孤蝶の手紙とその返事

 (手紙を)書いていないことほとんど一月あまりになると思われ、またまた君に恨ま

れることが怖いので、趣は乾き情も枯れた脳裏から自分にもよくわからないことをひね

り出して書き続け、まずご無沙汰の照れ隠しとでもいたしましょう。その後は日曜、休

日ごとに諸方を駆け歩き、今月の九日には大阪へ行き翌十日、全都が生命の機関の活動

をし始めようとする朝残月の光を踏んで梅田停車場に出て、途上勤勉なる労働者が工場

に通うのを見てむやみに我々の身が安逸であることが恥ずかしく思うことも何度あった

ことか。例の人生の報酬の不公平などの考えが叢然として心中簇集(叢も簇もくさむら

の意、もやもやした)。中之島にいる親戚の宿を訪ね、夕陽が血のように西の天に落ち

て行くのを見て、自然が大いに趣に富んでいることに驚きました。十一日には昼頃同市

を走り出て、空は名残なく晴れ渡り、小春の光に山青く水白く、四方の野が果てしなく

黄色くなっているのを見、平安の都もいつしか過ぎ、逢坂山の下をくぐって瀟湘(八

景)洞庭(湖)(山水画の画題)の眺め、鳰の海の浩蕩(広々)たるさま、比良山地

四明山の諸嶽の雄々しき姿を後にして、暮方彦根の破れ宿に帰り着きました。十三日か

らはわが校の生徒およそ百七十人ほどと教師十二人ほどが連れ立って白米一升五合、

外套や毛布を肩にして軍隊的遠足をし、当地から七里余り隔てた高野永源寺という山寺

に向かいました。同所は当国における紅葉の名所で、愛知川の水がさまざまに屈曲して

碧潯(深い淵)をなし、急潯(流)をなし、清く清く流れ来る方には千本ほどの楓が松

や柏の常緑の中に入り乱れて両岸の懸崖を包んでいます。ただうっとりとして身を忘れ

るばかりの眺めでした。試しに仮橋を渡って山全体が錦のような景色を前にして岩に

すがって人のいない渓畔に下り立つと、楓山が蒼天から直下して碧渓を踏み、白水が錦

を映して悠然として流れ去る風姿は実に人間(界)のものではないように思われまし

た。懸崖の岩角に座って四方を見れば枯葉が夕風にもまれながら颯然と渓流に落ちて

行く。前の山は錦のようで楓の葉は花のようなのに、ここに散る葉は黄死して色も艶も

なくなってしまっています。玉のような流水は葉が落ちるたびに優しいさざ波を立てて

絶えずこれを運び去る。ああ、前の山の錦葉がこの水に入るのも数週間の後ではないと

思いながら何とも言い難い思いが胸に湧いてしばし我を忘れていましたが、楓林の中

から漏れ聞こえる鐘の音に驚いて再び寺に帰ると、ここもまた夕日が楓の葉に照って山

全体が酔っているようでした。冷え冷えとした石のようなおむすびを食べて 午後九時

頃から一眠りしていると時雨が降り始めて夜寒は肌にしみとおり、寝具がない我々は

眠ることができず夜もすがらいろいろなことを語り合いました。明けると時雨はついに

霰となり雪となりました。疾風怒号し白雲を巻いて楓林に入ると、紅白が映り合った

壮観さは例えるものがありません。寒気に耐えながら谷を越え、橋を渡って景勝を探り

ました。翌十五日は七里の道を歩いて八幡の町へ出て、ここでも寺を借りて一宿しまし

た。食べ物は昨夜炊いた冷や飯に古い沢庵を添えたもの。量が少なくて耐え難いと人々

が集まって芋粥を炊き、円座してこれをすすったのはおかしくもおもしろくもありまし

た。十六日は秀次の城跡八幡山に登って比良ヶ嶽が雪を頂いて湖波を踏んで立っている

ような風情を賞し、安土の山に登って信長の古墳に枯れ草が離々(かれがれ)たるのを

見ました。国破れて城址は秋風に対す。鳰の海は眼下に洋々として比良四明の諸嶽は左

の方に蜿蜒(えんえん)としている。心に詩のある人ならこの景色に対して思うところ

は一層深いでしょうが、私のように情感のない者には何の句も出てきません。破れ宿に

帰り着いたのは午後五時頃、この旅では常に冷や飯と古漬けで命をつないだとはいって

も幸い身体はますます元気で健脚を誇って常に先発の任務に当たりました。人に先立っ

て二時間も早く宿に着いたことを持っても私が健全だということがわかるでしょう。

しかし私はますます俗物になってしまいましたので都の方々とはお話しもできないこと

でしょう。この暮れにはぜひ俗化した私を目の前にお見せしますが、まずはここまでに

して筆を置きます。 敬具

十一月二十三日 かつ也

 樋口なつおば様

 

 ご無沙汰しております罪のやりどころがありません。日ごと夜ごと絶えず心の中で

お詫びしておりますが現せないのでその甲斐がありません。ただお許しを乞うばかり

です。いつかはお写真をお恵みにあずかり、お礼がてら申し上げたいことが数々ありま

したが、今はもう遅いので申しそびれたままただお礼のみ申し上げます。とても寒くな

りましたがそちらはいかがですか。相変わらずお盛んに名所や旧跡を訪ねていらっしゃ

ることとうらやましく思っています。今月末には必ずお目もじがかなうのでしょうか、

皆さまがお見えになるときはいつもその噂ばかりしています。たとえどんなに心惹かれ

ることがあっても、こちらにはお年寄り(ご両親)がいらっしゃるのですから必ずお顔

を見せにお戻りくださいますよう、それだけを願っております。いよいよご出京となり

ましたらいつ頃何日くらいにお目もじがかなうのでしょうか、そればかりを心待ちして

おります。お詫びもお礼も、またそのほかに申し上げたいことも取り重ねてその時に、

おうるさくお聞き入れください。悲しいことも嬉しいことも話し合える人がいない今日

この頃、ただお目もじだけをつま先立ちして待っております。あらあらかしこ

                                  めいより 

かつやおじ様御もとに

 

 これは28年12月5日の手紙だ。かつやおじ様とあるのは、ずっと前に私の方から樋口

おば様という宛名で手紙を書いたことがあるのでそのしっぺ返しである。

 

 罠を逃れた兎のように彦根の町を後にしたのは去る二十四日の六時頃であった。関ケ

原だの垂井だのはまるで銀世界のようであった。銭がないから中等などにはとても乗れ

ず混雑甚だしい下等室に入って身動きさえろくにはできず、浜松で一夜を明かそうと

思っていたのを思いとどまって大いに艱難辛苦、欠乏に耐え、煎餅を噛んで飢えをしの

ぎ、夜半に島田の停車場に便所へ行こうとして線路の上に落ち、ひそかに島田(髷、

島田の遊女が広めた)に落っこち(恋に落ち)ないで幸い、丸髷(既婚者)だったら

刑法に触れてしまうところだったと腹の中で洒落散らかし、終夜眠らず午後七時国府津

に着いたのである。海辺の景色はなかなかおもしろかった。昼寝をしながら秋骨を待っ

たけれど来なかった。大いに奮然として馬車に身を投じて鴎盟館へ来たのである。夜は

万感胸に迫ってさまざまなことを思った。昨日午後になって秋骨の野郎め、のこのこと

やってきた。彼から聞けば女史の勢い正に朝暾(朝日)のごとしとか、文運大いに恨む

べし、来年の「国民の友」の付録でまたまた有髭の男子をへこませるかと思えばちっと

は恨めしいような心持もするのでござる。寒山落莫の風景もおもしろいだろうと思って

昼までにここへ来たのである。食後手を携えて山路を歩き、宮ノ下のほうまで行ってみ

た。この三か月の旅は私を大変弱らせた。しばし古い夢の歴史を繰り返して何となく心

細い思いもした。山陰の旅寓で日が暮れようとする頃雨が降り、渓籟(谷川の音)の寂

しさは増して広い宿には旅人もなく、世の人はこのような時はさぞ人恋しいだろうが、

余は不幸にして心死灰のごとし、鬼神がいたって大声で歌うだけ、明日溝にはまって

(のたれ)死んだってかまわない。冷然として、空虚としてこの寒夜を送ろうとする。

明日は雨になるだろう。海辺を過ぎて大磯の方に向かうべきか、帰京も近づいた。寒中

謹んで君の筆がますます健やかなることを祈る。 九拝

十二月二十七日