平田禿木の手紙 三

 京に上ってから早一月ばかりが夢の間に過ぎました。例の忙しい身となってどこへも

ご無沙汰ばかりしていることをお許しください。評判(批評)の役を半分ばかり人に

譲ったので新しいもの見ず、とかく世間に遠ざかってしまいました。「雨の夜」という

優しいお筆も昨日あたりにようやく拝見しました。御作「にごりえ」、物凄いものに

接して今日孤蝶子へ送ろうと文芸倶楽部を求め、早速彦根に出すようにいたしました。

お力という人の心意気はややその辺り(あなた)に見る面影と明らかで、結城様は勝弥

様のような実意のある方だろうと存じます。筆が嘘でなく生命の現実に触れた、男の

作家でも露伴でなければほかの人には(書け)ないところだと感服いたしました。とて

も近頃の書生サンなどの及ぶところではないと存じます。「暗夜」は盛装してこの後に

倶楽部に現れ(文芸倶楽部に一括して出す)、読売にも何かまた長いものの約束がある

とのこと。ようやく名を成して桂の花(香り高い)を騒(文)壇に取ったことが嬉しく

すみれの花をかざすサッフォの君というギリシャの女詩人のことも思われます。

 「埋もれ木」にお筆のにおい(魅力)を見て「雪の日」の寄贈を得、菊坂のお宿を

驚かせ、大音寺前までも分け入ったのは、誠にこの筆が長く文壇の花であるようにとの

文学界の微意(ささやかな志)であったのに、それが今日のようになったことは誠に

嬉しく、わが身の出世のように思われます。文学界は来月より少し改良のようなまねを

いたしますので、たけくらべはぜひぜひご寄贈間違いないようお願いします。紅葉より

は俳句が来て、眉山も何か筆を染めるつもりとのことです。そのうち露伴なども現れる

つもりです。

 庭の萩も散りこぼれて、池の際の嫁菜の花の薄紫が淋しくしおらしく咲いています。

こちらの芭蕉の葉(以下「雨の日」に呼応)も秋骨子の窓の方に屋根よりも高く(伸び

て)果敢なくも破れ果ててしまいました。日和のよい日も一人池ノ端を行けば柳の一葉

一葉が肌を吹く冷たい風に散って、行く水の影が淋しいのもなんとなく秋の心地がしま

す。ましてこの頃は雨の夜の静けさにいよいよ寂しさも増さります。このような夜は針

を取り出したり、母様の肩をもんでいるとは優しいお心だと嬉しく思っています。

 過ぎた日、天知子の宿をお訪ねになったとのこと、どのようなお話があったのでしょ

うか。勝訴は誰にありましたか。先様に弱みがあるのでこれは必ずあなたの方だろうと

思います。孤蝶子にも言葉敵がなくなり困っているでしょうから、さぞかし彦根とあな

たとでいろいろ風情ある頼りの行き交いをしていることでしょう。先ごろはおかしな

ことを気にかけてはたと行き来が絶えてしまったつらさ、こちらへもたまには例の麗し

い筆を染めてくださいませんか。道が悪いですが今日はお訪ねしようと

 していましたが人が来て文になりました。身に覚えのないことをなぶられて、もし

そうであったらと言うわけではありませんが、今は書を読むことと遊ぶことと、このよ

うな文を書いて麗しいお返事を待つことだけが楽しみです。 かしこ

例の悪筆お許しを乞います。

(明治二十八年)九月二十七日の夜更けにて 弟より

一葉様

座右

末ながらお母上様妹様へもよろしくお伝えください。

 

 お葉書拝誦いたしました。お心地がすぐれないところをくだらないことで苦しめてし

まい何とも申し訳ないことをいたしました。できない時のつらさは自分も承知いたして

おりますから決して悪く思わず、かえっていたずらに時を乱し心を苦しめたことをお詫

びいたすのみです。実は自分も中途で放擲したので、出したものは反故のはぎ合わせの

おかしな滑稽にすぎず、人に見せるのも恥ずかしいものばかりです。今は雑誌などが

本当に嫌になり廃刊をとしきりに唱えていますがそれもできない、ならばとのことで、

うらわか草のことになりました。どうした拍子か自分がその第一巻を編集する任に当た

ったので、川上様、上田子、ことにあなたを頼めば必ず骨を折ってくれることと強い

見込みがあったばかりで、何事も不本意なことばかりで、私の頼れる見方は一人も出て

くれず、返って人に頼んだものばかり集まって、自分の書いたものはめちゃくちゃで

校正も嫌になるくらいです。書くことに比べたら読むことの静かで楽しいこと。その

書くことはつらく苦しいけれど、くだらぬ反古を出して世間の笑いものとなることの

甲斐のなさ、必要のないことに関わるようなことはせぬものです。

 よかれあしかれことも済み、催促の嫌な役目も今は去った身なので決して悪くは思わ

ないでください。五月の闇に心だけが燃えて身はいよいよ疲れていらっしゃるような

この頃、思った以上に苦しめたことを幾重にもお詫び申し上げるのみですが、初めに

書くと承知して、中頃になって広告その他の用意が気に入らないらしく、といって明ら

かに難を言うのでもなく十分色気もあるらしかったのに、原稿半ばになってからわけ

ありげに清書の労を取ってくれない方もありました。そのような方に誘われて、いよい

よ無性にいやになったのですか。私が行き届かないのはもとよりですが、一言の広告に

も事情があって、担当する者の苦しさは本当に言い表せません。実は中頃よりは自分も

放擲したかったくらいなので、この度は頼まない方がかえってご迷惑もなく心安い思い

でした。しかしあなたがいらっしゃらないと私も人もみな不本意な心地がして残念な、

残念なことです。

 何やら落ち着かないこの頃の空、単衣を出すべき時なのに袷でも寒さを覚える時も

あります。この不順のせいか高等学校で長く親しくしていた友を一人失くし、夢のよう

で本当のことのようにも思えませんが、体というものが大切だということを今さらの

ように感じます。顔は燃え火照って、目だけすさまじく光り、体だけが疲れていくよう

に見えて案じられますのでここで筆を止めます。かしこ

(明治二十九年)五月十七日 喜一

一葉様

 座右

 

 去る一日帰京し、その後はとかくすぐれないようだと伺い、この暑さ厳しい折にいか

がご消光(お過ごし)あそばされていらっしゃるのでしょうか。そこここに病人が多い

折なので何かと心にかかります。ご自愛ご保養のほど切にお祈りしております。帰って

から主に伊勢町にいるからかさすがに暑さと塵に弱りましたが、さしたることもなく過

ごしています。少々読むべきものもあって昨日よりこちらに参り、明日辺りはまたあち

らに帰るべきか、さて、当月文学界の義天知翁は旅行のため編集の役を私に押し付けら

れ、今日秋骨子と相談し引き受けることとなりました。それにつき何かぜひお願いした

く、もっともお取込みの中ですから去年の今頃読売に出した空蝉の一編をもし差し支え

なければ掲載をお願いできないかと思っています。新しいものをくださったらそれに越

したことはありませんが、かえって難しいことになりそうなので空蝉の再出をお許しく

ださればこの上ない幸いです。この度は私ももちろんできるだけのものを出すべく、

皆々相応の筆を試みるべく、体裁も清楚を旨として必ずご迷惑をおかけしませんよう

存じております。右ご承諾くだされば新聞をお取りまとめ、校正の上(もし活字の誤り

などあれば)私の方へお送りのほどお願いします。もっともご都合によりこちらで取り

まとめてもよろしいのです。右お許しを得られますかどうか上がってお願い申し上げる

べきですがいつもいつもお邪魔することが心苦しいので書面をもってお返事をお願い

申し上げます。早々

 (八月)七日夕湯島にて 喜一

一葉様

 座右 

 お返事(または原稿)は伊勢町の方へお遣わし下さいますようお願いいたします。

例の乱筆お許しください。

 

 一葉は再掲の辞退の返事を出していたがそれを読まずに出した手紙。これが最後。

 

 相変わらずすぐれないと承ってご案じ申しておりましたところ、ややご快方のようだ

と今朝戸川氏より承り喜ばしく存じます。残暑厳しい折ですのでなおご保養のほどお祈

りいたします。さて、あの原稿につきまして湯島へお便りがあったそうですが、宿の

不注意で読むことができませんでした。しかしお返事を待たず少々思うところもあり、

すでに見合わせておきました。これはこの号のほかのものもあまりよいものがないので

お気の毒と存じるからです。右お知らせまで早々。二十四日