樋口一葉「われから 二」

                  四

 浮世に鏡というものがなければ自分の顔が美しいのか醜いのかも知らず、分をわきま

えて満足し、九尺二間(貧しい家)に楊貴妃や小町を隠して、美人が前掛けをかけて

(せっせと働く)奥床しく過ごしたことだろう。なにかと軽薄な女心を揺さぶるような

人の誉め言葉に思わずかっと上気して、昨日までは気にしなかった髪をなまめかしく

結い上げて、手鏡を取り上げて見れば眉毛が伸びている。隣から剃刀を借りて顔をこし

らえてから見てくれを気にする浮わついた心の始まりとなり、襦袢の袖も欲しくなり、

半纏の襟が掛け替えられずに(安物なので擦り切れて)糸ばかりになるのを淋しがる。

与四郎の妻の美尾とはいえ世間にもてはやされては。

 身分は高くなくても誠実な良人の情が嬉しくて六畳、四畳二間の家を御殿だと思い、

いつか四丁目の薬師様で買ってもらった合金の指輪を大事そうに白魚のような指にはめ

て、馬の爪(代用品)の櫛も世の人が喜ぶ鼈甲のように嬉しがったものだが、会う人

ごとに褒められて、「これほどの器量が埋もれているなんて惜しいことだ、世に出れば

おそらく島原きっての美人、比べられるものはあるまい」などと、口に税がかからない

をいいことに人の妻をはやし立てるばかがいる。豆腐を買おうと岡持ちを下げて表に出

れば、通りがかりの若い輩が振り返って、惜しい女だが身なりが悪いとどっと笑われ、

思えば綿銘仙の糸が寄った着物に色のさめた紫めりんすの幅狭の帯、八円取りの下級

役人の妻としてこれ以上には装えないが若い心には情けなく、たがの緩んだ岡持ちから

豆腐の露が滴る以上に袖を絞った(泣いた)のだった。

 何かと心が揺らいで襟や袖口ばかり見ていたが、春雨が晴れた後の一日、今日ならで

はの花盛りに上野をはじめ隅田川にかけて夫婦連れでお楽しみ、できるだけの体裁を

作ってとっておきの一張羅、良人は黒紬の紋付羽織、妻はただ一本の博多帯を締めて、

昨日甘えて買ってもらった黒塗りの駒下駄を、たとえ畳表がまがい物にせよ比べるもの

がないので嬉しがって出かけたのだった。

 東叡山(上野公園)の四月、雲に見間違うような花も今日明日ばかりとなった十七

日、広小路から眺めれば石段を下り昇る人の様子はさながら蟻が塔を建てているよう、

木の間に花と衣装の美しさを競い、何心なく見る目にはこの上もない保養の景色。

二人は桜ヶ岡に登り桜雲台(貸し席)の近くに来た時、向こうから五、六両の車が掛け

声勇ましくしてやって来るのをみなが立ち止まって、あれあれと言っている。見れば

どこかの華族様だろう老いも若きも入り交じり、派手なのは曙染め(紅を下に薄くぼか

したもの)の振袖に緋無垢を重ね、年寄りは花の木の間の松の色、いつ見ても飽きない

のは黒い着物に鼈甲の簪、今風なら襟の間に金鎖をちらつかせていることだろう。車が

八百善に停まって人が奥深く入って行くのを、憎らしいことを言って見送る者もある

が、大方はただなんと立派だなどと言って通り過ぎて行く。美尾は何を思ったのか、

茫然と立って眺めている様子が何となく寂しく物思わし気で、与四郎が「華族なのだろ

うがお化粧がこってりだ」と言うのも耳に入らない様子で、我と我が身を眺めてただ

しょんぼりとしている。与四郎は気が気でなくどうかしたかと気遣うと「急に気分が

悪くなりました、私は向島へ行くのは止めてここからすぐに帰りたいと思います。あな

たはゆっくりごらんなさい、お先に車で帰ります」と元気なく言うので与四郎は心配し

て「一人では何もおもしろくはない、また来るとして今日はやめにしよう」と美尾が

言うままに優しく同意してくれる嬉しさも今は何とも思えず、せめて帰りに鳥でも食べ

ようと機嫌を取られるほど物悲しくなり、逃げ出すようにして一目散に家路へ急いで

からは何もかも興覚めになって、与四郎はただただ美尾の病気に胸を痛めた。

 はかない夢に心が狂って美尾は元の自分ではなくなって、人目がなければ泣いて、

誰を恋うるというわけではないが空を見ては物思いしている。もったいないこととは

思いながら与四郎の親切にも今までに似ず、うるさい時には生返事をし、良人が怒れば

自分も腹立たしくなって「お気に入らなければ離縁してください、無理に置いてくださ

いとは頼みません、私にも生まれた家がありますから」と居丈高になるので良人もこら

えきれずに箒を振り回して、さあ出ていけと勢いが強くなると、さすがに女心は悲しく

なって、「あなたは私をいじめ出そうとするのですか、私の身は最初からあなたに差し

あげたものですから、憎ければ打ってください、殺してください、ここを死に場に来た

私ですから殺されても出ません。さあ何とでもしてください」と泣いて袖に取りすがっ

て身を悶えるのでもとより憎くはない妻のこと、離別などその時だけの脅しなのだか

ら、すがって泣くのをよい潮時として、わがままが言い負けた、心安いままの駄々だと

許してかわいさは一層募るのだった。

                  五

 与四郎の方には変わる心がなく一日も百年も同じ日を送っていたが、その頃から美尾

の様子はとにかく怪しく、ぼんやりと空を眺めて物が手につかないいぶかしさ、与四郎

が気にして見ていると、さながら恋に心を奪われてうつろになった人のよう、お美尾、

お美尾と呼ぶと、何と答える言葉に力がなく、日々を義務だけで送って身はここにあっ

ても心はどこの空をさまよっているのか、いちいち気にかかることばかり。女房を人に

取られて知らぬは良人の鼻の下と指さされるのも悔しく、本当にそうなのではないかと

恐ろしい思案さえするようになって、美尾に影のように付きまとうようになった。しか

しその形跡もなく、ただうかうかと物を思っているらしく、ある時はしみじみと泣いて

「お前様はいつまでこれだけの給料でいるおつもりですか、向こう屋敷の旦那様はその

昔は大部屋の人だったそうですが一念であのご出世、馬車に乗ったお姿はどんな髭武者

でも立派そうに見えるではないですか。お前様も男なのですから少しでも早くそのよう

な古洋服にお弁当を下げることを止めて、道を行けば人が振り返るような立派な人に

なってください、私に竹の皮包みを持って帰ってくださる誠があるのならお役所帰りに

夜学なり何なりして、どうぞ世間の人に負けないようないっぱしの偉い人になってくだ

さい、一生のお願いです、そのためなら私は内職でもしておかずを買うお手伝いくらい

のことはします。どうぞ勉強してください、拝みます」と心から泣いてこの甲斐のない

生活を数え立てたので、与四郎は我が身を罵られたと腹立たしく、人のためを思うよう

に夜学などと言うのは、自分の留守に何か楽しみがあるのだろうとひたすらに悔しく、

「どうせ俺はこのような意気地なし、馬車など思いもよらぬこと、この先は辻車を引く

ようになるやら知れたものではないから今のうちに身の末を考えて、利口で物のでき

る、学者で好男子で年若いのに乗り換えるのが一番だ。向かいの主人もお前の姿を

誉めているように聞いたぞ」ととんでもない当てこすりを言う。「そうだ俺は怠け者

だ、怠け者の意気地なしだ」と大の字に寝そべって夜学どころか明日の勤めに出るのも

おっくうがって少しも美尾のそばを離れなくなったので、ああ、お前様はなぜそのよう

に聞き分けてはくれないのでしょうと浅ましく、お互いの思いは落ち着かず、何か言え

ばすぐに言い争いになり泣いて恨んでも、もともと憎からぬ夫婦なので今までの習慣

通りあなたこうしてくださいああしてくださいと言えば、お美尾、お美尾と目の中に

入れてもなので、壁隣りの近所の人も(またかと)言い争いを仲裁しようという者は

ない。

 あの梅見の日の後の留守、実家の迎えだと金紋のついた車が来た時から、お美尾は何

かともの思いして静かになり、深くは夫を諫めもせずうつうつと日を送って、いっそう

実家に足繁くなり、戻ると襟に顎をうずめてしのびやかにため息をつく。良人は不審

がるが、どうも気分が悪いとあまり食べられず、昼も寝ることが多く気がふさぎ、次第

に顔色も蒼くなっていったので、与四郎は一途に病気だと思い限りなく不憫がって、

医者にかかれの、薬を飲めの、嫉妬を忘れてそのことにばかり心を尽くした。

 しかしお美尾の病気はおめでたいことだった。三月四月頃からそうとはっきりし、

いつしか梅の落ちる五月雨の頃になると、隣近所の人からはっきりとおめでとうござい

ますと言われるようになり、暑くなったのに半纏を脱げない恥ずかしさ、与四郎は目新

しく、嬉しく、夢かとも思われて、この十月にということなので人には言わないが指を

折る思い、男であるといいがとはかないことを願って、平静を装ってはいるが子安の

お守りを何くれと、人から聞いたことをそのまま不案内な男の身、間違いばかりを取り

揃えるので美尾が母親に万事を頼むと「お前さんより私の方が少しは慣れているよ」と

一本取られて、なるほどと口をつぐんだ。

                   六

 「月給の八円はまだ昇給の沙汰もなく、この上小さいものが生まれて物入りがかさ

み、人手がいるようになったらお前さんたちどうするのだ。美尾は虚弱なので夫の手助

けに内職をすることは難しいし、三人でこのまま乞食のような暮らしをするのもあまり

褒めたことではない。何なりと口を見つけるよう今の内から心がけて、もう少しお金に

なる仕事に変わらないと将来はお前たちの身の振り方もなく、第一子供を育てることが

できないだろう。美尾は私の一人娘、やったからには私の老後も見てもらいたく、贅沢

を言うわけではないが寺参りの小遣いくらいは出して欲しい、あげましょうという約束

でやったのにそれっきりくれないのは横着なのではなく、どうにもすることができない

意気地のなさのため。それで諦めて自分の口は自分で濡らすことにして、この歳で人様

の口入れやら手伝いやら、老い恥ながらつまらなく世を渡っているのです。

 それにしてもあてがなくては苦労はできないもの。つくづくお前夫婦の働きを見る

と、私の手足が動かなくなった時になって世話をお頼みしなければならなくなった時に

月給八円でどうなろう。それを思うと今の内に覚悟を決めて少しはお互いにつらいこと

になってもしばらく夫婦別れして、美尾は子と一緒に私の手で預かり、お前さんは一人

身になって官員様に限らず草鞋を履いて(他所へ行って)でもひとかどの働きをして、

人並みに世を暮らせるように心がける方がいいではないか。美尾は私の娘なので私の

思うようにならないことはない、何事もお前さんの思案一つだ」と母親が美尾の出産前

から世話をしにこの家に入り込み、ともすれば与四郎を責めるので、歯ぎしりするほど

腹立たしく、この婆ぁを張り倒すことは簡単だが、ただならぬ体の美尾の心痛が子供に

まで及んでは大変だと胸をさすって、「私とても男子の端くれでございますので女房

子供くらい養えないようなことはありませんし、一生は長いですから墓に入るまで月給

八円ではあるまいと思います。そのことは格別ご心配なく」と見事に言えば、母親は

(お歯黒が)まだらに残った黒い歯を出して「なるほど、ご立派なお言葉を聞きまし

た。そう言ってくれなければ嬉しくない、さすがは男一匹、そのくらいの考えは持って

いてくれるだろう、なるほど、なるほど」とおもしろくもないようなうなずき方をする

憎らしさ。美尾は「母さんそのようなことは言わないでください、家の人のご機嫌を

損ねては困ります」とおろおろするので与四郎はいい気になり、ばか婆ぁめ、どのよう

に引き裂こうとしても美尾は俺のもの、親の指図だからといって別れるような薄情では

ない、これからさらにかわいいものができれば二人の仲は万々歳だと自信たっぷりに

母を見下し、離れることなどないと一人で決め込んでいた。

 十月の十五日、与四郎の帰宅間近に安らかに女の子が生まれた。男と願っていたのと

は違ったがかわいさはどこでも変わりはない。お帰りかと母親が出迎えて、さすがに

初孫の嬉しさは頬のしわにも表れて「見てください、何とよい子ではないですか、まあ

この赤いこと」と差し出されて、今更ながらまごまごと嬉しく、手を差し出すのも少し

恥ずかしいので、母親に抱かせたままのぞいてみると、誰に似たのか彼に似たのかは

わからないが、何とも知れず不思議にかわいくて、その泣く声も昨日まで隣家に聞いて

いたものと同じものとは思えない。産婦の様子はどうかとのぞいてみると、高枕に鉢巻

の乱れ髪姿、痛ましいほどやつれていたがその美しさは神々しいようだった。

 お七夜や枕直し(床上げ)、お宮参りなどただあわただしく過ぎて、子供の名は紙に

書き付けて氏神様の前でおみくじのように引くと、常盤のまつ、たけ、蓬莱のつる、

かめなどは引き当てずに与四郎が気の向くままの手すさびにこのような名もよいと書い

て入れた町というのを引き出した。女は器量がよいことこそ人の愛を受けて果報この上

ないものだ、小野のそれではなくともお町は美しい名だと家内は勇んで、町や、町やと

手から手へ渡った。