樋口一葉「われから 一」

                  一

 霜夜も更けて、枕元に吹くともなく妻戸の隙から風が入り、障子紙がかさこそと音を

立てるのも哀れで淋しい旦那様のお留守、寝室の時計が十二時を打つまで奥方はどうし

ても眠ることができず、何度も寝がえりをして少し癇性の気が出て、いらない浮世の

さまざまを思う。旦那様は去年の今頃は紅葉館にひたすら通い詰めてそれを隠していた

が、よそ行きの袂の袖から女持ちのはんかちを見つけた時の憎さ、散々いじめていじめ

抜いて、もうこれからは決して行かぬ、同藩の澤木が言葉のいとえを間違えなくなる世

が来ても、この約束は決して破らないので堪忍してくれと謝った時の気味のよかった

こと。日頃のつかえが下りて胸がすくほど嬉しかったがまたもやこの頃は時々のお泊

り、水曜会のお友達や俱楽部のお仲間に浮気な方が多いので、それに引かれておずずと

身持ちが悪くなってしまった。朱に交わればということをお花のお師匠が口癖にして

いたが、本当にあれは嘘ではない。昔はあのような口先の人ではなかった、今日はどこ

そこで芸者を上げて、このような不思議な踊りを見てきたとお腹がよじれるようなおか

しなことをまじめにおっしゃっていたのに、今日この頃の人の悪さときたら、憎らしい

ほどお利口なことばかり言って、私のような世間知らずを手の平で揉んで丸めてしま

い、押さえどころのないお方になってしまった。今夜はどこでお泊りか、明日はどの

ような嘘を言ってお帰りになるのか、夕方倶楽部へ電話をかけたら三時頃帰ったとの

こと、また吉原の式部のところではないだろうか、あれとは縁を切ったと言ってから

五年、旦那様ばかりが悪いのではなくて、暑い寒いのご挨拶(進物)など憎らしい処置

をしてみせるので、お心がつい浮かれて足が向いてしまうのだ、本当に商売人とはいえ

憎らしいものだと次第に思うことが多くなり、いよいよ眠ることができなくなって奥方

縮緬の掻巻を放り出して郡内(上等の絹織物)の布団の上に起き上がった。

 八畳の座敷に六枚屏風を立てて、枕元には桐胴の火鉢と煎茶の道具、煙草盆紫檀

朱羅宇の煙管(遊女が好む)もおかしく、枕布団の派手な模様や枕の房の紅にも日頃の

奥方の好みが表れて、蘭麝(よい香り)にむせぶ部屋の中は、行燈の光もかすか。

 奥方は火鉢を引き寄せて火の気があるかと見てみると、宵に小間使いが埋けた佐倉炭

(上等)は半ば灰になり、よく起こしもせずに埋けたので黒いまま冷えたものもある。

煙管を取り上げて一服二服、煙を吹いて耳を立てると、ちょうどこの部屋の軒に映って

つま恋歩く猫の声、あれは玉ではないだろうか、まあこの霜の夜に屋根を歩いては、

いつかのように風邪を引いて苦しそうな咳をするだろう、あれもまた浮気ものだと煙管

を置いて立ち上がる。雌猫を呼ぼうと燈火に火を移し、普段着の八丈の書生羽織をしど

けなく引っ掛けると、腰に巻いた縮緬(のしごき帯)の浅黄色が殊に美しく見える。

 踏むのも冷たい板の間に裾を長く引いて縁側に出て、用心口(雨戸の非常口)から

顔を差し出し、玉よ、玉よと二声ほど呼んでも、恋に狂って憧れる身は主人の声も聞き

分けずに、身にしみるようななまめかしい声を出して大屋根の方へ行く。言うことを

聞かないわがままものめ、どうとでもおしと捨て台詞を言って、なんとなく庭を見ると

闇に覆われてものの白黒も見分けられないが、山茶花の咲く垣根から漏れるのは書生

部屋の戸の隙間からわずかにほのめく光、ああ千葉はまだ寝ていないのか。

 用心口に鍵を差して寝室に戻ったが、再び立って菓子棚のびすけっとの瓶を取り出

し、鼻紙の上に明けておひねりにし、燈火を片手に縁側に出れば天井の鼠ががたがたと

暴れて、いたちでも入ったかのようにきーきーとものすごい声、道案内の燈火が揺れて

廊下の闇の恐ろしさも慣れた家なので何とも思わず、女中たちの夢のさなか、奥様は

書生の部屋にやってきた。「お前はまだ寝ないのかい」と障子の外から声をかけて奥様

はずっと中に入れば、部屋にいた男は読書中を驚かされて、思いがけないような呆れ

顔、それがおかしくて奥様は笑いながら立っている。

                   二

 ありふれた白木作の机に白天竺(木綿)をかけて、勧工場製(安物)の筆立てに細筆

もりす毛の筆もぺんも洋刀も一つに入れて、首の欠けた亀の子の水入れに赤いんきの瓶

が押し並び、歯磨きの箱まで我もとそれぞれが縄張りを張っている机の上に寄りかかっ

て、今まで洋書をひもといていたのは二十歳あまり二十三にもなるまい、五分刈りの顔

は長くも角ばってもなく、眉毛は濃くて黒目勝ち、全体に器量のいい方であるがいかに

もの田舎風、牛蒡縞の綿入れにいうまでもなく白木綿の帯(書生の姿)。青い毛布を

座布団代わりに膝の下にして、前かがみになって両手で頭を押さえている。

 奥様は無言でびすけっとを机に乗せて、「お前夜更かしをするならするように寒さ

しのぎをしておけばいいのに湯沸かしは水になって火といったら蛍火のよう、よくこれ

で寒くないこと、おせっかいだが私が起こしてあげましょう、炭取りをこちらへ」と

おっしゃると書生は恐れ入って、「いつも無精をしてしまいます、申し訳ないことで」

とありがた迷惑そうに炭取りを差し出して落ち着かない様子。「これは私の道楽さ」と

奥様は炭継ぎに取りかかった。

 親切も自慢げに、蛍火を大事そうにはさみ上げて積み立てた炭の上に乗せ、あたりに

あった新聞を三つ四つに折って端からそよそよと仰ぐと、いつしかこれからそれに移っ

てぱちぱちという音が勇ましく、青い火がひらひらと燃えて火鉢の縁が少し熱くなる

と奥様は大変な働きをしたかのように、千葉もお当たりと少し押しやって、今夜は特に

寒いものをと、指輪の輝く白い指先を籐編みの火鉢の縁にかけた。

 書生の千葉はさらに恐れ入ってどうもこれはと頭を下げるばかり。故郷にいた時姉が

母に代わってかわいがってくれた、その頃のことを思い出して、もちろん奥様は派手

作りで田舎者の姉が少しも似ているわけもないが、中学校の試験前に夜明かしを続けて

いた頃、このようなことを言ってこのようなことをしてくれた。そして蕎麦がきのごち

そうを温まるようにと言って作ってくれた時もあった。懐かしいのはその昔、ありがた

いのは今の奥様の情けだと、日頃お世話になっていることもあっていかり肩もすぼまる

ほどかしこまっているのを奥様は寒そうだと見て、「お前羽織はまだできないのかい、

お仲に頼んで大急ぎで仕立ててもらうようになさい、この寒い夜に綿入れ一つで辛抱

できるはずがない、風邪でも引いたらどうします、本当に体を厭わねばなりませんよ。

この前にいた原田という勉強者はやはりお前のように明けても暮れても紙魚のように

(本から離れず)遊びにも行かなければ寄席一つ聞こうとしなかったので、それは

感心というか恐ろしいほどで、飛び級の卒業という間際までとんとん拍子だったのに

惜しいこと、脳病になったのではないかしら。国元からお母さんを呼んでこの家で二月

も介抱させたのだけれど、ついには何が何やら無我夢中になって、思い出しても情けな

い、いわば狂死をしたのだね。私はそれを見ているから勉強家が心配でならない、怠け

られても困るけれど病気にならないように心がけておくれ、ましてお前は一粒種で、親

も兄弟もないというではないか。千葉家を背負って立つ大黒柱に何かあっては立て直せ

ない、そうでしょう」と奥様は(同じような)自分の身に比べて言うと「は、は」と

答えて言葉がない。

 奥様は立ち上がって「大層お邪魔をしました、なるべく早くお休みなさい。私は行っ

て寝るだけで、部屋に行くまでは寒いといってもたいしたことはない、構わないから

これを着なさい、遠慮されると憎らしいから黙って年上の言うことを聞くものですよ」

と奥様はすっと羽織を脱いで千葉の後ろから着せ掛けると、人肌の温かみが気味悪く、

麝香の香りが全身を襲ってお礼も何も言いかねるのを、よく似合うわと笑いながら燈火

を手にして出て行った。蝋燭はいつしか三分の一ほどになって、軒端に高く木枯の音が

する。

                  三

 落ち葉を焚く煙かどうか、冬枯れの庭の木立をかすめて、裏通りの町屋の方へ朝毎に

たなびくのを、それ、金村の奥様がお目覚めだと人は悪口の一つにしているが、習慣の

恐ろしさは朝食前の一風呂、これが済まなくては箸も取れず、一日怠ることがあれば

終日気持ちがただならず物足りないように気になると言っても、聞く人には洒落者の

道楽と取られるだけだ。本人も誠に仕方のない癖をつけて、今更面倒に思う時もあるが

召使が心得て、言いつけがなくても柴をくべて、お加減がよろしゅうございますと朝の

寝床に告げに来れば、もうよそうと幾度かは思っても相変わらずの贅沢。米粉を入れた

糠袋で磨き上げて、出ればさらに濃いお化粧をして、これもやめられない肌になって

しまった。

 歳は二十六、遅れ咲きの花も梢でしぼむ頃だが、化粧のうまさと元々の美しさを合わ

せて五つほどは若く見られる得な性分、お子様がないせいだろうと髪結いのお留は言う

が、あればもう少し落ち着くだろう。未だに娘心を失わず、金歯を入れた口元でどうせ

よ、こうせよともったいぶってたくさんの使用人を使っているが、旦那様に頼んで十軒

店に人形を買いに行くなど一家の妻のようではなく、御高祖頭巾に肩掛けをまとい、

良人と共に川崎大師に参詣する道では停車場の群衆にあれは新橋か、どこの芸者だろう

とささやかれ、奥様とは言われないのを嬉しがっていつしか好みもそのようになったの

も器量がさせる業だろう。

 目鼻立ちから髪の様子、歯並びのよいところまで似た、母親そのままの生まれつき、

奥様の父親というのは赤鬼の与四郎という、十年前までは物凄い目を光らせて生きてい

たのだが、人の生き血を絞った報いか五十にもならないうちに急病の脳充血により一朝

でこの世の税を納め(亡くなっ)た。葬儀の造花は派手で見事だったが、辻に立って

見る人からは爪はじき(厄災を払う)をされて、その後はどうなるのかと思われたもの

だった。

 この人も初めは大蔵省で月給を八円頂戴し、はげちょろの洋服に毛繻子の傘(安価)

を差して、大雨でも車の贅沢はできない身だったのを一念発起し、帽子も靴も取って

捨てて今川橋の際で夜明かしの蕎麦がきを売り始めた頃は、千鈞の重みを引っ提げて

大海をも躍り越える(不可能を可能にする)勢いで、知る限りの人が舌を巻いて驚いた

ものだったが、「猪武者の向こう見ずだ、やがて元も子もすって情けない様子になる

ことが思われる」と陰口を言う者もいた。

 成り上がった与四郎の元を少し話せば、この与四郎にも恋はあった。幼馴染の妻は

美尾という大変美しい十七歳だった。天にも地にも二つとないものと捧げ持ち、役所

帰りに竹の皮から(落ちる総菜の汁が)滴るほど湿っぽいと人から後ろ指さされなが

ら、烏の声の中、妻の待つ夕飯の膳に総菜を買ってくるやら、朝の出がけに水甕の底を

掃除して、一日手桶を持たせないように水を汲んでおく、あなたお昼炊きでございます

と言えばおいと答えて、米研ぎ桶に量り入れるほどのほれ込みよう、これで終われば

千年も美しい夢の中で過ごすようであったのだが。

 それほどに相寄り添って五年目の春、梅が咲く頃のそぞろ歩き、土曜日の午後から

同僚二、三人と連れ立って葛飾の梅屋敷を回り、帰りに広小路の小料理屋へ。酒も深く

は飲まないたちなのであっさりと終えて、わざわざ土産の折を整えさせて、友から冷や

かされながら一人別れてとぼとぼと本郷附木店の我が家へ戻ると、格子戸に鍵をかけて

おらず、上に上がっても燈火はもちろん火鉢の炭も黒く、灰は外に散らばって、まだ

二月の夜嵐が開けっ放しの引き窓から入って寒いことこの上ない。どうしてかわからず

に洋燈を取り出してつくづくと考えていると、物音を聞きつけて隣の小学校教員の妻が

急いで表から回って来て、「お帰りになりましたか、ご新造さんは先ほど三時過ぎくら

いでしたかご実家からのお迎えという綺麗な車が来ましたので、留守をお願いしますと

おっしゃってそのままお出かけになりました。火がなければ取りにいらしてください、

お湯も沸いていますから」と親切に世話を焼いてくれるが、不審の雲が胸の内にふさが

って、どういう様子でどのようなことを言って行きましたかと聞きたいが、嫉妬深いと

思われるのも悔しいので「それはいろいろとご厄介をおかけしました、私が戻ったから

にはご心配なくお休みください」ときっぱりと言って隣の妻を返し、一人淋しく洋燈の

光で煙草を吸って、忌々しい土産の折は鼠が食べろとばかりに紐をつけたまま勝手元に

投げ出してその夜は床に入ったが、それにしても癇癪のやりどころがなく、どんな用事

があっても自分の留守に無断の外出、ましてや家を空けっ放しにしてこれが人の妻の

仕業かと、あまりのことに胸は沸き返るようだった。翌日は日曜、一日寝ていても咎め

る人はなし、枕を相手にごろごろして、表の格子戸には錠をおろしたまま、誰か訪ねて

きても音もしない。空しく午後四時という頃になって車が門口に泊まり、優しい駒下駄

の音が聞こえるのがわかっていても知らん顔をして空寝をしていると、美尾は格子を

押してみて、どうしたのかしら、錠が下りていると独り言を言って、隣の松の垣根に

添って勝手口の方へ抜け道から入ってきた。

 「昨日の午後から谷中の母さんが急病になって、癪でしたが、胸元に強く差し込みが

あって一時はとてもこの世のものではないと言われましたが、お医者様が皮下注射やら

何やらしてくださって何事もなく納まり、今日は一人で手水にも行けるようになりまし

た。このようなわけがあって昨日家を出る時はどきどきして何ごとも考えられず、後か

ら思えば戸締りもせず庭も開け放して、さぞかしあなたがお怒りだろうと気が気では

なかったのですが、病人を見捨てては帰ることもできず今日もこのように遅くまでいて

どこまでも私が悪いのですがこの通り謝りますのでお許しください。いつものように

打ち解けたお顔を見せてください。ご機嫌を直してください」と詫びられれば、そうか

と少し我が折れて、「それならばそのようになぜ葉書をよこさない、ばかな奴だ」と

叱りつけて、「母親は壮健な人だとばかり思っていたが、癪というのは初めてか」など

と睦まじく語り合って、与四郎は何か秘密があるとも思わなかった。