樋口一葉「われから 三」

                   七

 お町が声を立てて笑うようになって、新年が来た。お美尾は日毎に安らかならぬ面持

ち、時には涙にくれる日もあるが血の道のせいだと本人が言うので、与四郎はそれほど

疑わずにただただこの子の成長することだけを話して、例の洋服姿の見事ならぬ勤め、

手弁当下げて昨日も今日も出かけて行く。

 お美尾の母は東京住まいにうんざりし、はしたない仕事で毎日を送ることに飽きたの

と「一つにはお前様たちの世話を省くため、日頃お世話になっている従三位の軍人様が

西の京にご栄転することになり、お屋敷を向こうに建てたのを幸いにそこの女中頭と

して生涯務めるつもりです。老後も養ってくださる約束が決まりましたのでもうこの

土地にはいません、また来ることがあれば一泊くらいはさせてください。そのほかの

ご厄介にはなりませんから」と言う。そうはいってもたった一人の母親なので、与四郎

は美尾の心細さを思いやって、「あなたもお歳ですしいかによい勤めといっても他人に

奉公させるとは子である私たちも申訳ない。ぜひとどまってください」と言ったが、

「いやいやそのようなことはお前様がご出世した暁に言ってください、今は聞きませ

ん」と身一つの風呂敷包み、谷中の家には貸家の札が張られ船路で彼の地へ旅立った。

 それから一月、雲が黒く月も暗い夕べ、与四郎は残業の調べものがあって家に帰った

のは八時。いつもは薄暗い洋燈の下で風車や犬張り子を取り散らかして、まだ母親の名

の似合わない美尾が懐を広げて幼子に乳をやる美しいさまが見られるはずが、格子の外

から見ると燈火がぼんやりして障子に移る影はない。お美尾、お美尾と呼びながら入る

と、答えは隣の方から「今参ります」という言葉は同じでも違う声だった。

 隣の妻が入ってくるのを見ると懐に町を抱いている。与四郎は胸騒ぎがして「美尾は

どこへ行きました、こんな日暮れに明かりをつけっぱなしで買い物にでも行きました

か」と聞くと隣の妻は眉を寄せて、「さあ、そのことでございます」と眠りから覚めた

懐の町がぐすりぐすりとむずかるのを「おお、いい子、いい子」とゆすぶって言葉が

途絶えた。「燈火は今私がつけたのでございます。本当を言うと今まで留守番をして

おりましたのですが、家のやんちゃがうるさいので小言を言いに行ったのです。ご新造

は今日の昼前に、通りまで買い物に行ってきますので帰るまでこの子の世話を頼みます

とおっしゃって、しばらくのことかと思っていたら二時になっても三時になっても音も

なく、今まで影も見えないのはどこまでお買い物に行ったのやら。留守を頼まれて日が

暮れるほど心配なことはありません、どうなされたのでしょう」と聞かれてそれは自分

も尋ねたい思い、「普段着のままでしたか」と聞くと「はあ、羽織だけ変えて行かれた

ようです」「何か持っていきましたか」「いえそのようには見えませんでした」と言う

ので、はてと腕を組んで、こんな遅くまでどこへ行ったのだろうと不安になった。

 「不器用なお前様にはこの子の世話はできないでしょうからお帰りになるまで私が乳

をあげましょう」と見かねて隣の妻が抱いて行くのを「何分にもお頼み申します」と

言いながら美尾の行方に気を取られてお町のことは上の空だった。まさか、まさかとは

思うが、不審は晴れず疑いの雲となり、たった一棹の箪笥の引き出しから柳行季の底

まで何か形跡はないかと調べても、塵一つも置き場は変わっていない。常々宝のように

大事がって身に着けるものの中で一番好きな手綱染の帯揚げもそのまま、いつも小遣い

を入れている鏡台の引き出しを開けてみると、なんとしたことが手の切れそうな新紙幣

ばかり、その数およそ二十ばかりを重ねた上に一通の文。与四郎は見るなり仰天して

胸は大波が立つよう、やはりわけがあったか気も狂わんばかりにと文を開くと、「美尾

は死んだものと思って行方を探さないでください、この金は町の乳の粉のためにお願い

いたします」与四郎の顔色はたちまち青く赤くなり、唇を震わせて「悪婆」と叫んだ

が、怒気は心頭に達し、体から黒い煙が立つよう、紙幣も文もずたずたに引き裂いて

すっくと立った姿を人が見たらどうなったことか。


                  八

 欲の全てを金儲けに費やし十五年ほどあがいて、人には赤鬼と仇名され、五十に足り

ない生涯を死の灰のよう(な心で)に送った。その名残の幾万金、今の玉村恭介氏は

その与四郎の婿である。あれほどの人が他人の姓を名乗らなくてもという謗りもある

が、心安く志す道に向かい、内を顧みてもやましさがないのはみな養父のたまものだ。

奥方の町子は寵愛され、手のひらに乗って良人を侮るわけではないが、舅姑がいて何か

と窮屈な嫁の身と違うので、見たいと思えば変わり目ごとに芝居に行っても誰が苦情を

言うわけもない。花見、月見と旦那様を誘って連れ立つことを楽しみ、お帰りの遅い時

はどこにでも電話をかけて、夜遅くなっても寝ずに、あまり恋しい時にはさすがに少し

恥ずかしいと思う。なぜだろうかわからないが、旦那様がいない時には心細くて耐え

難く、兄とも親とも頼もしい方だと思っている。

 しかし時々は地方遊説とやらで三月も半年も留守にする時があり、湯治場歩きとは

違うので、このような時には甘えることもできず手持ち無沙汰に文通し、互いの封の内

はとても人に見せられないだろう。このような仲でも子がなく、一緒になって十年余り

だが夢にもその気配はなく、清水道のお木偶様(清水観音堂に奉納する)も幾度空しい

願いになったことか。旦那様は淋しいあまりに貰い子をしようと言うが、奥様の好みが

難しいのでそれにも縁がなくて時は過ぎてゆく。

 落ち葉に深く霜がつく朝、吹く風もがとても寒い時雨の夜など、女たちをこたつの間

に集めて浮世語りや小説の話、お調子者の女中は軽口の落とし噺をして、お気に召せば

ご褒美をやる。人にものをやるのは子供の頃からの道楽で父親はそれを大層嫌がって

いた。いわば機嫌取りの性質で、何か一言気に入ることがあれば後先なくその者がかわ

いくなって、車夫の茂助の一人子の与太郎にこの新年、旦那様のおさがりの斜子織の

羽織をやったのも深いわけはないのだった。かりそめの愚痴に新年着がないなどと話し

ていたので憐れんでの賜りもの、茂助は天地に拝したが、人は鷹の羽の定紋に目をつけ

たものだ(とやかく言った)。(なので)何の気なしに奥様が書生の千葉が寒そうなの

を思いやって縫物をする仲という女中に言いつけ、仰せなら背くわけもなく少しやっつ

け仕事の絣の綿入れと羽織をあっという間に仕立てさせ、あの日の次の夜には着せたの

でご恩がありがたく、口で数々のお礼は言えないが気の弱い男なので涙ぐんでいる。

中働きのお福によくよくお礼を言ってくださいと頼むと、渡り者の口車はよく回るの

で、かくかくしかじかで千葉は泣いておりますと申し上げると、何とかわいい男だろう

と奥様のごひいきは増して、心遣いもより頻繁になってゆく。

 十一月の二十八日は旦那様の誕生日なので毎年お友達を招いて、座の取り持ちはその

道の美人をより抜いて珍味佳肴と、打ち解けての大愉快尽くしなので、髭もじゃの鳥居

様の口から「逢うた初手からかわいさが」と恐れ入るようなお言葉を聞くのも、例の

澤木様が落人の梅川を演じて、「お前の父さん孫いもん(衛門)さむ」と国元を表す

(なまる)のもみなこの時のかくし芸だ。もちろん派手好きな奥様もこの日を晴れの日

として、新調する三枚着で今年の流行を知らしめる。世は冬だが暖かい春の日のよう、

落ちて終わった紅葉の庭は淋しいが、垣根の山茶花が香り、松の緑もこまやか、酔いが

進まない人はない日となる。

 今年は特にお客様が多く、午後三時からとの招待状も一つも空しくならず、日が暮れ

るほどに賑わいなので座敷にあふれて茶室の隅に逃げるものもあり、二階の手すりには

洋服のお軽女郎、眼鏡が中だと笑われるものもあり、町子はたくさんの人からもてはや

されて奥さん奥さんと盃の雨が降るので、「ごめん遊ばせ、私はとてもいただけませ

ん」と杯洗の水に流して、それでも一つ二つは逃れられず、いつしか耳の根が熱くなっ

て胸の動悸も激しく、座を外しては済まないが人知れず庭に出て池の石橋を渡り、築山

の後ろの、お稲荷様の前のさい銭箱に腰を掛けた。

                  九

 ここは町子が十二歳の時、父の与四郎が抵当流れに取ったもので、それから修繕して

はいるが水の流れや山のたたずまい、松の木枯らしの音も昔のままだった。町子は酔い

心地で夢の中、頭を返して後ろを見ると雲間の月がほの明るく、社前の鈴に紅白の綱が

長く垂れ、古鏡が光って神さびている。夜嵐がさっと喜連格子に訪れて、人もないのに

鈴がからんと鳴って幣束が揺れているのも悲しい。町子はにわかに恐ろしくなって、

立ち上がって二足三足母屋の方へ帰ろうとしたが、引き留められたかのように立ち止ま

って、今度は狛犬の台石に寄りかかり、木の間から漏れる座敷の騒ぎをはるかに聞い

て、あああの声は旦那様、三味線は小梅のようだ、いつの間にあのような粋な洒落者に

なったのか油断がならぬと思うとともに、心細さに堪え難くなって締め付けられるよう

な苦しさが胸の中から湧き出てきた。

 しばらくしてから奥様の酔いも大方覚めて、自分の怪しく乱れた心を叱りながら帰れ

ば杯盤狼藉、人々の迎えの車が門前に綺羅星のように並んで、誰様お発ちの声が賑わし

く、散会の後は時雨になった。

 主は大層疲れて礼服を脱ぎもせずに横になっているので、「あなたお召し物だけは

お替え遊ばせ、それではいけません」と羽織を脱がせ、帯も奥様手ずから解いて、糸織

の萎えたのにふらんねるを重ねた寝巻の小袖に着替えさせ、さあお休みと手を取って

助ければ、何それほど酔ってはいないとおっしゃってよろめきながら寝室に入って行っ

た。奥様は火の元の用心を言い渡して、誰も彼も寝なさいとおっしゃって寝室に入った

が、なぜかわからないが安からぬ思いで、何も言わなくても面持ちがただならないので

旦那様が半分閉じた目でご覧になって、なぜ寝ないのだ、何を考えていると聞いた。

奥様は「返事をお聞かせるようなほどのこともないのですが、なんだか不思議な心地が

します。どうしたのでしょうか、私にもわかりません」というと旦那様は笑って「あま

り心を遣いすぎたのだろう、気さえ落ち着けばすぐ治るはずだ」とおっしゃる。

「いえ、言うに言われない淋しい心地がするのです。先ほどあまり皆様に強いられるの

がうるさくて、一人庭へ逃げてお稲荷様のところで酔いを醒ましていたのですが、とて

も変な、おかしいことを思い寄ったのです。笑わないでくださいね。何とも言えない

気持ちでした。あなたに笑われて叱られるようなことでしょう」と下を向いている。

見ると涙が膝に落ちて、異常に思われた。奥様はいつもに似ず沈みに沈んで、「私は

あなたに捨てられはしないかと思って、それでこのように淋しく思っているのです」と

言い出したので、「またか」と旦那様は無造作に笑って、「誰か何か言ったのか、一人

で考えたのか。そのようなつまらないことがあるはずがない、お前が思ってくれるほど

世間は私を思ってはくれないから、まあ安心していればよい」とわけもなく言い捨てた

ので、「それでも、私はやきもちで言うのではないのです。今日の宴席がにぎやかで、

たくさんおいでの方々の誰もが世間に名の知られていない人はなく、このような方々が

みなあなた様のお友達かと思うと嬉しさが胸に抑えようもなくて、陰ながら拝んでも

よいほどのかたじけなさですが、つくづく自分の身を思えばあなたはこれから先ますま

すご出世されて世の中が広くなってさらにご立派になるのでしょう。今宵小梅の三味線

に合わせての勧進帳のひとくさり、やきもちではなくいつの間にあれほどの修行をお積

みになったことも知らずにいて、いつも昔のあなただと思っている私の浅はかな心を

何となく感じれば、お嫌いになる原因となりましょう。限りなく広い世の中に立ってい

れば耳も目も肥えるのが当然、狭い家の中で毎日もの思いの苦労もなく、ただぼんやり

と過ごしている身ではついには飽きられて悲しいことになるだろうと今から思ってつら

いのです。私はあなたのほかに頼れる親兄弟はなく、いたとしても父の与四郎はご存じ

のように、私に母親の面影を見て癇の種だと寄せ付けもせずにいたので朝夕淋しく暮ら

していました。それが嬉しいご縁があって、私のこのようなわがままを許していただ

き、思いわずらうこともない今日この頃。もったいないほどありがたいのですが、それ

がもしかして私の身にそぐわないのではと心配なのです。そう思って今夜はとても淋し

くて居ても立ってもいられないような情けなさ。言ってはいけないとは思いましたが、

ついこのように申し上げてしまいました。どれも取り留めのない取越し苦労でしょう

が、どうしてもこのような気がするのをどうしたらいいでしょうか。ただただ心細いの

です」と泣くのを、旦那様はひがんで支離滅裂な愚痴を言っていると思い、やきもち

からなのだとおかしく見ていた。