通俗書簡文 ただいささか

          

                                                        寒い寒い 

 日用文のこと

 今風の文章は大変複雑で、さまざまな体裁がしきりに出てきております。怪しくも鵺

などと言ってある人をあざ笑うものさえいる(?)とか。さてその記事、紀行、随筆、

説話のいろいろはここには用がなく、男性の書く拝啓、頓首も私の知らぬこと、ただ私

たちの間で言い通わせている日用文のことを少し書こうとしたまでです。この手紙の文

は空のかなたに心をやって人の世を離れようとするものでも、目に見えない鬼や神を

感じようというものでもありません。年始暑寒のお見舞い、月花の折に友を誘い、新宅

新居を祝いもし、憂いや嘆きを慰めもし、親しい間柄では忠告や教誨を、目の当たりに

すればこのように口にすべきことを、筆に言わせて心を通わせようというのです。です

ので難しい用語などは求めず、きわめてわかりやすく素直な言葉をもってことの筋を

明らかに、順序正しく書きなしましたならほかに難しいことはないのです。

 文を見ればやがてその人柄が推し量られると言いますが、それをどう聞き違えたのか

日常使う言葉を卑しんで、聞きなれずわかりづらい雅な言葉を交えてしたり顔で書いて

いる人がいるのはどういうことでしょうか。言葉は最後のもので、元の心に優しさが

あれば飾らなくても懐かしく聞こえますのに、普段着に打掛をかけたような装いは大変

奇妙で不用です。ことさらに繕うと自ずから合わないところが出てきて、見るほどに

興冷めてしまうものですから、紙や筆を取って向かう時にはまず、自分の心を顧みる

ようにしましょう。かりそめの手紙の文とはいえ千年の後にも残るかもしれないのに

なおざりに墨を塗ってよいものでしょうか。

 とはいえこの文とは難しいといっているわけではありません。無理に格式を求めず

心のままに書くことは、ひらがなの一通りを知っていれば誰にでもたやすくできること

です。以前知っていたある女性は歳が行くまで文字を書くことを知らず、日々の用事を

親兄弟に便りができないのでとても侘しいと嘆いていましたが、思い立って四十七文字

を学び、さて文の書き方を習うと、ます、ませぬを候に変え、いつしか前文の体裁も

整い、とても長い用事も一句一句に点を打ちながら滞りなく書くという大変珍しい俄か

修行を(遂げましたので)どうやってと聞きましたら、「何でもありません、もとより

文法や語法までたどることまではできませんから、間違って書かないようにとの一念

で、ただ口で話すことを元にして、それにすがってものしました。人が人に会えば必ず

言葉があります。寒暑の挨拶、疎遠のお詫び、これを文の最初に書いて、それから用事

に移る。これからあれ、あれからこれと口ならば無用の言葉でいたずらに時を過ごしま

すが、文には紙の限りがあり、用のないことは全て省きながらただ言おうと思うこと

だけを書き綴るのです」と言いました。まさにこれこそが手紙の文の本意であり方法、

心得というほかにありません。古人の文の大変よいと言われるものを見ますと、それほ

ど礼服を着けたようなかしこまったものではなく、言葉も取り繕わないままの筆遣いに

様々な哀れや懐かしさが籠って、この時この人はこうだったのだなと推し量られるよう

です。作りものになってはいけません。文を学ぶ人はここに心を寄せましたら、何くれ

の教えを奥深くたどるまでもなく、自ずからよい文章を書くことができるでしょう。

そうはいってもいずれの道でも稽古は必ずしなければなりません。春のうぐいすが谷

から出て軒端の梅に声を立て始める時、自ずからの調べはまだ整わず、出し渋っている

ような節を未熟だと愛でもしますが、誠の声は鳴き慣らしてから後のことです。初め

から思いのままに言い出したり書き出すことは難しいものです。日頃の勉強が足りない

まま、さて文を書こうと向かっても筆は心に従いませんから、もどかしく煩わしくなっ

てしまいます。言いたいと思うことも中途半端に書きさし、あらぬ雑事がどうしようも

なく混ざって自分でも見苦しく甲斐がないと疎むようになればおのずと怠りがちになっ

てもうやめようと思うようになります。何事も急にはできません。日頃心を用いてただ

心に沸き出でるいろいろなことを日記に書き慣らせば、話すことと筆にすることに隔た

りがなくなります。世間でたくさんの人と交わっている人がものおじしないのと同じ

ことで、心安く文を書けるようになるでしょう。古人の文を読んで勉強するのは大変

よいことです。といってもひたすらにその後を追うようになって、ともすれば自分の心

でないことを小賢し気に出すのは見苦しいことです。人のものは人のものとして自分は

自分の文をと心がけるようでありたく、よい文を見るのはよい文を作り出すための養分

であるべきでしょう。

 文は短くわかりやすさを第一にと人は言い、男性ですが本多の何某という人のの文が

いつも引き合いに出されて世の褒められものとなっておりますが、それはその時々の

もので短くてはいけない時もあり、長いものを楽しむ人もいます。遠く離れて会うこと

ができない時、ただ大空を眺めては故郷の人はどうしているだろう、野山の様子も懐か

しく、あの家、この家はどうなったか、里の子供達、鎮守の森とさまざまに思い続けて

いる折に親しい人から来る手紙はどれほど喜ばしいことでしょう。封を解くのももどか

しく読むと、暑さ寒さの中どうお暮しですか、こちらは変わりありません、あなた様は

いかがですかのみであったらどれほど残念か考えてみてください。このような時の文に

は雑事でも捨てるものはなく、一握りの草、一頭の犬、おばあさんやおじいさんのこと

何もかもが見る人の慰めとなって旅先のつらさもしばし忘れ、何とよい友だろうと大変

慕わしく思い、長さが尋に余っても煩わしいということはないのです。短くてよいのは

近火負傷のお見舞い。不慮の事態で人の心があわただしい時に長々と書き連ねたものを

見るのはうるさい心地がするものです。何につけ時というものを必ず見るものです。

よろしからぬことはどういうことでも人の心を痛め、煩いを増し、思いのほかの怒りを

招くことがあります。人に何かを頼む文には気をつけるべきで、断りの文はなおさら、

ことによっては早く人の心を破ってしまいますので、それをなだらかに整えてやむを得

ない様子を細かく書いて、それでは(仕方ない)とうなずかれるように言ってやるよう

にしましょう。老人に今風の小賢しいことを言ったり、その道の心得のない人に自分が

知っているからと歌を送ったりするのは無礼です。若い男性に用がある時の文はこと

さら慎みなくならないように、など言い続ければなにくれと多く、心がけることはさま

ざまありますが、何につけてもことの様を思い図って、文を書くときにはなおざりに

ならないようにしたいものです。

 言葉を交わす便りは文字が拙くともわかりやすければよしとしますが、拙くなければ

なおよいことです。男性の文のように楷書やかたかなで書くのはいかがなものでしょう

か。まして女性の堅い筆遣いはどれほどよい文章でも幻滅されてしまうものですから、

ひらがなをよく練習して多用した方が女らしいでしょう。またその仮名遣いを乱しては

いけません。慣れるまでは必ず下書きをするべきですが、お使いを待たせてとりあえず

走り書きをしなければいけない時にゆっくりと書き改めたり、文章を繕っていてはもど

かしいので、心静かによく思い巡らせて筆を取ればたちまち書き綴ることができるよう

に常日頃心がけることに越したことはありません。また、取り置いて後の証拠にという

ようなものはわざわざにも書き取って手元に置いておくべきです。

 どのように急いでいる時でも文を書き終わったら必ず一回は読み返すべきです。気を

つけてはいても落とした文字があるかもしれません。一字の間違いで意が通じないこと

などが起きましたらその文はついに無駄になってしまいます。

 その書き方、天地のきまりなど難しく言うのはうるさいことです。ただ見苦しくない

ようにと心得ましたらよろしいのです。初めて学ぶ人のために常識の二つ三つばかりを

書きます。

   文の書きよう

 巻紙の端幾寸幾分をものさしで測るほどではありませんが、始めから終わりまでひた

すらに書くものではなく、多少の余白を置いて、天地も行が詰まらないようにしたいも

のです。紙の継ぎ目が最初にあるのもよろしくありません。常陸宮の実法(?)という

ようなものが今の世の文にも多くありますが、女性のものは、何もかもはっきりとした

規則めいたことが悪いとは言いませんが心引かれることがないでしょう。上は必ずそろ

えて書くべきですが、行末は文字の長短によって少し下げて横に書くなどすると景色が

よいものです。一行は太く、一行は細くすると見よいという人もいますが、それもあま

りはっきりしていると型のようになるのではないでしょうか。句の初めに墨を継ぐのも

悪くはありませんがおし並んで濃く見えてしまうのではないでしょうか。文の表を見よ

くしようとするには法則のみにはよりません。こうすべきであるとかこうした方がなど

と教えられているものを見ますと、余地というものがなくのびやかではありません。

ただかしこまっているだけで見所がないようです。物慣れた人が書いたものは何となく

書いた走り書きでも濃い薄いが入り交じり、わざとらしくないのに見苦しくないのは

やはりお稽古のたまものでしょう。ですからあの方法、この方法といろいろ書き試み、

文の面が麗しくなるのも思うに任せるようになり、だんだんと整うことでしょう。

   上に置くべきと下に書く文字

 行の一番上には候を書かず、一番下には御の字を書かないように心がけてください。

それが難しい時には行を外れて横に書いても問題ありません。

   前文

 あるべきものですが必ずとは限りません。遠国や他郷の、隔たりのある人に言い送る

時、またはかしこまったところに申し上げる時には用いるべきです。文を書くたびに皆

様ますますご機嫌よくなどというのは多すぎます。五日ほど会わなかっただけでと戯れ

のようでほほえまれもしますが、幻滅されることもあるかもしれません。親しい仲で

軽い用事の時はお許しくださいとも言わなくてもよいのです。決まった言葉ですから

ご機嫌伺いの用のある時だけでよいのではないでしょうか。私の知り合いの幼い子は

いつも文をよこすたびに前書きを同じにせず、ただいま軒端に月が昇って窓に竹の影が

趣深いのを見ながらこの文を書き終えます。あなたは門に出て遊んでいるのでしょう

か、燈火の下で何か読んでいるのでしょうか、その様子を思いながらなど、その時の

情景を書いてよこすので大変心引かれます。こなたも無事に候とばかり見せられるより

嬉しいものです。

 お悔やみの文はもちろんですが、出水や地震などの不幸を尋ねる時には前文を使用し

てはいけません。こちらから知らせる時も同じことです。

   終わりの文

 今も、なおめでたくかしく、と書く人がいます。これは道理ではないとのこと、正し

くはあなかしこと書くべきですが、ただかしことしてもよく、あらあらなどを添えるの

は文の様子によります。

   月日を書くこと

 女性の文に明治何年何月などと書くのはあまりにやりすぎでうるさいものです。後の

ためというような難しいものならばただ何年月日とするのが多少ましでしょう。大体は

ただ日のみを書いたり、何月半ば頃とも末とも書いて終えるのがよろしいのです。封筒

の上に親展、直披などと書くのが女子たちの間で行われる時代ですが、年号まで書く

必要があるのでしょうか。おおらかな方が心引かれると思います。

 しかし文の内に今日このようなことをしたとか、明日どこかへ行こうと思うなどと

書いてあるのに日付が確かでないと読む人が戸惑いますから、注意してください。

   宛名

 父上様、母上様はもちろん、伯父様、伯母様全て目上の人に名前は書きません。親戚

が数多く似たような肩書の場合は何某の里の姉上様というように書きましょう。同じよ

うに少し目下のものにやる時には名前だけを書いて、つる様、亀次郎様でよいのです。

何の何某様と姓名を書くことは謹みの時だけです。封の外には姓名を書いて中は姓のみ

書くこともあり、若い男性に送る時には相手にも自分も名前だけを書いてはいけない、

苗字を明らかにと言われるのは、親しげで打ち解けているように思われるからですが、

名字だけでもおかしいのではないでしょうか。女友達の親しい仲なら何子様御元に、

何子とだけ書くのが大変よろしいです。大変尊い人には何某の君などと書きます。

大人、高台などは女性が使う言葉ではありませんが、主というのは人によるでしょう。

大体は様の字を広く使うようです。殿というのも使わないようにしましょう。古くは

大将殿、内大臣殿などと書きましたが今は大変下がって聞こえますので、召使いに宛て

る時くらいです。

   脇づけ

 宛名の横には人により所により、御前に、御許に、人々申給え、人々御中、申給え、

御文机のもとに、まいらす、奉るなどと書きましょう。玉案下、座右などと書くのは

いけません。人々申給え、は御もと人よりご披露願いまつるという意味なので親しい人

への言葉ではありません。人々御中も同じようなものです。御前に、はとても尊くなり

ますので、御もとに、御文机のもとに、などこそを常々言い交わしている人には書く

べきでしょう。返事の時は御返し、御請などと書きましょう。

   なおなお書き

 本文で言いあまったことを折り返し言い出すことで、追書きともいいます。本文初め

の行の前から少し引き下げて、間間に細かく書き入れることもあり、末の白いところに

書くこともあります。最近までは誰も法則のように守って、なおなお、かえすがえすな

どと書いたものですが、そこまでしなくてもよいようです。思いのほかに取り落とした

用をそれですと後から書き添えるものですので、特に景色よくすることもありません

し、よくなくてもよくても侘しくはないでしょう。

   文の中に顕れる時

 夜の月や朝の花を何心なく眺めている時に友達から文が来て、優美な封筒にまず心

引かれ、封を切って見れば時節に合った絵半裂の美しさに優れた筆つきと墨の香り。

大変情緒ある言葉の二言三言に交えた歌の様子などは、身にしみて忘れ難いものです。

雪でも雨でも思いがけず訪れがあるのはそれだけでも嬉しいのに、歌が添えられていた

らいうべくもありません。さてその書き入れる歌がことごとしく本文と引き離れてしま

ってはよろしからぬことです。初句はただ一字を他より下げて書き始め、結句は本文に

続けるのがようにします。色紙のように書くこともありますが、わざとらしくならない

ようにしましょう。

   〆のこと

 状を封じて墨を引くのは古くからの決まりですが、封、綴、鎖、糊はいずれも女性の

ものではありません。ましてここに印など捺すのはどんなつもりかと怪しまれます。

ただ〆とだけ書くべきでしょう。

   くさぐさ

 郵便で出す時には切手のことに気をつけましょう。少し量が重かったら相手に負担を

かけ、それを知らないまま礼を欠くことになりましたらどんなに残念なことでしょう。

人も自分を所を明らかにして、間違っていたら自分の手元に戻ってくるように心がけま

しょう。封の中には二つとない心を込めているのに、読んでもらえなくなってしまった

ら大変侘しいことです。

 返事はなるべく速やかに出しましょう。事故の時にはなおさら、ただ折に触れた訪れ

でもくださった人は待っているものですから、なおざりに放っておくのは大変いけない

ことです。あちらから来たものをよく読んで、待っている人の心をできるだけ細やかに

捉えましょう。一回り見ただけでは思いのほかの過ちが出るものです。

 文のことはまださまざまあるとはいえ、ほとんどは人々の心持ち一つでどのようにも

なりますから、くどくどしいので(終えます)。