馬場孤蝶の手紙 二

 見るべき紅葉もなく、嬌音を聞くべくもないこんなところにはとてもいられないと、

去る七日に学校から僅かばかりの金を受け取るやいなや逃げ馬のように走って、停車場

から午後四時の列車に乗り込み行く先は九州相良ではなく、近松浄瑠璃にある大阪と

いうところ。しかし、あんたはんおいでやすというなまめかしい声を聞いて蜆川に浮名

を止めようとする気は毛頭なく、ただずっと離れた谷町に友を訪ねるため。初秋の風は

今日は吹きすさんで砂塵が車窓を打つこと甚だしい野登川、八幡、野洲の駅を過ぎ草津

を離れて、夕陽に照らされる粟津の松原を右に見て、瀬田の橋を渡る湖の景色は素晴ら

しかった。車はしばしさざ波やと詠じる滋賀の都大津の町に停まった。それもしばしの

間で湖山の眺めをこここそはと思ううちに車は傲然として逢坂山のトンネルに入る。

このようにがらがらと駆け通っては関の清水に影を止める暇もなく、別れるも逢うもま

た、当世多くはこのように手っ取り早くできているのだなどと心の中で思っているうち

に大谷も過ぎ山科、稲荷も過ぎて月が出そうな夕闇の中、古き都を行き過ぎる。夢の

ように山々、八坂の塔などが朧げに見える。秋を恨む鈴虫の音がところどころに聞こえ

て、月がようやく出てきた生駒山の方を見ると、雲の際に黄金のふちをつけたようだ。

だんだん高くなって差す月光はくまなく一望できるほど数里の平野を照らした。家が

そこここにあるのか野中に燈火が一つ二つ涼しげだ。淀川を渡ると漁火か泊船の燈火か

細い光が川水に浮かぶのを見た。眠っているかのような調子で語らう人の声音に和して

車はますます進み、初夜(八時)の頃大阪の町に着く。車を雇って友の元へ急ぐ。曽根

崎辺りの遊郭を通り抜けると掛け行灯の光がかかる格子の具合、狭い町の様子は何とな

く昔ながらの面影が残っているような心地がして、小春の姿が髣髴として私の胸に落ち

る。しかしここには車を止めなかったのでご安心あれ。(なにそれは嘘だろうなどとは

仰せられませんよう)大阪はしつつこけれど(?ひつこいとこだけど)京都よりはおも

しろいことがあるだろうなどと思っているうちに車は淀川の橋を渡る。涼み船だろう、

蛍くらいの燈火が遠く点々と水に映っている。友の家は古城のほとりにあった。互いに

別れた後の話をして夜半になった。あくる日は雨が降った。友が七月に生まれた女の子

を抱いてしきりにあやす様子はなんだか似合わしくなく、よその預かり子を取り扱って

いるようで私は手を打って笑った。昼過ぎ頃になってようやく晴れてきたので友と一緒

に大阪博覧場というところに行き、私は茶盆や茶台を買い求めて所帯じみたことだと笑

うと、友は私の日記に大書きにせよと言った。晩景が大変おもしろく、私は古城の櫓が

静かに立つ傍らにある林にねぐらを定めた夕鳥が飛び交うのに見入った。日が暮れて

中之島公園で会うことを約束して今橋通りで友と袂を分かち、噴水器の横をさまよいな

がら友が来るのを待った。四方より照らす電燈の光を受けてじょうごのような形をした

噴水はおぼろに明るく、絶えず雨のように音を立てて落ちてくる。そこここに腰かけの

切り株があり、人が多く憩っている。美しく装った若い女が連れ立って来たり、立派な

髭のある人が行くのも見た。電燈の光を背中に受けて隣にいる人々と優しい調子で語り

合う浴衣のねえさんもいて、万事庶民的なここの景色はとても東都では見られないもの

だと思った。友はついに来なかった。月がだんだん上るほど噴水が明るくなり二丈(6

m)ほどもある高さから落ちる水が下にある台に当たり、四散する飛沫が月光に映って

千筋の白糸が乱れているように見える。秋風が肌に冷たくなるまでになったので人は

だんだん散って、そこここの腰かけで眠る人もいる。私はこの情景に打たれていろい

なことを思い、小説の場にするには大変よいところだと思った。月に送られて友の家に

帰ったのは十一時前だった。あくる日もまた博覧場へ一人で行って茶釜や茶碗などを

はじめとして紙入れ、しゃつなどを買った。茶碗と急須は水に流れる落花の模様がある

もの。偶然に買った後鴎水(秋骨)の「花の行方」にちなんでいるようだと思い、都の

口の悪い殿方に見せたら何か訳ありげに嘲弄されるだろうと一人心でおかしがった。昼

過ぎる頃また車上にゆられて梅田へ向かう。また曽根崎を過ぎたので、口の中でおさん

の句を唱えているうちに停車場に着いた。列車は容赦なく走り出て、山色や野景はなか

なかおもしろく、淀川を行く白帆が稲田の中に座しているように見えたのも風情があっ

た。山崎を過ぎ、向日町を経て京都へ着いたのは午後三時に近かった。車を駆って東丸

太町へ向かうと新しい電気鉄道に驚き、私の車のがたつくことに甚だしく閉口した。

親戚が吉田に住んでいると聞いて道を尋ねながら向かう。太極殿の模造は絵のように

素晴らしく、四囲の翠山と相対して目が覚めるばかりだった。主人は私と入れ違いに東

へ向かったと聞き、家の人とさまざまなことを語り五時過ぎ車を急がせて、布団を着て

寝たような姿だと言われる山々を右に見ながら停車場に向かう。四條あたりだろうか

娼家が軒を連ねたほとりで芸子に行き会う。紫がかった矢絣の着物を着ており、容姿は

すこぶるお粗末と言わざるを得ない。無事に七條へ来たことをもって、孤蝶が道徳堅固

な君子であることがわかるだろう(笑い給うな)。秋の夕景がだんだん深くなる逢坂山

を抜けて大津に着く。暮れて行く湖山の様子の素晴らしかったこと。ここで泊まろうか

草津で泊まろうかと思っているうちにまたまた車は走り出て、瀬田、粟津のあたりを闇

の中に越えて渚に一つ、漁火が燃えるのを見たばかり。草津でも下車せず、人は去って

同車には二、三の客が眠っている。秋立ち来た風が私の痩せ肌にしみて薄寒く、いよい

よ催促するような車の音に、旅の哀れを今さらに覚える。遠くにある一つ家の燈火も人

を焼く野火の名残ではないかと大変悲しくなる。月明かりがようやく登って彦根の古城

の白壁に映る頃、私一人下車して宿に急いだ。

 

 この旅は特に興味の湧くことも、我を忘れるほどおもしろかったこともありませんで

したが、少しは女らしい女を見て、町らしい町を見たので心は大いに慰められたところ

もあったか今日は大変爽快です。明日からは学校が始まるので度々の文通も心任せには

できなくなるだろうと思い奮発してこの長文をしたためました。これも若い時の熱と

やらであろうけれど、手紙をたびたびよこせ、それにはこれで書けと封筒と紙をたくさ

んくださいましたので、それにすべてを書くわけにはいきませんが時々はこのくらいの

ものをお出しするつもりです。しかしその御許よりもたまには一筆お示し下さることと

信じております。人をやたらにおだてながらご自分はすっとお澄ましになるのはすこぶ

る意を得ぬことだと存じますので、恨まれるのがお嫌ならば時たまにはお文をいただき

たいものでございます。

 先に申し上げる考えでしたのについつい取り落としたこと、去る四日、車中で田舎の

朴訥な男とその妻を見かけました。男は二十五、六くらいで妻もまず二十四、五か、夫

は日に焼けて骨格たくましい妻をかばって腰かけるところがないかと探しても、車中は

ふさがり空席がないのでやむなく二人とも立っていましたが、車が動揺するたびに妻の

方を振り返って心遣いしているさまが痛く私の心を動かしました。私はもとより髭男が

美女にのろけることを嫌っていましたが今、この日に焼けた男が倒れたって傷もつきそ

うにもない丈夫にできている妻を、綺羅にも堪えぬ(薄物の衣装でさえ重く思うよう

な)細身の美女のように取り扱うその優しいさまを見て、人間の心にはずいぶん見かけ

によらない優しいところがあるものだと今さらに驚き、このようなところを見てはあま

り悪口は言えないものだと思いました。

 忍耐もあと三、四ヶ月くらいでしょう。この年末にはあなたの家を驚かせて勝手な

熱を吹くでしょう。筆は口ほどに回りませんから百里以上のところでいくら慷慨したと

ころでどうにもこうにもなりません。鳴かず飛ばずで待っているこの三か月ほどの勇気

をどこで破裂させることができるでしょう。末ながらご家内様御一同へよろしくお伝え

願います。学校の受け持ちはそんなに骨は折れず、願わくは夢に粋な都美人を見ること

が多かれ。人生のことはただ一つ、勇躍すること。大いに奮進しましょう。時期はます

ます燈火に親しみ安くなり、女史の筆硯(文章、または作家の生活)がますます健やか

であることを祈ってやみません。戯言は戯言、少壮の気は一度消え去ってしまったら

いかに悔いても及びません。外界に向かって発する熱を駆ってことごとく内部に向かわ

せたら、あるいは愚生のごときも一点の光明を見ることができるかもしれません。願わ

くは、女史は奇句で人を驚かせるまでは死するなかれ。申したいことは尽きず、されど

下手な長文はさぞお読みづらいでしょうから、これにてこの度は筆を止めます。

                                  左様なら

九月十日 かつや

一ようおば様 おんもと

 炎暑がいまだに去りませんので、なにとぞよくご摂生してくださいますよう念じ上げ

ます。