしみて そぞろうれしき秋の夕暮

 歌もよくないし字もあまりうまくないようだが、才を持って世を牛耳ろうとしている

人である。梅見への誘いは何か思惑があるのだろうが、彼の手に乗るものかと笑いなが

ら返事を書く。「貧しいものには閑雅に自然の美を楽しむゆとりがないのです。お心に

深く感謝いたしますが、お供することは難しいのでお許しください。ふくよかな梅の香

りとは縁がなくても、そのお心づかいを月や花のようにしみじみと感じています。近い

内にまた教えをいただきに上がります」と書き、返歌というほどでもないが、

 すみよしのまつは誠か忘れ草 つむ人の多きあはれうきよに

  多くの人に忘れられたこの世で、私を待つとは本当でしょうか

弥生1日

 『文学界』14号が届いた。早朝田部井さんから手紙が来て、奥さんが急病で亡くなっ

たとのこと。夢のようで呆然とする。母はすぐにお悔やみに行った。

2日 曇り。頭痛がして一日臥せていた。夕方参議院の当選者の号外が来た。

3日 小雨。最近なにもなし。

9日 雨。今日は天皇陛下の銀婚の大典がある。全都市府県がそれぞれに祝意を表す

ため狂ったようになっていると聞くが、折あしく雨になったのでそれほどの騒ぎには

ならなかったようだ。菊池の奥様が高齢のお祝い金を賜ったとか。亡き旦那様の5年祭

を兼ねてお祝いをするとの連絡があり、母がお祝いを持って行くので歌を一首添えた。

 めづらしき御いはいにさへ逢にあひて 君かさぬらん千代も八千代も

 あまりよくもなかったが。夕方樋口くら子さんが来た。

10日 おくらさん泊る。雨天。

11日 同じく雨。山下直一君が亡くなったと知らせが来た。夢のようで呆然となる。

12日

 母が山下さんにお悔やみに行く。おくらさんは伊三郎さんのところへ行った。禿木

さんと馬場孤蝶さんが来た。孤蝶さんは故馬場辰猪氏の弟さんだとのこと。二十をいく

つか過ぎたくらいだろうか、悲歌慷慨(社会の不正や乱れ、自らの不運や道理に反する

ことを悲しげに歌い、憤って嘆くこと)の士だとのことで「不平、不平」と言うのが

口癖のよう。嬉しい人だ。

13日 晴れ。真砂町に久佐賀氏を訪ね日没頃帰宅。おくらさんはまだ戻らない。

14日

 数詠みをしに行くため田中さんを訪ねた。ゆうべ葉書を出したのだが行き違い、彼女

も今日は小石川の先生と鍋島家に参賀すると私に手紙を出したとのことで、その支度中

だった。龍子さんがいよいよ25日に発会すると発表があり、その披露を兼ねて鍋島家

から目をかけてもらうための会だとのこと。田中さんが出かけたあとに残ってお弟子

さんたちと数詠みをした。30題。醜聞をいろいろと聞き、田中家の内情が見えた。

 

 日々変わりゆく心も、いつの間にか本当の悟りを得、古い淵に月が映るような境地に

なるものだ。愚かな心の習いとして、時が過ぎるままに物事は流れ、悲しい時にはひた

すら悲しみ、楽しい時にはひたすら楽しみ、今までのこともこれからのことも考えずに

生きるのは情けないことだ。心は雲の高さにまで登り、考えることは清く潔く、人の恐

れる死すら、風に吹かれる塵のようなものだと諦めて、桜が散るという道理を思えば嵐

も大して恐ろしいことはない。死をそのようにとらえてこの世を風流に過ごそうと思う

のだ。古の賢い人々も同じことで願いはそれにほかならない。といっても、思い通りに

生きて世を過ごすことは世の凡人の望みであるが、そうもいかないので身を屈して思い

切ったこともできず、心の上では悟ろうとしても身は迷いのうちに終わってしまうの

だ。哀れなことだ。虚無の浮世に君主もない、臣下もない。そもそも君主も偽りなら

臣下も偽り、偽りながらも統制あって初めて人道が定まるというものだ。無の中から

有を生んで、ここに一つの道ができたのであれば、人の中で何かを成そうと企てる者は

必ず人道に寄らないわけにはいかない。天地全てを飲み込んで、有無両方を手中に握っ

たとしても、行わなれない誠は人も見ることができない。「私の身は清い」と言っても

感情は人の心にあって耳にはないので甲斐のないのは、放言高論の類だ。世に文章家と

いうものがいて、華文麗辞をよくし、和歌俳句を巧みに詠う者がいる。また、弁士と

いうものは悲歌慷慨の声高く一時でも感情を動かす者もいる。しかしこれらは傀儡が

木偶を回して(人形師が人形を繰って)人の目を喜ばせるものの類であって、ほんの

一時の楽しみにすぎない。一瞬にして起こった感情は一瞬にして消えるものだ。一代を

以て百代までも残る業を成そうと思うのは自分だけで、人ではない。「わが身は清い」

と思って人を貶めるのはまだしも、人のことばかり論じて自分の誠を明らかにできず、

国政を謗り、大臣を蔑し、大家や名士の非をあげつらって見ても、彼らは実際世間に

耳目を集めている人であり、こちらはただ一つの口なのでただ見苦しいだけだ。心に

天地の誠を抱いても身は一代限りの狂人として終えたなら、人に益することも世に貢献

することもないので、清濁どちらがいいとも言えなくなる。なので古の賢い人は心の誠

を基として人の世を処することを務めとしたのだ。務めとは行いであり、行いは徳であ

る。徳が積もって初めて人の心を動かす。それは百代に渡って風雨霜雪に破れることな

く、その言葉は世に貢献し、その一言一言に益がある。その絶え間ない流れは濁りをも

清に帰して、人生の是非の標準も定まるだろう。一身の欲を捨て、楽しみを捨てた上に

思うままの人生を得られるのだ。「花をも実をも、はじめより得んとしてはいかでか得

ん」(花月草紙)と書いた人もいる。机上の論も虚ではない、虚ではないとはいえ行い

が熟さなければ実(じつ)を得ることはできない。論じる者は行わず、行う者は論じな

いが、言わなくても行ったことは隠れもない。これこそ百世に残るものだが、結局は虚

であり無である。天地の誠は虚無の他にないというが、人世の誠は道徳仁義の他にな

い。これを尊びあれを捨てるのは愚かである。あれを取ってこれに背くのも違う。虚は

空であり実は存在する。無は裏であり有は表である。四季の循環があり、太陽や月の出

入りがある。浮き世も天地もそれだけで動いているのではない。地に花があり天に月が

ある。香りは空であるが色は目に映る。あれが小さくてこれが大きいとは言えない。

だからこそ人世に事を行う者は限りない空を包んで、限りある実を務めなければならな

い。一時の勇気はまだ勇気とは言えない。一人の敵と刺し違えたとして、軍にとって

どれだけのことになるのか。一を以て十に当たるとはいえない。万人の敵と当たるには

かの孫呉の兵法(七書)の奇正(定石通りの正攻法と、状況に応じて臨機応変に行う

奇策を使い分けることの中にある。その変化運用の素晴らしさは、天地を包んでしか

も天地の法を離れない。これを知る者が偉大な人傑となり、これを失うものは名もなき

狂人になる。法は奇であり濁りではなく、清流は一貫して古来より今に流れている。

思えば聖者は行く水の流れのように滞ることがないので羨ましい。

  魚だにもすまぬかき根のいささ川 くむにもたらぬところ成けり

   垣根の下を流れる魚も住まない小川は、汲んで使うことさえできない

 

14日 おくらさんは幸作さんのことについて丸茂医学士のところへ行く。

15日 雨。丸茂先生のところに入院が決まって、おくらさんは帰郷した。

16日 晴れ。吉原神社の祭典、にわかが出たので夜母と見に行く。

17日 晴れ。広瀬伊三郎さんが来た。おくらさん(幸作の病気)の事情を聞いた。

18日

 晴れ。久保木の姉と秀太郎君が来た。平田氏から葉書。「今月の『文学界』の寄稿は

なるべく多く欲しい、21日頃までに」とのこと。孤蝶さんからの伝言と、身の回りや

学校の忙しさが片付き次第伺いますなどとあった。

19日

 晴れ。木村ちよさんが来たので酒肴を出した。本人の所望による。同じく頼まれて

小堀何某さんと堀何某さんに葉書を出した。

 

 

 随想部分が難しくてなかなか進まなかった。わかるような気もするが言葉にできない

ということは理解していないということ、何となくぼかしてしまった。

 しばらくここで留まってしまったが今後も見直すこととして続きを書きます。