みづの上日記

 6月9日、正太夫が夜に入ってから来た。幸田さんのことなどについていろいろ話が

あり、去年の著作『覿面』のことなども語った。「妻を持たない主義で長年過ごして

きた自分なのでいまさら妻や家が欲しいなどと軽々しくは言えないが、持つように決ま

っているのなら、持ってみるのもまたおもしろいことだろう。この世のことを何もかも

成し終えてしまってから、罵りたいことを罵り、嘲りたいことを嘲ればよいと思うの

だが、限りある身では物事も一部しかわからないものなので」と言った。

「『たけくらべ』の文体は最初の頃から最後の方になって違ってきていますが、それを

ご承知でしたか、最初からこのようにしようと思って書いたのですか」と聞かれて、

「そうではありません、ただ書きよいままに書いただけです」と答えると「では、筆を

持って初めて文章が出てくるのですね、みな同じです」と言って笑った。「今晩来たの

は特に用もなかったのですが、君が『国民の友』の夏季付録号に書くと約束したと聞い

たので、それは本当ですか」と聞く。「いえ、この一日二日前に国木田収二さんが言っ

てこられたのですがお断りしたので書きません。どうした聞き間違いでしょう」と言う

と、「それは本当ですか、本当のことを言ってください」と勢い込んで聞くので「わざ

わざ嘘を言って人を弄ぶものですか、あなたこそどうしてそんなに疑うのです、おかし

いですよ」と答えると「では、民友社が嘘を言ったのだ。今朝社の何某が来て『一葉

さんは承諾しましたよ、見てください』と君の名前が書かれた下に傍線が引いてあっ

た。実を言うと僕が最初に夏季付録号を出すよう意見したのです。そこに僕がそれぞれ

匿名で4種類の文体で小説を書き、世を騙して驚かせようというわけです。いろいろ訳

があってあの会社に快く書く作家はいないので、僕もはっきりしないうちは書くわけに

はいかないが、そのような戯れの舞台を用意してもらえるのなら思うままに書きましょ

うと申し出たのです。それに対して社は『今年の夏季付録号はすでに誰それに頼んで

おり、もう筆を取っている人もいるのでそう言われても取り消すことができない』と

言い、誰が書くのかと聞いても答えないのだ。そこには僕も思い当たることがあり、

社は以前露伴、鴎外、逍遥に使いをやって夏季付録号への寄稿を頼んでいたのに誰も

承諾しなかったのです。それでほかの作家にも頼んだがことごとく断られてしまい、

誰も書こうと言う人がいないのは僕も聞かされなくても知っていた。こうなっては田山

花袋をはじめとする新派が書くことになるだろうと思うが、僕は彼らとは死んでも同席

したくない。そう言うと君も新派の一人なので気分が悪いかもしれないが、僕の言う

新派とは、君のような人のことではなく、僕に作品の添削を頼んでおいてうわべは知ら

ない顔で同じ文壇で競おうとしている奴らのことです。盗人に食事を与えるという諺

みたいなものだ。こういうおもしろくないことがあったので、僕は同じ新派でも君が

書くというのなら僕も書こうと言ったのです。一人でもいい、敵に足る人がいれば勇ん

で戦場に出ようというものです。そういう考えをもって僕は『一葉君が書くのなら』と

言ったのにあいつは『彼女は承諾して間違いなく書きますよ』と噓を言って僕を騙そう

としたのだ。よし、おもしろい、明日の朝早々に断りを入れて書くのはやめだ、おもし

ろくなったぞ」とほほ笑んだ。そのほかにもたくさんの話があって、11時頃帰った。

 

 20日の夜、更けて半井さんが来た。なんと珍しいことだと思って見ると、慌しくも

車を使ってまでこちらに来たようだ。「だしぬけですが、このほど斎藤正太夫が僕の

ところに来て、君を訪ねたと言っていました」と言う。「ええそうです。最近来るよう

になりました、とても気味悪い方ですね」と笑うと、「本当にそうなのです。とても

気味悪い男ですから、心構えして気を許してはなりません。僕に君のことをいろいろ

聞くのです。『この頃の世の取沙汰はかくかくしかじかだ』とずいぶん話し続けたが

忘れてしまってもう思い出せない。ご承知でしょうが僕は別の世界に住むようになっ

て、ただただみかん箱作り(商売)して日を送っていたので、文学界のことは全然わか

らず、君がこれほど名を挙げていらしたのも緑雨に聞くまで夢にも知りませんでした。

大変上達されたと彼は言っていました。そして近々君のことを論じる一文を世に出すと

のことで、『何か材料があるか』と聞かれたが、僕には知る由もないと答えたのです。

さらに僕と君との間に怪しい関係があるのではないかと言うので、『それは承知できな

い、なんでそんなことがあるものか。世の人はともかく君までそんなことを言うとは、

どういうつもりなのか』となじると『いや、君と女の噂は昔の話で旧聞だから、今さら

詮索することでもないのだ、では何を書こうか』とおぼつかなさそうに言うのだ。『僕

がよく一葉君を訪ねるので、悪口の種を探しに行くのだと思われているが、そう言えば

そうかもしれない』とも言った。本当に油断のならない男なのでお気をつけなさい」と

言った。「近々『万朝報』に君のことを書いて載せるとのことだったので、『よく話を

聞いて間違いなく書くように』と僕は言い置きました。あの雑誌に君のことをよく書く

なんて不似合いではあるが」と言って笑った。

 もっと話したそうなことがもっとあるように見えたが何だか抑えたようで、「また

来ます」と言って帰った。大変珍しい人がめったになく来たので、何か起こるのではと

首をかしげた。

 この夜川上さんが見えた。高田早苗さんの依頼で、私に『読売』への入社の話を持っ

てきたのだが、「考えがあるので」と断ると「使いが悪いからか」と怒ったようだっ

た。以前の写真を持ってきて返してもらった。「中身が違うかもしれません」と言うの

は焼き増しさせたためだろう。「どうだっていい、私の言い分が通れば」と思う。この

夜はとても気分を害した様子で帰った。

 

 21日の夜、更けて斎藤さんから手紙が来る。「好ましからぬことだが、やむを得

ず」と前置きして「去る17日の『国民新聞』が今届いて見たところ、『警聴蜚語』と

とした中に『正太夫一葉を訪う』とあり「正太夫の考えは『一葉の面の皮をひん剥いて

やろう』一葉の考えは『正太夫はカラスのような男だ』」と。「上はその会話なるもの

の最後に記者が付記したもので」とあって「これらのことに深く弁解しようなどとは

僕は絶対に思わない。「カラスのごとき男」と君が思ってるとは僕は信じないし、僕が

面の皮を剝ごうとしているなどとは君も信じないだろうから、これを見せるのです。

ただでさえ人からよく思われない自分のことなので、例の奴らはこれを種に好機に乗っ

た勢いでこじつけ、誇張し、潤色してそれぞれ勝手なことを言うだろう。詳しくは会い

に伺った折に」とあった。この世界、なんとも面倒くさいことだ。