2022-01-01から1年間の記事一覧

樋口一葉「花ごもり 二」

四 これは瀬川様ようこそ、と玄関に女中の高い声を耳ざとく聞いて、膝に寝ていた子猫 を下ろし読みかけの絵入り新聞を茶箪笥の上に置き「お珍しい、何の風に吹かれていら っしゃいました、谷中への道は忘れてしまったかと思っていましたのに」と、障子の内 …

体調悪悪おばさんのちょっと気をつけてる毎日

昨年の写真だけど涼を。 いやいや…ビダール苔癬かと思われたものが昨年は夏には軽くなったのに今年はずっ と続いている。わかってきたことは、女性の体調変化前には猛烈に痒くなること、これ はもうどうしようもなくて、もう終わる歳なのでそれを待つばかり…

樋口一葉「花ごもり 一」

一 本郷のどことか、丸山町か片町か、柳や桜の垣根が続く物静かな所に、広くはないが 小綺麗にして暮らしている家があった。当主は瀬川与之助という昨年の秋、山の手に ある法学校を卒業して、今はそこの出版部とか編集局とか、給料はいくらほどになるの か…

樋口一葉「暗夜 三」

九 秋は夕暮れ、夕陽が華やかに差して、ねぐらに急ぐ烏の声が淋しい日、珍しく車夫に 状箱を持たせて波崎様より使いという人が来た。おりしもお蘭は垣根の菊に当たる夕日 が美しいのを眺めていたが、おそよが取り次いでお珍しいお便りですよと差し出すと、 …

樋口一葉「暗夜 二」

五 行こうと思い立った直次郎は一時も待てず、弦を離れた矢のようにこのまま暇乞いを と佐助を通じてお蘭に申し上げると、とてもではないと驚いて「鏡を御覧なさい、まだ そのような顔色でどこへ行くのです、強情は元気になってからなさい。病には勝てない …

樋口一葉「暗夜 一」

一 塀に囲まれた屋敷の広さは幾坪か、閉じたままの大門はいつかの嵐の時のまま、今に も倒れそうで危ない。瓦に生える草の名の忍ぶ(草)昔とは誰のことか。宮城野の秋を 移そうと持ってきた萩が錦を誇っているが、殿上人の誰それ様が観月のむしろに連なっ …

樋口一葉「別れ霜 五」

十三 「覚悟したのだから今更涙は見苦しい」と励ますのは言葉ばかりで、まず自分がまぶ たを拭う、はかなくも露と消えようとする命。ここは松澤新田先祖累代の墓所、昼なお 暗い樹木の茂みを吹き払う夜風がさらに悲痛の声を添え、梟の叫びも一段とすさまじ …

樋口一葉「別れ霜 四」

初めて見る蝶を撮って調べたらサカハチチョウというものらしい。 十 「それは何かのお間違いでしょう、私はお客様とは知り合いでもなく、池ノ端からお供 したのに間違いはありませんが、車代をいただくよりほかにご用はないと思いますので それを伝えて車代…

樋口一葉「別れ霜 三」

七 いらいらするのは、散会後に来ない迎えの車。待たせておいてもよかったが、他にも 待つ人が多いので遠慮して早めに来るように言いつけていったん返したものを、どう しているのだろうか。まさか忘れてこないのではあるまいし家だっていつまでも迎えを 出…

樋口一葉「別れ霜 二」

海、海 四 他人はともかく、あなただけは高の心をご存じだと思うのは空頼みだったのですか、 情けないお言葉を。あなたと縁が切れて生きていける私だと思うのですか、恨みといえ ばそのあなたのお心が恨みです。お父様の悪だくみを責められたらお返事もでき…

樋口一葉「別れ霜 一」

海がない世界はほんとイヤ 一 胡蝶の夢のように儚い世の中で義理や誠など邪魔なもの、夢の覚め際まではと欲張る 心の秤に黄金の宝を増やすことばかり考えて、子宝のことを忘れる小利大損。今に始ま らない覆車のそしり(戒め)(ひっくり返った車の轍を見て…

樋口一葉「雪の日」

四万十川の雪景色 見渡す限り地上は銀沙を敷いたようになり、雪は胡蝶の羽のように軽やかに舞って いる。枯木に花が咲いたと見立てて世の人は歌に詠み、 雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける(紀貫之) 雪が降れば冬籠りしている草木が …

樋口一葉「経づくえ 二」

四 園様はどうされました、今日はまだお顔が見えませんがと聞かれて、こんなことが あって次の間で泣いておりますとも言えないので、少しばかりお加減が悪かったのです が今はもうよろしいのです、まあお茶をどうぞと民はその場を取り繕った。学士は眉を ひ…

樋口一葉「経づくえ 一」

一 一本の花をもらったがために千年の契り、万年の情を尽くして誰に操を立てての一人 住まい、せっかくの美貌を月や花からそむけて今はいつかも知らぬ顔、繰る数珠に引か れて御仏の世界にさまよっている。あれはいつの七夕の夜だった、何に誓って比翼の鳥 …

樋口一葉「うつせみ 二」

四 今日は用事がないとのことで、兄は終日ここにいた。氷を取り寄せて雪子の頭を冷や す看護の女中に替わって、どれ少し自分がやってみようと無骨らしく手を出すと、恐れ 入ります、お召し物が濡れますよというのを、いいさ、まずやらせてみなさいと氷袋の …

樋口一葉「うつせみ 一」

一 家の間数は三畳の玄関を入れて五間、手狭ではあるが、南向きで風通りがよく、庭は 広々として植え込んだ木立が生い茂り、夏の住まいにはうってつけに見える。場所も 小石川植物園の近くで物静か、多少の不便はあるが申し分のない貸家である。門柱に 貸札…

馬場孤蝶「寄席の女」

一 近頃では、寄席へ出る女で、人気の凄まじい程有る女というのは聞かぬ。式多津とか 歌子というのは、少しは若い人の噂にはのぼるのではあるが、それを真打にしてやって 見たところで、幾らも客を呼べまいと思う。 橘之助が真打でやって行けるのは、長年の…

馬場孤蝶「落語」

一 父祖三代以来も東京に定住して居られる純東京の人々に対しては、真にお気の毒な ことだが、今の東京は、余程吾々田舎者に取って、住み好い土地になって来た。風俗 も、習慣も、それから、言語さえも、吾々田舎者が、そんなに不自由をせずに済むよう な程…

馬場孤蝶「義太夫の話」

関係ないけど(kawaii) 一 僕は少年の時分から、義太夫を聴くのが好きであった。慥か、明治二十一年頃と覚え て居る。姉が、土佐へ旅行したことがあった。その時、姉は、女義太夫の弥昇というの を、旅宿の座敷に呼んで、聴いたことがある。弥昇は、その後…

馬場孤蝶「東京の天然」「東京の女」

先日久しぶりにお濠というものを見てよかったが、この写真が以下の内容に合って 嬉しい。そして真夏の真昼時の、時が止まったようなあの感じも大好きなので嬉しい。 一 少し間暇(ひま)が出来さえすれば、何うしても何処かへ旅行せずには居られなかっ た時…

坐骨神経症とどうでもいいおばさんの不健康日記

キンポウゲが好きだが、北国のものは大きくて何か違う感じがする。調べるとその ままオオウマノアシガタとは…北国はタンポポもハルジョオンもでかい!長い冬を耐え たという感じでがんがん咲く。ついでにアリもでかくて怖い! キンポウゲという名は栽培種の…

馬場孤蝶「故摂津大掾」

波が折れる瞬間の透明部分が好きだがなかなか撮れない。 一 明治の義太夫界の巨人と仰がれ、近代絶倫の美音と称せられた竹本摂津大掾は、此の 程八十二歳を一期として、白玉楼中の人となってしまった。 僕は此の人が摂津大掾と改名してからは、折悪く一度も…

馬場孤蝶「文化の変遷と寄席の今昔」

一日この中で海風に吹かれていたい… 古き寄席の思い出 まだ、その外には、交通の不便などがあって、短時間のうちにそう遠方まで遊びに 行くことはできなかったので、人々はその住居の最寄最寄で、娯楽の場所を求めなけれ ばならなかったというのも、寄席繁昌…

馬場孤蝶「文化の変遷と寄席の今昔」

海が見たいがために五浦へ行って思いがけず岡倉天心の勉強をした。 寄席対小劇場 僕等の少年の時分には、寄席は平民娯楽場の中心であったのだが、現今では、そうで はなくなってしまった。 昔でも、寄席以外に娯楽場の種類が幾つか在ったには在った。が、そ…

樋口一葉「琴の音」

空の太陽も月も変わることなく、春咲く花ののどかさは浮世の全て同じであるが、 梢の嵐はここばかりに騒ぐのか、罪のない身に枝葉を散らされる不運。まだ十四という のに雨に打たれ、風に吹かれ、たった一人の悲しい境涯に漂う子があった。母はこの子 が四つ…

昔の寄席 馬場孤蝶

関東以南に住んでいた父が何度も買っては枯らしていたシャクナゲを思い出す。着る ものでもなんでも赤を買う男だった。ここでは何もしなくても毎年咲く。がさすがに 今年の大雪で、一番好きな白いシャクナゲが消えてしまった。何もしなさすぎの罰。 五 竹町…

樋口一葉「暁月夜 二」

この思いが通じさえすれば心休まるだろうと願うのは間違いだ。入り込むほどに欲が 増えて、果てのないのが恋である。敏は初めての恋文に心を痛めて、万が一知られたら 罪は自分だけではない、知らなかったとはいえ姫も許されまい、さらにあの継母がどれ だけ…

樋口一葉「暁月夜 一」

桜の花が梅の香を漂わせて柳の枝に咲くような姿だと、聞くだけでも心惹かれるよう な人が一人で住んでいるという噂、雅な男がその名に心を動かして、山の井の水に憧れ るような恋もある。香山家と聞こえるは、表札の従三位を読むまでもなく、同族中でも その…

昔の寄席 馬場孤蝶

これ昨日の写真 一 雨の音しめやかな夜などに、独り静かに物を思い続けて居るうちに、今まで別にそれ 程遠い事のようには思って居なかった自分の少年時の事などが、成る程随分前の事で あるのに気が附くことがある。 五十位な吾々に取っては、自分から俺は老…

秋日散策 馬場孤蝶

渋谷あたりの追憶 下渋谷の道玄坂の中程から左へ入ったところの丘の上の、名和男爵邸のなかの家に 与謝野寛君が住っていて、そこを僕が訪ねたのは明治三十四年の冬か翌三十五年の春か であったと思う。与謝野君はそれから少しして、その近くの崖の下の、回り…