齋藤緑雨の手紙

   明治29年1月8日

  私は申すまでもなくあなたに所縁(ゆえん)があるものではなく、ただ我が文学界

のためにあなたに告げ参らせたいと思うことが二つ三つあります。手紙にするか話す

か、ただし私には一つ癖があり、私からあなたを訪ねることを好みません。聞きたいと

お思いなら、どのような親しい人にも必ず秘密にするということをまず誓っていただき

たく、そうでなければあなたに不利になると信じるからです。もちろん強いてではあり

ません。私もまた人に強いて話をしようとは思いませんから。

 

   一葉の返事

 お文拝見いたしました。ご親切な思し召しは身に余るありがたさ、人に漏らすなど

できるわけがありません。ひたすらお聞きかせ願いたく、直ちに参上してお膝元にてと

飛び立つように存じますが、男ならぬ身ですのでそのようにお見許しいただき、お教え

をいただくことができますよう神に念じております。お返事まで あらあらかしこ

一月九日

なつ

齋藤様

 御前に

 

 遅く帰りましたところご返事が来ており拝見いたしました。

それならば私が思うことを遠慮なく申し上げます。元々筆でとは存じてはおりながら、

失敬にお思いになるのではないかと存じ、わざとお尋ね申し上げたことでした。

 およそ人間の交わりの上において、試すなどと申すのは甚だよろしくないことです

から、私はここに真実を述べてまずお詫びを申し上げておきます。

 さてこれより「二つ三つ」の本文ですが、女性に対し甚だ申しにくいことを申します

ので、むろん失礼は覚悟の上です。もっとも礼とは一種の規則であるので飾るをもって

礼とは心得ず、思い切って飾らない私の言葉の内に何ものかを探り当ててくださいまし

たら幸いと存じます。ことさらに君と呼ばせていただきます。君の名は改進でしたか

武蔵野でしたか忘れましたが私は早くより承知しており、その後「たけくらべ」「ゆく

雲」等を読んで(ただし全編通してではありません)多分同じ人と推察し、その筆が

大変上がったことに驚きました。「にごりえ」が出てお名があまりに評論界にかしまし

かったので私も密かに注意をしておりましたところ、「わかれ道」に至って昨日のよう

な書面を差し上げざるを得ない次第となりました。なぜかというと「わかれ道」におい

て、明らかにお作が乱れようとする(乱というよりむしろ濫)傾向にあると認められた

からです。どこと指すことは今しばらく見合わせますが、「にごりえ」に比べて数段下

であり、人は「にごりえ」の方が勝っていると取りはやしていますが、私はむしろ材料

は「わかれ道」の方が勝っていると考えているにもかかわらず、今の評論界と申すもの

は一口に言えば盲目の共進会です。実際的な批評が廃れて科学的批評のみ行われており

ます。世間のことを何も知らず、ただ本で覚えた理屈に無理に当てはめて初めてなるほ

どと合点するような連中ばかりです。このような連中に褒められたといってどれほどの

ことがありましょう、私に言わせれば「にごりえ」の評判がよいのは彼らが夢にも思わ

ない事実を組み合わせたからで、大半はそれに打たれて他は評したくても評すべき力が

ないので、力がないというよりは評すべき(ところに)気づかないのです。私も「にご

りえ」には感服いたしましたが彼らとはほとんど反対の点において感服したのであり、

この辺はなお大に申し上げるべきことですが、議論となって長くなりますので省きま

す。お作が乱れようとしている原因について私の疑いを単刀直入に申すと、君が多少

彼らの批評に心引かされるところがあるのはないかということです。そのような弱々し

いお心ではないでしょうが、たとえ彼らが褒めようともくさそうとも一向に目にも耳に

も入れないことがよろしく、ただ君が思うところにまかせて盲目共に構わず真っすぐに

進まれることを私は希望しております。このようにしてでき損ないとなっても決して恥

ではありません。なまじな議論に心を止めて自分をいじくりまわすこそ、かえって恥と

なるのです。

 約言すれば直性したまえ(要約すると真っすぐ行け)とだけのことですが、これは実

に私があなたに告げようと思う第一のことです。なお進んで御身の上に及びます。ただ

しこのことは風説のままを申しますので真偽はわかりません。決して私がことごとく

真実だと思って申すとは思わないでください。かつて君が波六のところに原稿を持って

行ったということを聞いて、私は君の考えがすこぶる異なると不審に思い眉をひそめた

のですが、このことは今は申しません。

 その後聞くのはと君のもとに文人と称するものがだいぶ入り込んでいるとのこと、

もちろん深くご交際しているのではないでしょうが、望むらくはそれらの輩は断然追い

払う方がお為になると存じます。どうせ来てもろくなことも申すのではないでしょう

し、私が察するに多分それらは軽薄なお世辞を少々並べるに過ぎないと存じます。訪問

ということは利己か利他の二つ以外ないのですが、それらのは利己でもなく利他でもな

くただおもしろがってまぜっかえしに来るばかりです。その証拠に君の家に行って菓子

をくださいといったところ妹さんが金花糖を買ってきたなどというようなことも、翌日

すぐに吹聴して歩いているのを見ても明らかです。

 このほどより君を訪れるものにろくな奴がいないと、私は断言することをはばかりま

せん。姓名はみな存じております。私が君を訪ねることを好まないと申すのも半ばは

このためです。友がいないわけでもないでしょうから心ある人々と道を語り合うのは

妨げではありませんが、誉め称えるだけなのは文人で俗人にも劣る(文人の卑しさは

俗人の卑しさに劣ります)奴ら共の相手をするには及びません。いいことは少しも言わ

ずに悪いことばかり伝えるのです。ちょっと厳めしくみせれば話をするにも震える程度

の代物たちなので頓着なくはねつけて、やくざどもをあまり来させないようになさるべ

きです。やがて何か思いもかけない誤ちを背負うこともあるかもしれません。君の心の

底は知りませんが私はお察しします。

 私は常に孤立しているのみならず作家は必ず孤立すべきものと考えております。異方

面の人に会うのはおもしろいですが、お宅へこの頃来ているようなやくざ文人などに取

り巻かれていても何の益もなく害があるだけです。私はやくざ共の受けはよくなく、

いろいろな悪名を山のように負っておりますが少しも構わず、例えるのもいかがと思い

ますが仏は頭に鳥の糞がかかっても仏でいることを忘れず、鳥の糞は一時のことなので

自分さえ取り合わなければ雨が降ってきて洗ってくれるのです。君がやくざ共をはねつ

けることによって彼らが何と申そうともそのことはご懸念に及ばないのですから、でき

る限り遠ざけることです。

 やくざ共の唱える風説は一つや二つではなく、果ては何某が君に結婚を勧めに来た

の、あなたより思想の低い何某とその約束があるのと人間の大事までもよくも調べずに

風聴しているのです。私はこの風説の内申したいことが少々ありますが、誠か嘘かの分

を別けかねますのでここには記しません。

 差し当たるところはまず以上の二件です。おそらくは君は文学界の内情など知らない

でしょうから些細なことだと思うかもしれませんが、私の考えるところではなおざり

(脱文、にしてはいけません?)

 最後にお断り申し置くこととして、今の評者を盲目と申し、文人をやくざと申したと

からといって何の恩怨もありません。ただ君のために打ち割って申すまでですので、

怪しまれませんことを祈っております。残りはその内折を見て申し上げます。性根が座

らぬ輩が万一においをかぎ当てて何か言われるのも煩わしいので、ご書面をお返しいた

します。ご誓言くださいましたのでお疑いするわけではありませんが、私の昨日の書面

もこの書面もご覧後、ついでの時にお戻し下されたく、この書についてはご判断は君に

ありますのでお返事には及びません。私の書面だけ封じてお送りくだされば、その封筒

ごと火中いたします。

 ただ今夜二時の鐘を聞きました。名代の悪筆乱筆、順序立てて記してはおりませんの

でよろしくご判読していただきたく(いつかはお目にかかることが全くないこともない 

でしょうから細かいことははその折にでも)

九日夜 

緑雨

一葉様

 

   6月

 好ましからぬことですが、余儀なく書面を差し上げます。

 先ごろ私がお訪ね申し上げたのは夏子君という女性ではなく一葉君という作家である

ことは申すまでもないですがご承知ください。ただいま人から届けられた十七日発行の

国民新聞を一覧しました。中に正太夫一葉を訪うと申す項目がありました。

 正太夫思うらく一葉の面の皮をひんむこうと一葉思うらく正太夫は烏のような男だ

と、これ同記者がその会話なるものを末に付記したものです。

 これらのものに向かって深く辨疏(弁解)すべき必要のあることを私は看過できませ

ん。ただ烏のごとき云々を当方が信じないように、先様においてもまた面の皮うんぬん

を必ずお信じにならないでいてくださると存じております。

 申し上げることはこれだけではありません、ただでさえ私に快くない例の人々は奇貨

居くべし(好機を逃さず)というような意気込みなのでこれを敷衍(押し広げる)し

潤色し付会(こじつける)し誇張し思い思いの妄説をたくましくさせてはいけないと

思います。なお詳しくはその内お目にかかった節に申し上げます。

二十一日 緑雨

一葉様

 

   10月

 その後ご病気はいかがですか。少し決めかね、事情があって引き延ばしていますが、

遠からず帰国の心構えをしています。再び都へ上ることはなく、願わくはその前にご全

快の報を得たいと切にご加養のほどお祈りいたしております。お伺いまで早々

三日夜 緑雨

一葉様

(帰国のことは露伴氏のほか誰も知りませんので、ごく内々のこととご承知下さい)

 

   明治30年11月(邦子に宛てた手紙)

 かの日都を落ちて船橋に泊まりました。昨日から市川町に戻って百姓家を借り受け、

ともかくも過ごしております。

 今宵は松葉の土手と申すところを下りて渡し船に乗って月を見ました。並の旅では

ないので、落人の身の上がいっそう悲しくなります。

 これは残り少ない真間の紅葉です。所の名とは申しながらうらやましいこと(真間の

手児奈:多くの男性にも止められて身投げした)です。

 鬼ども(債権者)が都で立ち騒ぐ姿が目に見えるように思えて眠れません。

 この先どうなって行くのか自分にもわからず、今日人の元へ申し遣わすことがあった

のでその模様次第で詳しく申し上げることができるでしょう。

十日夜