斎藤緑雨の語り

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 屋根の雪が落ち積もってえらいことに。もー今年は絶対脱出だ。せっかく南下して

いたのにこんなところに来てしまうとは…。南海トラフと富士山爆発を避けるとすると

やはり聖地杵築市かしら。国東半島は一回しか行かないがのどかだったし、臼杵も山桜

が素晴らしいところ、津久見や佐伯も悪くなかった。大分はいいが、九州より愛媛と

属性が一緒というのがちょっと…愛媛のみならず四国は女の性格が超悪なのできつい。

 もう無理な気しかしないが夢は琉球久米島紬、大島紬、次は坊津で魚醤作り、落ちて

頴娃町でバイト、茶摘みか芋剥きか…。最悪愛媛…瀬戸内でも仕方ないが、せめて伊予

灘付近…でも海側は僻地すぎるんだよなあ。地縁はあっても母の里はくっそ寒い山中

なので、ここと変わらない。なぜ夏と海を愛する私は大寒の生まれで、関係者は雪降る

山中育ちなのか!?それがお寒い私の人生だから。

 

 物語はいつしか『めさまし草』のことを離れ、正太夫が身の上のことを語りだした。

「僕はいずれこの文学界を離れてもっと妙な境涯に身を置きたいと思う。あんな馬鹿

野郎ばかりが集まる場所に長くいるのは胸が悪くて」と高い声をあげてから「ああ、

本性が出た」と侘しげに笑った。「あなたのところまできて『馬鹿野郎』呼ばわりを

するなんていけないことだが、抑えがたくてつい本性を表してしまった。驚いたでしょ

う」とこちらを盗み見るようにして低い声で言った。「どういたしまして、聞くのは今

が初めてですが、あなたの『馬鹿野郎』のお噂は早くから伝わっていて、世の中であな

たの名を知っている人で聞いたことがない者はないとのこと、これを初音としてご遠慮

なくおっしゃってください」と笑うと「ご承知ですね」と快く笑った。

「吉原に入って、貸座敷の風呂番にでも堕ちようかと思うのです。これ以上堕ちない

ところまで堕ちてしまったので、やるかたない怒りを漏らすとて誰を相手に何を言えば

いいのでしょう、そこも同じ浮世だと飽き果てた時にはただもう死ぬしかありません。

ほかに行くところもないので心安いものです。浮世には人の階級というものがあって、

上位に立つ人も下位にたたずむ者もいますが、みな同じように苦しんでいます。図に

して示すと、これを仮に縦の苦としましょう。この縦の苦は浮世というものによって

起こるもので、上は天皇から、下の万人まで誰も受けないものはない一通りのもの。

次に横の苦というものは、階級によって異なるもので、うわべを繕って人から尊ばれる

境遇の人に起こる苦しみ。その上のことは言うまでもなく私には知るべくもない。中途

半端に中流階級に漂えば、今日の一升の米や一掴みの塩に事欠くことがあっても、人に

話したとて信じてもらえない。痛しかゆしの境涯を思えば、思いやりのある下流の住ま

いのほうがうらやましい。ひたすらに落ちぶれ果てれば、心もおのずから低いところに

慣れて、みだりに悶えるようなこともないだろう。月6円の収入もあれば、一人なら楽

に暮らせる場所もあるのに、用もない長羽織りなど着けて大変見苦しいと思うので、

なんとしてもここから離れたいと切に願うのです」と言う。「区役所の受付係にでも

なろうかと思うが『あれは昔正太夫と言って筆で食っていた男だ、今はあさましい身

だな』などと言われるのも悔しいし、郵便協に入ってすりガラスの中で事務をとるのが

よいかと思っても、これもまた同僚などという憎らしいものがいる。僕はすべての前世

を忘れてしまいたいので、文字に縁のないばくち打ちか、貸座敷の下働きにこそなれば

いいと思い、早くそうすればいいのに、いまだにこの道を漂っているのです」と嘆く。

「お暮しに憂いがなく、あなたを我が君と奉り、撫で牛のようにお布団を積み重ねた上

にお据えになって『言いたいときに心のままに馬鹿野郎と言いながら、一生安らかに

お過ごしください』という人があったらどうなさいます。それでもなおお心を悶えさせ

て下働きだとか、ばくち打ちになるとお望みになるのですか」と言うと「そんな人が

もしいたらどんなにいいでしょう、新聞広告にでも出してくれませんか」と笑う。

「しかしそうなると僕は居候というものになる、それはあまり嬉しくないな」と言うの

で「ではこれもお心にかないませんね」と一緒に笑った。

「ここと決めた宿もなく、日が暮れたら最寄りの誰かの家に行って知った門をたたいて

ねぐらとし、朝になったらただおぼつかなくさ迷い歩き、人からは蛇蝎のごとく嫌われ

て、自分は怒りに心悶えているので筆を執っても優しいこと、懐かしいことなどかけて

も出てこない。たまたま書いたのは『油地獄』『覿面』『雨蛙』の類で、ただただ敵を

増やすばかり。文学界に一つの明かりも増やさず、後進を導く助けにもならず、いたず

らに心の悶えを表しては『彼の毒筆を憎む』とののしられるばかりだ」

「鴎外はもともと裕福の出で、順調に名を成したのも当然だ。露伴はもう少し力が備わ

ればと思うが、それは僕の欲目かもしれない。ただのすね物の生まれつきなのかわから

ないが、弱いものを見逃せない僕はそれを物悲しく眺めている」

 正太夫が重ねて言うのには「そうは言ってももし僕にまだ逃れられない何かがあっ

て『この文学というものを何としても成し遂げたい』という確実な目標が定まったら、

どうして卑怯にも逃げられようか。生まれて29年、戦いはこれからですよ」と笑った。

「本当にそう思います、そのような人こそ必ず文壇にとどまってほしいと願われていま

すよ」と言うと「いやいや、今僕に『その境遇を離れるな』と言う人がいたらそれは

僕が借金した人たちですよ、吉原の消し炭(風呂番のこと)になってしまったら金を

取りっぱぐれますからね」と笑った。「大変遅くなりました、また来ます」と立ったの

は10時過ぎた頃だろうか。今夜は語ることがたいそう多かった。